第39話 コケ。
問:探索中の洞窟が崩落する可能性があることがわかった。どうする?
答え:急ごう。
■ □ ■
「いや、まぁ、実際それしか選択肢がないんですけどね。私には」
ここから引き返して冒険者としての人生を諦めるか、人生を賭けながら洞窟の先に進むか。
リリエリの腹は決まっている。リリエリの冒険者人生は、とうにヨシュアに全ベットしているのだ。
「でも、ヨシュアさんには他の選択肢もあるんじゃないですか? 『断ち月』じゃなくても、ヨシュアさんならどこのギルドでだってやっていけるでしょう」
「そうかもな。それで?」
「天板が崩落したら、流石のヨシュアさんでも死にますよ」
「どうだろう。試してみないことにはわからないな」
「……本当にこのまま進むんですか?」
「うん。行こう」
即答であった。
それでこそヨシュア=デスサイズなのだろう。良かれ悪しかれ、ついていくことを決めたのはリリエリ自身だ。
だから、リリエリは自分の役目を全うする。自らの持てる全てで、ヨシュアの力になりたい。いや、なるのだ。
ここは"エリダの枢石窟"。枢石喰らいの身動ぎ一つで崩落しうる世界。
不思議と後悔はなかった。
「崩壊する洞窟探索にピッタリのものがあるんです」
どこかいたずらっぽく笑ったリリエリは、リュックを肩から下ろし、底の方から一つの荷物を取り出した。リリエリが両手で覆える程度の大きさで、厳重に布に包まれており元の形が窺えない。
一枚ずつ丁寧に布を引き剥がしていくと、中からはころりと手のひらサイズの球体が姿を表した。一箇所からやたらと長い紙紐が飛び出している。
「なんだそれ。……爆弾?」
「みたいなものです。こちらをどうぞ」
リリエリは球体を包んでいた布の一枚をヨシュアに手渡した。自らも一枚手に取り、それで口元を覆う仕草をする。リリエリに倣い同じ動作を行うヨシュアに、リリエリは満足げに頷いた。
「今からこれに火をつけて奥に投げます。そうしたらなるべく遠く、……さっき私の腕を治療した辺りまですぐに引き返してください。それから、私が良いと言うまで、その布で口と鼻を覆い続けてください」
「? ……わかった」
「ありがとうございます。じゃあやりますね」
紙紐の先端に魔本の火を近づけると、パチパチと弾ける音とともに青い火花が散る。ただの紙紐ではない、火薬が練り込まれた導火線であった。
リリエリは暗がりの奥に無造作に球体を投げ入れた。
「よし。離れましょう」
「なぁ、今更なんだが、ここで爆破なんてしていいのか」
「ヨシュアさん、早く」
リリエリはとっくにムカデの死骸を超えて元来た道を戻りつつある。好奇心にぐいぐい後ろ髪を引かれながらも、ヨシュアはリリエリの背を追った。もちろん、布で口と鼻を隠すことは忘れずに。
ちょうど道の湾曲に差し掛かった辺りで、背後からぽんと軽い破裂音が聞こえた。幸い、追加で崩落を招くことはなさそうだ。
■ □ ■
「…………なるほど」
引き返し、また進み、再度ムカデの死骸の転がる場所へ。ほんの十分前までは、見渡す限り単調な岩壁のみで構成されていたはずだ。
それなのにこれはなんだ。
ヨシュア達の目の前には、とても先ほどまでと同じ洞窟内とは思えない光景が広がっていた。
コケ。
リリエリが球体を投げ込んだ場所を中心に、一面の緑が洞窟の壁面を覆っている。
堂々と茂る様子は、まるで前々からここに生えていたかのようだ。この分では、洞窟の奥、灯りの届いていない方までコケで埋め尽くされていることだろう。
「これはミハシラトボシゴケといいます。一定以上の硬度を持つ物体に胞子がつくと、このように一面に広がる性質を持ちます。……十分に湿度が高い温暖な気候でないと、二日くらいで死んでしまうんですけど」
「これで崩落を抑えるのか?」
「いえ、彼らにそんな力はないです。ですが、」
リリエリはその辺にいくらでも転がっている大きめの石を一つ手に取り、暗がりに投げ入れた。石ころは低い音を立てコケのカーペットを転がっていく。てんてんと、光の軌跡を残しながら。
「衝撃が加わると光ります」
「へぇ」
「洞窟に亀裂が入ったらその部分が明るくなるので、崩落の前兆がわかるという寸法です」
「すごい」
ヨシュアは先程からずっと唸っていた。ため息というほど優しげなものではないが、いわゆるところの感嘆というやつだ。
というのも、ヨシュアは本気でなんの対策もせずに洞窟をすごく急いで駆け抜けるつもりだったためである。
「あの爆弾にはこの……ミハシ?」
「ミハシラトボシゴケです」
「そう、そのコケの胞子が入っていたんだな。いきなり崩落しそうな洞窟に爆弾を投げ込むから、アンタが、その……狂ったのかと」
「ヨシュアさんにだけは言われたくないですねぇ」
ともあれ、これで少しは安心して進めるだろう。
ヨシュアは遠慮がちに一歩コケを踏みしめた。足元がぼんやり明る。二歩、三歩と進むたびにその場所が光の跡となる。
足を離してからもコケはしばしの間光を放っていたが、四歩を進む程度の時間でゆっくりと弱くなり、五歩目を踏んだ頃には完全に暗くなっていた。
「これはいいな。楽しい。次また洞窟に入った時も撒いてくれないか。もう入り口からコケだらけにして、ずっと明るい中を進もう」
「ミハシラトボシゴケって結構貴重品なんですよ? でも、それ、楽しそうですね。次はやりましょう」
海に洞窟。やりたいことは少しずつ増えていく。
であれば、やはり、こんな場所で終わるわけにはいかないだろう。
「なぁ、これ、天井が光って崩落の予兆がわかるんだよな」
「そうですね」
「光って、それでどうするんだ」
「覚悟を決めてください」
……こんな場所で終わるわけにはいかない、とはいえ。
人間にはどうしようもない領分も、たまにはあるのだ。
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