第36話 思考するギルドマスター
リリエリの怪我が治るまでの小休憩。
ヨシュア自身は怪我もなければ疲れているわけでもなかったが、この小休憩はとてもありがたいと感じていた。
魔本は現在、リリエリの腕を治癒中だ。そのため、この場ではリリエリに作ってもらった簡易紋章が唯一の光源である。周囲は仄暗く、二人以外の生き物の気配もない、静かな空間であった。会話もない。ただ淡々と体を休めるだけの、無機質な時間。
これまでの休憩では、互いに話術に長けている身ではないものの、それでもぽつりぽつりと会話を交わす機会があった。それなのに、今この瞬間は、重苦しい空気に圧迫されたかのような無言が続いている。
辛うじてといった明るさの中に見えるリリエリの表情は、どこか思い詰めたようなそれであった。リリエリは何かを考え込んでいる。それは彼女が話そうとしない腕の魔術紋章のことなのかもしれないし、この冒険のことなのかもしれない。または『断ち月』のこと、あるいはヨシュアのこと、それか全く別のこと。
……結局、ヨシュアはリリエリの考えていることなんてさっぱりわかっていないのだ。
ただ、この静かな時間は、ヨシュアにとっても貴重なものであった。
自分の中に、消化しきれていない感情がある。具体的な名前をつけることもままならないそれを、どうにかしたいと思う。
それがなんなのか、どうすればよいのか。ヨシュアはわからない。わからないなりに、わからないからこそ、思考する。
――オレはリリエリと交わした約束を守った。約束は守るものだからだ。だが、それでリリエリは怪我をした。死ぬ可能性だって、ないわけじゃなかった。
例えばあの場で彼女が致命傷を負ったとする。大丈夫かとかけた声に、彼女が小さく首を横に振る。それから、小さな声で言うのだ。
「ありがとうございます。約束を守ってくれて」
……嫌だなと思う。
リリエリが死んだら一人で洞窟を探索しなければならない。知識のすくないヨシュアにとってそれは至難の業だろう。
いや、そもそも、彼女がいなければ洞窟を踏破する理由すら失われる。するとヨシュアはギルドを立ち上げることができなくなる。
だから嫌だと感じるわけだ。……一応、ロジックは通っている。
まだ引っかかるものはあったが、ヨシュアはひとまずこの理論で自分自身を納得させた。リリエリの怪我を厭う理由をヨシュアが持っている。それが確かならば十分だと考えたためである。
――でも、リリエリは、身を挺してまで守らないでくださいと言った。だからオレはそれに沿って動いた。これは正しい選択のはずだ。
そしてその結果リリエリは怪我をした。ともすれば死ぬ可能性だってあった。
……嫌だな、と思った。
堂々巡りだ。思考が同じ場所を、ひたすらぐるぐると回り続けている。
何か別の視点が必要だ。ヨシュアは思考を一度切り替えることにした。依頼とかギルドではない、もう少し身近な点から答えを出せば良い。
リリエリが両腕を怪我したことで、最低でも一時間の休憩を余儀なくされた。だが、怪我をしたのがヨシュアだったらどうか?
ヨシュアはあの時の状況を具に思い出してみた。
ムカデの頭を叩き潰した。するとムカデが暴れて天井から剥がれ落ちた。自身も重力とともに地面へと向かっていく、その最中。
まず落ちるムカデの足の一本を適当に掴んで自分にぐっと引き寄せる。そのまま全ての足を自身の体で束ねるみたいなイメージで、ムカデの巨体を抱きかかえる。
もちろんムカデ全域をカバーできるほどヨシュアの身体は長くはないが、これでリリエリがいた付近を守ることはできるだろう。
抱きしめたムカデの足が正面からヨシュアの身体を引き裂き、抉り、貫く。上半身を中心にとりあえず六ヶ所ほどやられたと仮定する。
ヨシュアの自己治癒能力がこれらの傷を全快するまでの時間は、…………一時間以内では難しそうだ。
つまり、結果論ではあるが、今回はリリエリが怪我をした方が効率が良かった、ということだ。
ヨシュアの選択は間違っていなかった。これにて一件落着である。
…………嫌だな、と思った。
約束。効率。どっちの面でも選択は間違っていない。でも、ヨシュアは今確かに後悔をしている。
わからない。何か見落としているのだろうか。
では、例えば、リリエリが『断ち月』の仲間ではなかったとして――。
――仲間が怪我をする姿なんざ、見てぇはずがねぇだろうが。
唐突に、ヨシュアの頭に、鮮明な記憶が蘇った。過去に所属していたギルド『緋蒼』のギルドマスター、レダの言葉であった。
確か、魔物との戦いでヨシュアが深い怪我を負った時に言われた言葉だった。
当時はヨシュアに治癒能力がなかったため、レダ達四人は冒険を一時中断し、休息を取ることになったのだ。……ちょうど、今ヨシュア達が置かれた状況に酷似している。
余計な時間をかけることになるから怪我をするなと、そう言われたのだと受け取っていた。だから、怪我を治せる今のヨシュアに必要な言葉ではない。そう思い、記憶の底に沈めていたわけだが。
――もしかして、言葉通りの意味だった?
リリエリが怪我をする姿なんて見たくない。なぜならリリエリは、仲間だからだ。
一度考えてしまえば、このロジックは驚くほどアッサリとヨシュアの腑に落ちた。
自分の選択が仲間であるリリエリを傷つけた。だから今、自分は強く後悔しているのだ。
ではどうすればリリエリを危険に晒すことなく、背反する約束を共に守り抜けたのか。
この世で最も簡単な回答は"そんな状況を作らないほどに強くなる"ことだが、これはあくまで理想論。努力はするが、それはそれとして起きてしまったときのことを考える必要がある。
そして、ヨシュアはすでに、その答えを持っている。
リリエリは『断ち月』のメンバーで、ヨシュアは『断ち月』のギルドマスターだ。ギルドマスターがメンバーを守るのは、至極当然のことなのだ。
そしてギルドマスターは偉い。メンバーよりも、ずっと偉い……はず。
ヨシュアはいつの間にか地面を向いていた顔を挙げ、ぼーっと魔本の頁を眺めていたリリエリに声をかけた。
「リリエリ。少し前にアンタと交わした約束のことだが」
「えっ、あ、はい! 約束? あの、あんまり無茶しないでくださいってやつですか?」
「それだ。その約束は、たった今オレの独断で反故にすることにした」
「…………はい?」
「よく考えてみた。アンタは『断ち月』のメンバーで、オレはギルドマスターだろう。だからオレはアンタより偉い。アンタを守る義務がある」
「はぁ、まぁ、偉いのは確かかもしれませんが」
「アンタが怪我をするくらいなら、オレがする。これはアンタとの約束より優先される。なぜならオレがギルドマスターで、これがギルドマスター命令だからだ」
……しばし、無言の時間が流れた。
リリエリはその間呆然とヨシュアの宣言を受けて止めていたが、……突然、堰を切ったように笑い出した。
「はは、あはは! 初めてのギルドマスター命令がそれですか。ヨシュアさんらしいといえばらしいというか、やっぱり規格外ですね、あなたは」
「……なぁ、なんで笑うんだ。オレは変なことを言ったか」
「いえ、気を悪くされたらごめんなさい。ただ、とても良いなと思ったんです。『断ち月』に入って良かったって。
……従いますよ、マスター。私、あなたの部下ですからね」
「うん。今回は本当にすまなかった。次は守るから、安心してほしい」
「でも、これだけは覚えておいてほしいです。ヨシュアさんが怪我をすると、悲しむ人がいるってことを」
「…………それは、努力目標にする」
なんだか久々に大笑いした気がします、とリリエリは目元の涙を拭った。腕の怪我を慮った不自然な動作だったが、彼女の顔にはもう先程のような憂いは見られなかった。
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