第42話 命さえ
「…………生きてるか」
「……恐らく」
回答したはいいものの、リリエリはいまいち自分の言葉に自信が持てなかった。
最後に見た光景は洞窟の天井一面に入った光の亀裂。覚悟を決める暇はなかった。自分の真上から光の塊が降り落ちてきて――それから、どうなったか。
思い切り締められた首が痛いなとか、背中を強く打った感覚があるとか、右足が殆ど動かないとか。そういうことを感じ取れる程度には、生きているんだろうが。
「怪我はあるか」
「首と背中が痛いです。あと右足はもう使えない気がしますね」
「首と背中のはオレがアンタを引っ張ったせいだな。すまない」
「ヨシュアさんは無事ですか」
「無事だ。アンタが石の壁を張ってくれたおかげで」
……思い出した。降り注ぐ岩石の中、リリエリはヨシュアによって強引にどこかの壁面に叩きつけられたのだ。
痛くなかったといえば嘘になるが、恐らくはこれが最善手だったのだろう。ミハシラトボシゴケによる光の亀裂の様子から、ヨシュアは瞬時に安全地帯を導き出したわけだ。
ヨシュアの言い分を信じるのであれば、リリエリが咄嗟に起動した紋章魔術――石壁の生成も、少しは役に立ったようだ。
「見てたか、リリエリ。アイツ、いきなり洞窟の壁に頭突しやがった。オレたちに気がついてなかったくせに、たちが悪い」
「はは、……捕食行動ですかね。ちょっと今、怒る余裕も笑う余裕もないですけど」
いつの間にかヨシュアに渡した簡易紋章は失われていて、周囲はおよそ完全な暗闇であった。
石の頁を開いていた魔本を炎の頁に変えてようやく、彼らが逃げ込んだ極狭い空間の全貌が見て取れた。どうやら大きい岩と岩の隙間に空いた奇跡のような空洞に、二人で体を滑り込ませているのが今の状況らしい。
空間の端には魔本と同じ幅の石壁が一本、頼りなさげに立っている。これが支柱となって岩石を食い止めているおかげで、辛うじて冒険者二人が体勢を変えられる程度の空間が確保されているようだ。
リリエリは彼らを閉じ込めている岩石の一枚を、極めて慎重にロックピックで叩いた。
「洞窟の全体が埋まってしまったわけではなさそうです。向こう側に、広い空間がありそう……、ちょうど通路の両端が落石で塞がれた感じですね」
「じゃあこの岩をぶっ壊せばなんとかなるのか」
「……いけそうですか」
「無理だな」
完全に閉じ込められてる。
平坦なヨシュアの声に、別の色が混ざり込んでいた。リリエリはその色を……諦観だと思った。
「もう一度アイツが暴れ出したらまずいな」
「そうですね。あまり時間は、なさそうです。
どうにかして進む方法を、……」
この先に進むなら、何らかの方法で岩塊を退かす必要がある。そしてその上で枢石喰らいと対峙しなければならない。
……それは私たち二人きりでは、とても成し得ない。
「……これ以上は危険だと、思います。
帰還、しましょう」
リリエリの案に考え込む素振りを見せたヨシュアは、肯定もせず、否定もせず、代わりに一つの疑問を口にした。
「どうやって帰還するつもりだ。進むにせよ戻るにせよ、オレたちはこの岩をどうにかしないといけないだろう」
「……転移結晶が、あります。依頼を受ける時に説明があったかもしれませんが、これを設置せずに使用すると、冒険者一人を周囲の大転移結晶に移すことができる……いわゆる、セーフティですね」
背負っていたリュックは、これまでの衝撃で多少傷や汚れがついていたが、幸い中身ともども致命的な破損はなさそうであった。リュックの一番背中側……最も安全な位置にあるポケットから、リリエリは一つの無色透明な結晶を取り出した。
「これを使えば帰れます。命は守られます。『断ち月』は、今はなくなってしまいますが、……私は」
言葉が途切れた。ガリ、ガリと硬い鉱石を貪るような音が、岩塊の向こうから聞こえている。
あとどれほどの時間が残っているのか。もうずっとこのままなのかもしれないし、瞬きの間に崩れ落ちるのかもしれない。
たくさん守ってもらった。力のない自分を肯定してくれた。
このまま終わるくらいなら、自分の夢だって切り捨てて良い。それほどまでに、
「私は、ヨシュアさんに、生きていてほしい。
だから、帰りましょう」
「……アンタはそれでいいのか」
「もちろんです。さぁ、ヨシュアさんも自分の転移結晶を出してください。枢石喰らいがまた動き出す前に」
リリエリはヨシュアが唯一持ち込んだ腰元のポーチを指さした。
もしヨシュアが見出したのが自分でさえなければ。魔物とも戦える、十分に力のある冒険者であったならば。
あるいは『断ち月』の存続も成し得たのではないか、だなんて、そんな詮のないことを考えながら。
「…………ない」
「……なにがですか?」
「転移結晶。……オレは、もらってないんだ」
その言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。あまりにヨシュアがあっけらかんと言うものだから、自分かヨシュアのどちらかが何かを間違えているんじゃないかと、もう一度言葉の意味を考えた。
そうして固まってしまったリリエリを追い詰めるみたいに、ヨシュアはもう一つ、言葉を紡いだ。
「悪いがオレは帰れない。……アンタ一人で、帰還してくれないか」
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