第26話 エリダの"枢石"窟⑨


「よ、よか、良かった……もう本当に駄目かと、私、冒険者に戻れないんじゃないかと……!」


 リリエリはぺしゃりと座り込んだ。ごろごろと石を踏んづけてしまって、少し痛い思いをした。だが首の皮一枚繋がった安堵感の前ではそんな痛みは些事である。


 ここまでの道中に枢石はなかった。しかし、より深い地層であれば、可能性はまだ残されている。転移阻害の原因となっている鉱石も、この先にあるかもしれない。

 これらの鉱石が見つかれば、洞窟は大きな価値のある場所だと示せる。転移結晶設置の功績が、ぐっと大きいものになる。……ともすれば、リリエリをS級冒険者に押し上げるほどに。


「以前の冒険者は、どうしてさっきの場所に転移紋章を描いたんだろうな。……ここは最深部じゃないのに」

「大規模の紋章を描くために広い場所が必要だったから、ですかね? 複雑な紋章で、なんとか転移を成功させようとしたとか……?」

 

 かもしれない、とヨシュアは相槌を打ってくれたが、リリエリは自分の答えに釈然としていなかった。

 しかし過去のことばかり考えていても答えは出ない。大事なのは、今目の前に広がっている深い闇のことだろう。


「……今更なんだが、枢石ってなんだ」

「え、っと、枢石というのは、転移結晶と紋章魔術の繋ぎの役割を果たす鉱石です。事実上、転移結晶と同じくらいに重要なものとされています。代替がないわけではないので、転移結晶の希少性にはとても及びませんが」


 ご存知ないんですか、と続けそうになり、リリエリは寸でのところで言葉を止めた。冒険者であれば誰でも枢石を知っている。それが自分の偏見であると気づき、恥じたためである。

 しかし転移結晶は生活において必需品だ。それを補助する役割を持つ枢石もまた、日常で耳にする機会が多い鉱石のはず。


 ……いや、まぁ、この人たった二人でギルドを作ろうとしてたしな。

 

 リリエリは一人納得した。ヨシュアの知識は偏りが多い。だからこそ、自分が彼の力になれる余地が生まれるのだろう。

 戦いは全てヨシュアに任せきり。ならばせめて、自分のできる範囲においてはヨシュアのことを助けたい。


「枢石ってのはどんな見た目をしてる?」

「赤銅色の結晶です。見た目は水晶に近いですが、色と透明ではない点で区別されます」

「アレはどうだ」


 ヨシュアは暗闇の奥を指し示した。魔本の灯りでも届かない、暗がりの奥。近づいてその場所を照らすと、大量の小石が転がっているのがわかった。

 リリエリは一つ一つを拾い上げ、丹念に眺めた。これはただの石、これもただの石。こっちは一部に紫雷と呼ばれる鉱石が混ざっているけどただの石。こっちもただの石、一部に赤銅色を呈しているが……。


「……ん? 赤銅色……?」


 リリエリは拾い上げた鉱石をじっと見つめた。光の近くで矯めつ眇めつ眺めてみると、どうも枢石に近い色をしている。


「赤い色が見えたから、枢石かと思ったんだが……違ったか」

「違……くないような、違うような……。枢石は六角柱のクラスターを作るので、自然界ではこのように平坦にはならないはずなんです」


 拾った石をヨシュアに投げ渡し、リリエリは別の石塊を探し始めた。似た色味、様子を持つ石はすぐに見つかった。そちらも一部が赤銅色をしており、鋭い刃で力任せに断ち切ったかのように平坦な表面を持っていた。指で撫でると多少の凸凹は感じるが、およそ真っ平らである。

 リリエリはロックピックハンマーを取り出し、その石を叩き割った。中に赤銅色はない。まるで石の一部を枢石でコーティングしたような、妙な姿だ。


「……うん、赤銅色だが、クラスターって感じはないな」

「ですよね。……見た目じゃなくて、特性で判別しましょう」

「そんなことできるのか」

「枢石は非常に魔力の伝達効率が良い鉱石なんです。なので、これが本物であれば、紋章魔術を動かすことができる」


 マドの魔本の一頁、炎の紋章は円形の魔法陣である。最も外側の円にちょうど指一本分程度の切れ目が入っており、使用する際にそこを指や手で塞ぐことで起動する仕組みになっている。

 手元にある奇妙な石、もしもこれが枢石なら、指の代わりに置くことで紋章魔術が起動するはずだ。


「炎が灯れば枢石です」


 リリエリは魔本から手を離した。ふっと炎が立ち消える。そして先ほど拾った石の赤銅色の部分を下にして、紋章の切れ目にそっと置いた。


「……点いたな」

「……点きましたね」


 魔本の上で炎が揺れる。

 動揺しているリリエリのことなど一切慮るつもりのない、素知らぬ様子で輝く光。リリエリによって生み出された炎と全く同じ姿。


 どうやらこの石ころこそ、人々が探し求めて止まない鉱石、枢石である。……らしい。

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