第2話 噂

 生まれも育ちも平坂市だった私には日常の一部でしかなかったが、世間一般的に見ると、どうやら平坂市には珍しい名物的なものが多くあるようだった。

 名前だけは知られている存在しない地区。入り口に仏像が飾ってある教会。毎年祭りが開かれている間だけ現れる謎の自警団。笑えるほどに不味いヨモツ焼き。神出鬼没の飴売り屋。

 そういうちょっと変わったものが広まって一度や二度はテレビで取り上げられたことがある筈なのだが、その痕跡はいつも気付いた時には消えている。

 そのことに気付いたのは、確か小学校の夏休み、自由研究で自分の生まれた街について調べた時だろうか。

 例えるなら立地は悪そうに見えないのに、何故かどんな店もすぐに潰れて別の店になる。その上、看板が変わると前は何の店が建っていたのか思い出せなくなってしまう……そういう場所によく似ている。

 平坂市は普通じゃない。

 昔誰かがそんなことを言っていたような気がするけど、特別人から忘れられやすい街と考えれば確かにその通りかもしれなかった。

 そしてそれはきっと、私自身に関しても同じことが言える。


「……あれ、何だったんだろうね」

「さぁ~? テーブルが爆発したみたいだったけど、もしかして爆弾でも仕掛けられてたのかなぁ~」

「おいおい、さらっと怖いこと言うなよ。今になって鳥肌立ってきたんだけど」


 奈津は大げさに両腕を擦り始めたが、その表情は本気で怯えているようだった。

 私だって怖い。もしあの席に座っていたのが私たちだったらと考えると……背筋が凍り付くようだ。おしっこに行きたい。

 逆にあんな光景を見ても平然としている秋穂の度胸には素直に感心した。

 てっきりそのだらしない胸には栄養しか詰まっていないのだと思っていたが、なるほど。その膨らみこそが心の余裕の表れだったのか。案外メロンも馬鹿にできないものだ。ああ羨ま……くっそ腹立つ。なんでもねぇや畜生め。

 私は美少女にあるまじき感情を忘れるために、歩く中で横切るものを適当に目で追いながら何か違う話を振ろうとした。


「……?」

「カンナ、どうした?」

「いや、なんでもない」


 特に何かを見つけたわけではない。あれ、こんな所に道なんてあったっけ? と思う程度の気付きがあっただけだ。もう既に通り過ぎてしまったし、わざわざ引き返して確認しようとも思わないけど。

 そこまで考えた私は、ふと耳に届いた声に足を止めた。

 大通り沿いに建ち並んでいるビルの一つに設置されたテレビ。そこから流れているのは最近上映され始めた映画の広告だ。

 人形のように感情を表に出さない美少女と、目つきも口も悪い男が何だかんだと距離を縮めていく恋愛ストーリー。思えば奈津がこれの原作にハマっていたから、あの店で彼氏がどうのこうのという何の生産性もない話に興じることになったのだ。

 まったく、恋愛作品の何がそんなに面白いのか。私から言わせればサメ映画の方がよほど面白い。カップルが容赦なく食われるからな、アレ。

 ――ああ、うん。けど現実で見るとやっぱキツイわ。

 考えないようにしても脳裏にちらつくカフェでの出来事。突然非日常の世界に放り込まれてしまったみたいで、さっきからどうしようもない不安に襲われてしまう。

 実際、あれから私たちは遊ぶ気が失せてしまって今も家に帰る途中なのだ。

 そしてそれぞれ住んでる場所が違う以上、一人になるのが怖くても必ず二人とは別れなければならない。


「あ、じゃあ私はこれで。カンナ、秋穂、また明日ね」

「じゃあねぇ~」

「気をつけて帰りなさいよ」


 まず最初に訪れた団地で奈津が私たちから離れ、ここから先は秋穂と二人で帰ることになる。

 いつもなら気にしないのだが、今日はここに来るまであまり会話をしてこなかったせいか妙に気まずい。黙っていると余計に不安が押し寄せてくるので正直何でもいいから秋穂と会話をしたかった。

 案外同じことを考えていたのだろうか。秋穂は私と二人になったタイミングで突然変なことを言い出した。


「あのさ~。カンナは『名前は知っているけど存在しない地区』って知ってるかな~?」

「……え、あ、うん。この街じゃ有名な都市伝説だよね?」

「私ふと思い出したんだけどね~、この街では度々不思議なことが起きて~、その原因は全部そこに関係しているんだって~」

「へ……へぇ?」


 夕陽で赤く照らされた帰り道。

 同じ色に染まった秋穂の横顔は、何だかいつもよりも怖く見える。

 ああそうか、よりにもよってこのタイミングで始まったのか。


「な、なんで今そんな話……」

「え~? 特に深い意味はないよ~。ただそういう噂があったなぁ~って思い出しただけ~。……カンナは聞いたことない? そういう七不思議みたいな話」

「え、いや、全然……?」


 四宮秋穂しのみやあきほ。中学からの付き合いで、いつもニコニコ笑っている印象が強い女の子。

 しかしその本質はホラー、ミステリー、不思議現象は何でもござれのオカルトマニア。ビビりの奈津とは対照的に怖いものが大好きなのだ。

 そしてどうやらこの帰宅時間の最中、不謹慎とかクソ喰らえと言わんばかりに今日の出来事について考察していたらしい。

 きっと今まで黙っていたのは、奈津に気を遣っていたからだろう。……いや、私だってサメ映画が好きなだけでホラー全般が平気なわけじゃないからね。


「多分だけど~、あの男性の人には人体発火に近い現象が起きたと思うんだよね~! 女性の人が軽傷で済んだのはテーブルを挟んでいた分、距離があったからで~」

「ああ、そう。うんうん」

「教会の神父さんが実は魔法使いだって噂もあって、もしかしたらその人の魔法で燃やされたのかも~」

「それって多分だけど冤罪じゃない?」

「でもね~、あのテーブルにおかしたものはなかったと思うし、爆弾が仕掛けられてたって線はないと思うんだけどな~」

「そ、そういうのは明日にでもニュースで分かるんじゃないかな?」


 おかしな話かもしれないが、事件のことを話している筈なのに秋穂の話がどれも突飛なものばかりだったおかげで、私は徐々に普段の落ち着きを取り戻していった。

 そして家に着くころには私はすっかりいつもの自分を取り戻し、ご飯を食べて、お風呂に入って、夜には自然に寝付くことができた。

 だから翌日になってテレビをつけた時は驚いた。


「――人体発火現象?」


 駅前のカフェの話だけではなく、とある恋愛映画の主演を務めていた男女が、それぞれ公共の場で突然服の一部が燃え上がったというニュースが流れていたからだ。

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呟き怪異症候群 義本 依之 @moonbard

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