第41話 ミハシラ


 遠くに見えていた淡い光は、振動と共にゆっくりと左に移動して、やがて暗闇の奥に消えた。

 ヨシュアの言ったとおり、あそこには広い空間があるのだろう。この位置から見えなくなっただけで、枢石喰らいがいなくなったわけではない。

 だが、その姿が視界にいないというだけでも、気持ちは幾分軽くなるものだ。


「……行けます。行きましょう」

「わかった」


 ヨシュアはもうリリエリを止めなかった。


 なるべく刺激を与えないように、ぎりぎりまで左側の壁に寄りながら進んでいく。壁についた手にコケの柔らかさを感じながら、ゆっくりと、だが確実に。


 緊張していた。手に伝わる微細な振動が、枢石喰らいによるものなのか自分の震えなのか判断がつかなかった。

 喉が乾燥している。ほんの少しでも余計な物音を立てたら死んでしまうような、そんな重圧がリリエリの全身にのしかかっていた。


「枢石喰らいって光るんだな。枢石が光ってるのか?」

「……いやあの、この状況でよく普通に会話しようと思いますね」

「ああいうデカいのはそんなに過敏じゃないイメージがある」


 正直後ろを振り返るほどの余裕はリリエリにはないが、それでもヨシュアが普段通りの顔をしているのは容易に想像できた。


 彼は己の強さ故に恐怖を感じないのだと思っていたが、……その限りではないのかもしれないとは、リリエリも薄々感づいている。

 それが良いことなのか悪いとこなのかはわからない。少なくとも、ヨシュアの言葉がリリエリの緊張を和らげたのは事実だ。


「……確かに、動きは鈍そうでしたね。トカゲがベースになってると想定していましたが、亀なのかも」

「その二択なら亀っぽい気がする」


 トカゲなら耳が敏いが、亀であればそれほど警戒する必要はないだろう。リリエリは自分が過剰なほどに強く魔本を握りしめていたことに気づき、体の力を抜いた。

 まだ亀だと断定できた訳では無いが、十分に距離がある今から全力で警戒していては心が持たない。


 必要な時に、必要なだけの注意を払う。長く壁外で活動するための基本だ。ヨシュアの態度によって、リリエリはそれを思い出せた。恐怖でできた靄がさっと晴れた心地であった。


「……枢石は光らないです。あの光は、また別のものによる発光でしょう」

「アイツ自身が光ってるのかな。それか、枢石の他に光る鉱石を喰っているのか」

「ここまでに光る鉱石は見なかったですが……もしかしたら、アレの正体が、転移を阻害する鉱石なのかもしれませんね」

「そういえばそんな話もあったな。いずれにせよ光っているのは助かる。わかりやすくていい」


 道の先に枢石喰らいの姿はない。だが、それが放つ淡い光が奥の空間を照らしているのを見て取れるほどに、二人は最奥に近づいている。

 もうじきだ。あと数分と経たず、あの空間を視界にいれることができるようになる。

 

 壁についた左手が弱い光となって軌跡を残す。掲げた魔本は、変わらぬ炎を灯したまま二人の行路を照らしている。

 顎を伝い落ちた汗の音まで聞こえてきそうだった。コケの放つ独特の匂いも、柔らかく脆い感触も、背後を歩くヨシュアの衣擦れすらも。


「……そこに、います」


 リリエリの声はほとんど吐息であった。だが、この空間においてはそれで十分すぎるほどであった。


 道の終端、唐突に開いた世界。洞窟に不釣り合いなほどに明るい輝きのなかに、ソレは鎮座ましましていた。


 身体中に赤銅色の光を纏った、巨大な龍であった。


 首も、手足も、尻尾の先までが枢石で覆われた、生ける結晶。

 甲羅と思しき部位を有しており、やはり元はリクガメかそこらの生物だったのだろう。その推測は合っていたと理解した上で、リリエリはその魔物を龍だと思った。


 それ以外に、アレをなんと称すればいい?

 

 鉤爪もないその手足は、人間も家畜もなんだって卵の殻のように扱うだろう。鉱石を食べることに特化したあの顎は、人の頭部程度では止まるまい。

 敵意は感じない。闘志も存在しない。それでもあの生き物の一挙手一投足で、人間は容易く死んでしまえるのだ。


「…………っ」


 リリエリは叫びだしそうなほどの恐怖を、唇を強く噛みしめることで耐え抜いた。

 ぽたりと血が垂れ落ちていることに、彼女が気づいているかは怪しい。釘付けにされたみたいに、その輝かしい魔物から目を離すことが出来ないでいた。


「リリエリ。見えるか。奥の壁、みんな赤いぞ」

「見え、てます。間違いないです、あれは全て、」


 枢石。

 途方もない量の枢石が、壁一面を埋め尽している。道中で見た、平坦な赤銅色とは似ても似つかぬ、結晶の塊。

 枢石喰らいの出す光がそれら天然の鉱石に反射することで、空間全体が輝いて見えている。


 異質な空間だった。いや、あるいはこの"エリダの枢石窟"は、元々このような場所だったのかもしれない。……枢石喰らいが誕生する前までは。


「先はなさそうだな。ここが最奥だ。引き返そう」

「そう、ですね。これ以上は、もう」


 踏破というにはやや格好がつかないが、それでも最奥と枢石の存在は確認できたのだ。リリエリにできることはもう、気づかれる前に退き、転移結晶を設置するだけ。


 一歩、二歩と後退る。元よりそう近づいていた訳では無い、すぐに枢石喰らいの視覚から離れられるだろう。


 枢石喰らいから目を離さないまま、四歩目の足を引いた時、リリエリの背がヨシュアに触れた。


 ……立ち止まっている?


 リリエリは振り返った。ヨシュアの様子を確認する、そのためだったが、……結局リリエリは、それを知ることはできなかった。


 光だ。

 洞窟内を余すところなく覆うミハシラトボシゴケが、一面に光を放っている。


 ――ああ、なるほど。だから


 まるで天に亀裂が入ったみたいだと思った。

 リリエリたちを嘲笑うかのような振動が一つ、洞窟内を木霊する。


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