第32話 エリダの枢石窟⑮
気を取り直して冒険の再開である。
安全確認は昨夜も実施したが、今日も今日とて怠るリリエリではない。魔本の炎を穴の中に差し入れ、変化がないことを確認後。周囲には魔物の気配もなさそうだ。
内部の様子も昨日と変わったところはない。……一部を除いて。
「リリエリ」
「……この穴の先、どうなってるんでしょうか」
「穴というか……この壁なんだが、」
「未踏の洞窟ですからね、慎重に進んでいきましょうね!」
穴の入口を少し進んだところにある壁の一角。記憶の限りでは、枢石の薄膜がここら一帯を覆い尽くしていたはずだ。ヨシュアが両腕を広げても足りないほどの面積。視界の殆どが赤銅色に染まっていた世界。
……今は、大半が鈍い岩肌に変わり果てている。上部に残る赤銅色が、辛うじて記憶に残る壁の様子と、目の前に聳える壁とを結びつける縁であった。
赤銅色と鈍色の境は、リリエリが背伸びをしたらぎりぎり届く程度の高さである。彼女の手の届く範囲の枢石を根こそぎ取り尽くしたら、ちょうどこんな感じの景色が形成されるだろう。
「なんというか、……採ったな」
「採れたので……」
さぁ進みましょう。さぁ。さぁ。
リリエリは目に見えて急いた様子で先を促している。まぁ本人が良しとしているなら良いのだろう。ヨシュアは現状をあっさり受け入れて、リリエリと共に探索を再開することにした。
■ □ ■
「足場がかなり悪いですね」
「そうだな。でかい石がゴロゴロしてる。というか、今までの道がやたらと整頓されていた感じだ」
「きっと過去に探索した方々が端に除けるなりしてくれたんでしょうね。……彼らはどうしてこの穴の先には進まなかったんでしょうか」
「……わからない。けど」
ヨシュアは前を行くリリエリの両肩を掴み、その歩みを止めた。と、同時に暗がりから飛び出した何かがリリエリの目の前を通り抜けていく。
「ああいうのがいるからかもしれない」
「ひぇ……」
ガン、と重い音の後に上から降ってきたのはサソリであった。ハサミの先から尾のツメまで含めると子供程度の全長がある、大きなサソリだ。暗い赤色がなんとも毒々しい。
どうやらリリエリの目の前を過ぎっていったのは、このサソリの尾のようだ。
「尾の先に三本のツメ、……トライテールだ」
「それはなんだ」
「洞窟性の有毒サソリの一種です。尾のツメに毒があります。死にはしませんが、焼けるような激痛を感じる……らしいです」
「へえ」
何気なくヨシュアが伸ばした手を、リリエリは無言で叩き落とした。
なんて危ないことをするんだこの人は。ヨシュアが投擲した石により、トライテールは動きを止めているものの、いきなり息を吹き返す可能性だってあるというのに。
……というか、この人なら死んだサソリの毒針にもうっかり触れちゃいそうだ、とリリエリは思った。ヨシュアはリリエリの想像を余裕で越していくほどに強いが、その分だけ迂闊な節がある。
「痛い」
「すみません。咄嗟に。……トライテールの毒が欲しいんですか?」
「違う。ただの好奇心だ。マチェットを下げてくれ」
リリエリは構えていたマチェットを腰元に戻した。必要ないのであれば、無理に解体しなくていいだろう。安全に毒だけ回収しようとすると、少しばかり手間がかかるのだ。そもそもの話、リリエリは魔物は専門外である。
それにしても、とリリエリはトライテールを眺めた。このサソリは肉食の魔物だ。肉食の魔物がいる、ということは食べられる側の魔物もいるというわけで。
「もしかしてこの先、結構魔物がいたりします?」
「……まぁ、それなりに」
ヨシュアの言う"それなり"ってどれなりなんだろう。リリエリは幾度となく抱いてきた不安をここでもう一つ抱え込んだ。逆に考えるんだ、でも今ならヨシュアが隣にいるぞ、と。
「……もっと警戒しますね」
リリエリはマドの魔本をギュッと握りしめた。灯す炎が変化することはない。単なる気持ちの問題である。
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