第29話 幕間/ヨシュアの過去




「『緋蒼』のことは話すなと言われているんだ」


 乾物を適当に煮込んだスープを啜りながら、ヨシュアは淡々と言った。ヨシュアの話を聞かせてほしい、に対するアンサーは、さっぱりとした拒絶であった。


 ギルド『緋蒼』。人の口上に登る際には、頭に"伝説の"などという装飾がつくこともある、本国トップレベルのギルドの一つ。

 だがその実態を詳しく知るものは、恐らく『緋蒼』構成メンバーのみ。ヨシュアの口ぶりから察するに、メンバー全体に徹底した箝口令を敷く秘密主義のギルドなのだろう。


 他の追随を許さない強さ。神秘的なまでに秘匿された存在。これらの要素が、ギルド『緋蒼』を伝説たらしめている。


「……そういえば、マドの工房でもそんな話をしていましたね。無理を言ってすみません」


 リリエリもまた、自身の椀に取り分けた出来立てのスープを啜った。塩気が少なく、味はそこそこであったが、じんわりと広がる温かさが心と体を休めていく。


 『緋蒼』の元メンバーヨシュア。しかし今は『断ち月』のギルドマスターであり、リリエリのたった一人の同僚とも言える。

 ヨシュアのことを知りたいと思った。もう彼に恐怖を感じなくてもいいように。


 ……それだけだろうか?

 

 『緋蒼』の話を聞けずとも、ヨシュアについて知ることは可能だ。

 好きな食べ物は? 好きな本は? 魔法が使えたら何をしたい? それだけでいい。ちょうど道中でヨシュアがリリエリに対してやったみたいに。

 『緋蒼』の話が聞けなくたって、なんの問題もないはずだ。


 ……じゃあ、自分はどうして落胆しているんだろう。


 リリエリはもう一口スープを啜った。無言。なんだかスープが味気ない。カチャ、と木製の食器同士がぶつかり合う音だけが聞こえる静かな世界。


「……オレは、知らないことが多い。

 何を言ってはいけないのか。どこまでなら話していいのか。何が常識で、何が非常識なのか。……わからないから、全部言わないつもりだった。そっちの方が楽だしな」


 でも、とヨシュアは顔を上げた。リリエリと目が合う。初めて会ったときに見たものと同じ、闇みたいな真っ黒な目。その目が何を見てきたのかを知りたい。


「全部話すなって言われてるわけじゃない。オレがちゃんと考えて、選んで話せばいい。それだけのことなんだ」


 ああそうだ、この感覚。父親に冒険譚をねだった、あの日の自分が抱いたものと同じ。

 壮大な冒険に心躍らせる気持ち。未知の世界を知ることができる楽しさ。


 リリエリは思い出した。冒険者になりたい。そう初めて思った日のことを。

 

「アンタが聞きたいって言うなら、話すよ。上手く言えるかは……わからないが」



■ □ ■



「物心ついたときには、アンタらが言うところの壁外にいた。親の顔を知らないし、ろくに教育も受けちゃいない。

 そのまま十数歳くらいまで壁外でふらふらと適当に生きていたんだが、ある時レダたち『緋蒼』の……、メンバーに拾われたんだ。オレはそのまま『緋蒼』の一員になった。


 一応必死に生きてきたから、腕に覚えはあったんだ。そうして言われるがままに適当に魔物を斬ったりしてたら、なんか知らないがS級冒険者になってた。


 ……で、今に至る」


「大胆に端折りましたね」

「いや、……うん。いろいろあったから」

「倒した魔物の話とか、不思議な植物とか、別の国についてとか、そういうのって聞けたりします?」


「魔物……いろいろ斬ってきたけど、一番覚えているのはアレかな。デカい龍」

「それ、もしかして邪龍ヒュドラですか?」

「わからん。体表がデロデロしてて、触ると痛かった。あと頸がたくさんあった」

「ヒュドラですね」


「その龍、再生するんだ。でもブチ切れたレダが燃やしたら再生しなくなって、その後ス……、いや、オレたちで袋叩きにして勝った」

「その、邪龍の頸を落としたっていうのは」

「オレがやった。みんなが助けてくれたからできたことだ」

「はぁ……あの噂は本当だったんですねぇ」


 邪龍ヒュドラ。五大厄災とも呼ばれる、魔物の祖とされる怪物の討伐。

 間違いなく歴史の一幕を飾る出来事を、当人の口から語られている。これはもしかしてかなり貴重な体験なんじゃないか。

 一週間前の自分に言っても信じまい。リリエリはなんだか愉快な気分だった。ここは壁外、それも洞窟のど真ん中だというのに。


「邪龍の毒って採取しました?」

「いや、全部燃えたから……。というか、アンタにとっては毒も採取対象なんだな」

「採れるので……」


 そうか、とヨシュアは頷いた。その目がちらりと一瞬手元のスープに向けられたことに、リリエリは気づくことができなかった。僥倖である。


「……オレばかり話すのもなんだろう。そろそろアンタの話を聞いてもいいか」

「私ですか? いいですが、面白い話ができる自信はないですよ」

「いや、アンタの採取話は面白い気がする。だが今は、……別の話が聞きたい」


 なんだか歯切れの悪い言い方だった。

 ヨシュアの視線はあらぬ方向、ただの暗がりに向けられている。次に言う言葉を悩んでいるような仕草だ。

 ヨシュアは口の上手い人間ではない。既にそのことを知っているリリエリは、ヨシュアを待つことが苦にはならない。


 ずず、と再び軽い振動が響いた。その音に急かされるようにして、ヨシュアはゆっくりと口を開いた。


「気分を悪くしないでくれると嬉しいんだが、その、……アンタの足の話を」


 足。動かなくなってしまった右足。紋章魔術によって、辛うじて人並みの動きをこなすリリエリの足。


 思えば、今まで問われなかったことの方が不思議であった。ギルドメンバーであり、共に冒険する仲間が抱える身体的不利。そもそもいの一番に共有しておくべき事項だっただろう。


 リリエリにとって楽しい話ではない。だが、リリエリたちにとって必要な話だ。


「つまらない話になりますが、聞いてくれますか。……私がお父さんみたいに強い冒険者になる夢を、諦めた日のことを」

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