第34話 プログラム



 どうして過去の探索者は中途半端な場所に転移紋章を設置したのか。

 "エリダの枢石窟"という名を持ちながら、ここまでの道中でほとんど枢石を見つけられなかったのはなぜか。


「この横穴は、ここ数年の間に新たに形成されたもの……? 洞窟の名を冠するほどにあっただろう枢石は、」

「……まぁ、アイツの飯になったんだろうな」

「…………あり得ない」


 あり得ない、

 この世界を浸潤する魔力が生物に与える影響は、未だ解明されていない。日光の当たらない高魔力環境の中、魔力の伝導効率に長けた枢石を喰らい続けたらどうなるのか。その答えは誰も知らない。


 だから、あり得ないなんてことはないのだ。

 それでも、言葉の上だけでも否定したかった。それが力を持たない人間にできる、唯一のことに思えた。


 ズズンと一つ地響きが鳴る。光の届かない前方が、にわかに騒がしくなっている。

 

「来てる」


 ヨシュアが一言呟いて、固まったままのリリエリを抱え上げた。幸いにして、そして不幸にして、この横穴の幅は十分に広い。ゴロゴロと大きめの岩が固まり並ぶ辺りに、二人で身を隠せるほどに。

 リリエリは咄嗟に魔本の頁を変えようとしたが、できなかった。ヨシュアの手がリリエリを制していた。


「まだいらない。いざとなった時でいい」

「……わかりました」


 ガンガンと乱雑に硬いもの同士をぶつけるような音が聞こえる。ドスドスと横柄に闊歩するような音が聞こえる。バタバタと嵐にはためく頼りない帆布のような音が聞こえる。

 どれも未だ小さな音だ、だが確実に二人の潜む場所へと近づきつつあった。


「あの時と似ているな」

「ロックバットがあんなにも荒れていたのは、枢石喰らいから逃げていたから、……ってことですか」

「かもしれない」


 ヨシュアは僅かに岩から体を出し、前方――この横穴の最奥に視線を向けた。リリエリを庇うように立つ背中から、ぴりぴりと肌が痛むほどの警戒心を感じる。


 変化はすぐに現れた。

 ざざざと小波の立つような音を上げながら、中型の節足動物が足元を駆け抜けていく。さらにそれを追うようにして、いくつかの黒い影が目の前を通り過ぎていった。

 どれもこれも、洞窟に入り込んだ人間のことなんて一顧だにしない。そんな価値も余裕もないといった様子であった。


 当然だろう。最奥にいる生き物の気分一つで、彼らはすぐにでも死んでしまえるのだ。

 無論リリエリも、ヨシュアだって例外ではないだろう。


「こいつらはロックバットと違って痛くないからいいな」

「でも……っ、トライテールとか、っ毒があるやつも、いますよ!」


 能動的にこちらに向かってこないとはいえ、リリエリたちが魔物の逃げ道を狭めているのは確かだ。

 ヨシュアの足元をくぐり、迷い込んだ数匹の魔物がリリエリに迫り来る。なんとかマチェットを構えることができたリリエリは、必死になって自らに群がるそれらを叩き落した。ヨシュアが止めない程度の小物ばかりだが、見過ごせるほど可愛い魔物というわけではない。


「面倒だな。火でも焚くか?」

「あの、一応ここ洞窟ですっ。潤沢に酸素が、あるとは、限りません!」

「……じゃあ、なんでオレ達は呼吸ができるんだ……?」

「コロモコケ、チカシダ類、魔粘菌、その他にもっ、洞窟内に酸素を供給する種は豊富に知ら、知られ、知られていますっ」

「へぇ。アンタ本当に詳しいんだな」

「だって、そうじゃないと、」


 死ぬので。そう続けたつもりだったが、ヨシュアに聞こえたかどうかはわからない。唐突な轟音が彼らの聴覚を埋め尽くしたためである。


 ぞろりと暗闇から突き出た何本もの足が洞窟の壁面を掴み砕く。周囲の壁を破壊しながら蠢くそれは、やたらと緩慢な動きをしていた。

 辛うじて魔本の灯りが届く壁に、唐突に影ができる。違う。アレは影じゃない。

 ギラギラと黒光りする甲殻、人の胴ほどの幅を持つ巨大なムカデが、天井を這っている。


 ヨシュアの動きは迅速であった。地を蹴り上げ瞬く間に接敵、手に携えた石の破片でムカデの頭部を一撃の元に叩き潰す。

 この瞬間、大ムカデは確かに息絶えたであろう。だが司令塔を失った身体が、最後の足掻きとばかりにバタバタと無秩序に暴れ始めた。天井に張り付く意図すら失い、周囲の環境を破壊しながら地面へと――リリエリの潜む岩陰へと、落下していく。


 止められる、とヨシュアは考えた。

 空中に飛び上がった体勢からでは、蹴るにしても殴るにしても勢いがつかない。だが止めることは可能だ。ムカデに組み付き、暴れる巨体を抱え込んで地面に押さえつければいい。

 岩壁すら易々と貫く無数の足も、自分なら受けきることができる。どうせ治るのだから、構いやしない。


 ――私の代わりにヨシュアさんが傷つくのは嫌です。


 ふと昨日のリリエリの言葉が、ヨシュアの思考に割り込んだ。


 冒険に出る前、リリエリの身の安全を守ると約束した。だが、つい昨日、自らの身を犠牲にするような守り方を改めるとも約束した。


 背反する約束のどちらを優先するべきか。

 ヨシュアは迷わない。



 ヨシュアは必ず、新しいを優先すると決めている。



 ムカデの巨体は、誰に止められることもないまま、激しい音とともに地面に――リリエリのいるはずの場所に、叩きつけられた。



 

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