第33話 エリダの枢石窟⑯
ヨシュアの言葉のとおり、道中は魔物が"それなりに"いた。だいたい三十分に一回くらいのペースだ。転移用の紋章魔術に至るまでの道と比較すると、倍以上の遭遇率である。
ただ、出現した魔物全てが好戦的な種というわけではない。例えばロックバットなどは元来大人しい気質で、こちらから刺激を与えさえしなければ壁面に張り付いて大人しくしているだけである。
時折戦い、時折見過ごし。リリエリとヨシュアは、足場が悪い中もつつがなく進行を続けている。……と、ヨシュアは思っていたのだが。
「この横穴、なにかおかしくないですか」
洞窟の、さらに奥に続く穴に入って三時間ほど経った頃。視線を前方に向けたまま、リリエリは独り言のようにぽつりと言った。
魔本の灯りが照らす先は、周囲と同じく大きい岩が不規則に転がっている。飽きるほど見た景色だ。でも、なんだか違和感がある……ような気もする。違和感がないような気もする。
「そう……か?」
「……正直、変だって断言はできないんですけど。ヨシュアさん、この辺りの横壁って壊せたりします? こう、殴ったり蹴ったりして」
「無理だ。流石に素手で岩の壁は壊せない」
手近にあった岩壁に触れただけでも、かなりの強度を持つことが伺えた。そうでもないと、洞窟なんて形成されないだろう。余程のことがない限り崩落の心配はない、というのは心強い限りだが。
「なんで壁を壊したいんだ」
「いえ、この壁、どれほど硬いのかなって。ヨシュアさん、あの天井付近がキラキラ光ってるのが見えますか?」
「ああ、光ってるな。結晶か……?」
「ヨシュアさんなら届くと思うので、取ってもらってもいいですか?」
リリエリは腰元に下げたロックピックを差し出そうとして、止めた。ひょいとよく伸びる猫のように手を掲げたヨシュアが、凸凹した天井に生えている結晶を事もなげに素手でぶち折ったためである。
やっぱりこの人岩壁くらい普通に壊せるんじゃないかな、とリリエリは思った。
「採ったぞ」
「ありがとうございます。もらっても?」
軽く頷いたヨシュアは、リリエリに灰色の結晶を手渡した。それは金属光沢があり、立方体に近い四角柱がいくつも寄り集まったような形をしていた。
リリエリはリュックから白い布きれを取り出し、地面に敷いた。その上に結晶を起き、躊躇いなくロックピックを振り抜く。ザリ、と潰れるに近い音がして、採れたての結晶はあっという間に粉々になった。
「硬度は低め。インクルージョンはなし。ほぼ直角にへき開する不透明の結晶……、ギアライトです」
「初めて聞く」
「取り立てて名前を挙げるような石ではないですね。どこにでもあるし、脆いし、すごく綺麗なわけでもないので」
「確かに柔らかかったな。武器にはならなそうだ」
ただ、とだけ口を零し、リリエリは黙り込んだ。砕けたギアライトをじっと見つめて、深く何かを考え込んでいる。
小さな手が欠片を一つ取り、それを魔本の炎に翳した。キラリと反射する光がヨシュアの目に入る。リリエリは綺麗なわけじゃないと言っていたが、こんな場所では灰色だって明るいものだ。
ヨシュアはなんとなくギアライトの欠片を一つ拝借し、自らが唯一持ち込んだポーチに入れた。空っぽだったポーチが、ほんの一摘みのギアライトが入ったポーチに昇格した瞬間であった。
「やっぱり変です。このギアライト、酸化していません」
「…………? 詳しく頼む」
「ギアライトは酸素に触れると酸化皮膜というものを形成します。簡単に言うと、表面がどんどん黒ずんでいくんです。
でも、このギアライトは黒くなっていない。割れた断面とほとんど同じ色をしている」
「確かに。……だが、それはそこの天井にできていたものだ。常に酸素には触れているだろう」
「……はい。ずっとあそこにあったのなら、真っ黒になっていてもおかしくないです。でもこのギアライト、表出してから五年も経ってないですよ。だから、」
リリエリは天井を見上げた。ぼんやりと炎に照らされたギアライト結晶が夜空の星のように輝いている。凸凹の天井に輝く星は、いずれも……灰色だ。
「地殻変動でもない限り、こんな、ことは……」
言いながら、リリエリは嫌な想像が頭の片隅に湧き上がるのを感じていた。
あの天井の凸凹、似たような形をつい最近見かけたような気がする。いいや見かけたどころじゃない。私は昨夜、長い時間、ずっとアレに向き合っていただろう?
あの凹凸、アレはまるで歯型みたいだ。
「地殻変動ね。心当たりはあるな」
ヨシュアは徐ろに足を踏み鳴らした。どん、と低い音が静かな洞窟内に響く。
偶然だ。偶然だろう。偶然であるべきだ。
まるでそれに返事をするかのように、正解だとでも言うかのように、ずずんと洞窟全体が揺れる。
今までで最も強い衝撃であった。道の先からも後ろからも、まるで呼応するみたいにドンと大きい音が重なり鳴り響く。
リリエリは立っていられなくなり、洞窟の壁に縋るようにしてズルズルと地面に座り込んだ。
もはや疑いようもない。自分を誤魔化すこともできない。この洞窟の奥の奥に、確かにソレが存在している。
――枢石喰らい。
強い風のような音が聞こえていた。それが自分の呼吸音だということに、リリエリは気づくことができなかった。
「この横穴は、枢石喰らいが作ったものじゃないか」
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