第40話 例えばそれが蛮勇でも


 リリエリの歩みに合わせて光の足跡が残る。それらが消えぬうちに、ヨシュアによって新たな光が作られる。

 洞窟の全域を照らすにはあまりにか細い光であったが、もとより照らすためのものではない。魔本の炎を先頭に、リリエリ達はゆっくりと、だが確実に洞窟の最奥に近づいていた。


「なんか静かになりましたね。生き物なんて、何もいないみたい」

「そうだな。でも、いる」

「…………いる、んですね」


 ヨシュアの魔物完治力は極めて正確だ。リリエリも魔物の気配には鋭い方の冒険者だったが、どうもヨシュアには勝てそうにない。基本的な身体能力の差なのか、あるいは着目している部分が違うのかはわからないが。


 だから、ヨシュアがいると言うならいるのだろう。枢石を喰らう魔物も、荷馬車すら通れるような横穴を作り出す魔物も、洞窟を崩壊せしめるほどの力を持つ魔物も。

 

 そんな馬鹿げた魔物がいるはずないと、無意識に目を背けているのかもしれない。だが既にこの冒険は、そんな与太話の真偽に決着をつけられる段階に至っている。


「…………ヨシュアさん、目の前、あれ、」

「うん。……見えてる」


 目の前、真っ直ぐに伸びた道の先。

 魔本の灯火だけでは到底光の届かない奥の奥、暗闇の中にぼんやりと輝く光が見えた。


 やや赤みがかった、柔らかな光だ。まるで木漏れ日を一匙掬ってきたかのようだった。洞窟に慣れきった瞳には、それがとても魅力的に見えた。

 ともすればすぐに駆け寄ってその光を浴びたい衝動に駆られていただろう。


 それがゆっくりと移動してさえいなければ、の話だが。


「……動い、てる?」

「生きているな。それに、大きい」


 警戒心から、リリエリはその場に立ち止まった。

 ……それにより、ようやく気づくことができた。足に小さな振動が響いている。意識を向けると、それはより明瞭な感覚としてリリエリに伝わってくる。

 ミハシラトボシゴケが光らないほどに弱く、しかし確実に揺れている。もしや、歩いている間もずっと振動していたのだろうか?

 

 ふと湧いた疑念は、新たな疑念を抱く呼び水となった。

 疲れや閉塞感による妄想ならどれほど良かっただろう。この振動、あの光の動きと同期しているみたいだ、だなんて。


「良かったな、リリエリ。期限には間に合いそうだ」


 アレがいるということは、あそこが最奥なんだろう。淡々としたヨシュアの言葉は、まるで夢の中で聞いた音のように曖昧になってリリエリの耳に届いた。


 枢石喰らい。

 長々と続いてきたこの道の終端は、燦々と輝く枢石を身にまとう冗談みたいな魔物一匹でできている。



■ □ ■



「あそこに広い空間がありそうだな。とりあえず気づかれないように近くまで、……リリエリ?」

「……っ、」

 

 ヒューヒューと隙間風に似た音が聞こえる。リリエリの呼吸音が、不規則に乱れている。


「落ち着け。十分距離がある。アイツはオレたちに気づいていない」

「ぅ、」

「ゆっくり呼吸をしろ。大丈夫だ」


 ヨシュアはリリエリの両肩に手を置き、少し後ろに引くように促した。よろめいたリリエリの足に合わせて、コケが淡い光を灯す。リリエリはそのまま、崩れるようにしゃがみこんだ。


「す、すみっ、ません。っは、」

「喋るな。息を吐け」


 柔らかいコケの上に膝を付き、横からリリエリの背中に手を置いてやると、ややあって呼吸音は落ち着きを取り戻し始めた。

 彼女が過呼吸様の症状を見せるのは二回目だ。一度目は確か、初めて枢石喰らいの痕跡を見つけた時。そして二度目となる今は、遠目とはいえ枢石喰らい実物との相対を果たした瞬間。

 

「アンタ、デカい魔物が苦手なのか」

「……、」


 呼吸は静まりつつあった。喋れない、というほどではなさそうだが、その上でリリエリは否定も肯定もしなかった。

 この状況においては、それは何よりも強い肯定である。


「わかった。この先はオレが様子を見に行く。アンタはここで待っていてくれ」

「……ま、ってください。いけます。連れていってください」

「だが、」

「驚いた、だけです。すぐに戻ります。もう足手まといにはなりません。だから、」

「…………」


 こういうとき、どうすればいい。ヨシュアの目はふらりと宙を泳いだ。足手まといだとかどうとか、そういう思考はヨシュアにはなかった。リリエリの一人や二人、守り抜く自身がヨシュアにはあった。

 ただ、心因性の過呼吸からリリエリを守る方法を、ヨシュアは知らないのだ。対処したことだってないし、そういう心理もわからない。

 

 考えあぐね、ヨシュアは言葉を切らした。ギルドマスターとして、正しい言葉を探そうとした、のだが。


「勝手にヨシュアさんに全部預けて、自分だけ安全な場所にいるわけには、いかないじゃないですか」


 ……リリエリは別に、守ってもらうことを期待してはいないのかもしれない。


 リリエリのような人間を、無謀だと評する者もいるだろう。あるいは、愚かだと言う者もいるかもしれない。


 ヨシュアはわからない。理解することができない。

 それでも、恐ろしいものに立ち向かおうと奮うリリエリの姿が、ヨシュアにはとても強いものに思えた。

 

 この世界の全ての人間が彼女の選択を蛮勇と誹ろうとも構わない。

 それがヨシュアの目には勇気として映った。それでだけで十分だった。

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