第43話 忘れ形見



 魔狼に腕を噛まれた時も、ロックバットに頭を打たれた時も、洞窟が崩壊した今ですら。ヨシュアは常に冷静だった。

 出会った時の調子のまま、ともすれば気だるげともとれるような淡々とした態度。

 

 そういう人間なのだと思っていた。だって彼は並外れた力を持っているから。ギルド『緋蒼』で多様な経験を積んできたから。


 ヨシュア=デスサイズは何が起きようとも動じない、そんな強さを持つ人間なのだと、リリエリは思っていた。


 違う。

 彼のこれは、強さじゃない。


「なんで、なんで転移結晶を貰ってないんですか!? それじゃあ貴方か私の、どちらかしか帰れないじゃないですか!」

「…………転移結晶は、貴重なものだろう。アンタはずっとソロでやってきたから知らないかもしれないが、……普通は全員分なんて貰えない」

「……っ、じゃあ、だったらこれはヨシュアさんが、」

「オレは『断ち月』のギルドマスターで、アンタは『断ち月』のメンバー。そうだよな」


 ギルドマスター命令。それを使うのは、アンタだ。


 そう口にする態度ですら、この男は、こんなにも変わらない。

 まるで自分のことなんてどうでもいいと、そう思っているみたいじゃないか。


「ふざけるな! 貴方は自分がどうなってもいいって言うんですか!?」

「……流石にそこまで自暴自棄じゃない。オレなら大丈夫だ。だからアンタが帰るんだ」

「大丈夫って、なにを根拠に……っ」


 静かにしろとでもいうように、ヨシュアは人差し指を自らの口元に当てた。不意に生まれた空白に割り込むようにして、ずず、と巨体が洞窟を這う。遠くでカラリと石の落ちる音が聞こえる。


「早いほうがいい。迷うな」

「…………わかり、ました」

 

 リリエリは自分の手の中にある小さな結晶を握りしめた。そうしてそこにありったけの力を込め、……ヨシュアに向かって、ぶん投げた。


「私、命令を無視します! ヨシュアさんみたいなめちゃくちゃで常識知らずなギルドマスターの言うことなんて、誰が聞くもんですか!」

「危ない。ぶつかるところだったぞ」

「しっかりキャッチしといてよくそんなこと言えますね。ええ、ヨシュアさんは強いでしょうとも。でも、強いからって、誰も心配しなくなるわけじゃないんですからね!」


 リリエリは怒っていた。

 完膚なきまでに、めちゃくちゃに、パーフェクトに怒っていた。


 思えば最初からヤバいギルドマスターだった。手ぶらで冒険を始めるし、灯りも持たずに洞窟の中に突っ込んでいこうとするし、自分の怪我も顧みない。


 それらは全て彼の強さの為せる業だと思っていた。身体能力や経験、知識によって補えるからこその無謀であると。


 事実リリエリは幾度も幾度もヨシュアに守られながらここまで来た。一人でも歩めるヨシュアがリリエリに手を差し伸べているのは偶然、気まぐれ、時の運。そうしなければならなかったから、それだけの話だ。


 だからせめて、全てを叩き伏せて進むヨシュアの負担にはなるまいと、邪魔だけはしないでいようと、そういう振る舞いを心がけた。


 認識を改めようと思う。

 ヨシュアはただのバカだ。


 だから、今度は私が守るのだ。

 

「私は『断ち月』のメンバーで、ヨシュアさんは『断ち月』のギルドマスター。そうですよね」

「そのつもりだ」

「私、メンバーの面倒をちゃんと見るのも、ギルドマスターの仕事だと思うんです。だから、この後は全部お願いしますね」

「…………何をする気だ」


 リリエリの両腕に巻かれていた包帯が、しゅるりと柔らかな音とともに薄暗い床に落下した。ろくに日にも当たっていないだろう白い肌に不似合いな黒の入れ墨。


 幾重にも重なった魔術紋章は、リリエリの責であり、枷であり、――父と娘の、唯一の形見である。


「私がここを、破壊します」


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