第24話 クエスト失敗ですね
端まで光が届いていない。広い空間であった。先程まで両手を伸ばせば簡単に左右の壁に触れられるような、狭い道ばかり通ってきたというのに。
「随分広いところにでたな」
周囲に反響しない分、ヨシュアの声がとても小さく聞こえる。手元の灯りがなければ、すぐに離れ離れになってしまいそうだ。
「周辺の状況を探りましょう。魔物の気配とかありますか?」
「ない」
「ではひとまず壁に沿って左回りに一周しますか」
リリエリは魔本を掲げ、自分の左手の壁に近づき……気づいた。壁際に、他の冒険者の痕跡が落ちている。ぼろぼろに風化した上着や、先の丸まったピッケル、もはや原型を留めていないがおそらく本のようなもの。
過去の冒険者もここまでは辿り着いていたらしい。
魔本の灯りはちらちらと揺れながらも、しっかりと光り輝いている。そっと壁に手を添えながら、リリエリはゆっくりと歩き出した。
「なんか色々落ちてるな」
「そうですね。広い空間ですから、前の冒険者の方はこの辺りで休憩を取っていたのかもしれません」
最大限に警戒しているし、それはヨシュアも同じだろう。その上で、この場所からは魔物の気配が全く感じられなかった。ここまでの道すがらではちらほら魔物の姿があったのだ、急にパタリと静かになっては不安ばかりがいや増す。
ずっと壁際を沿って移動しているため、この空間の中央は未だ闇に覆われたままだ。気配はない、物音もない。だけどそこに何がいる……、なんてことがあればどうしよう。
「ヨシュアさん、なんかここ妙に静かですけど、魔物とかいないですよね……」
「いない。……なにか、魔物避けがあるんじゃないか」
魔物避け。
特に紋章魔術において、強く研究が進められている分野である。
世界は魔力に満ちている。そして、魔力に満ちた世界は常に魔物の脅威に曝されている。
人々は魔物から身を守る術に熱心になった。武芸を磨く者、強固な砦を築く者。中でも、ここ数十年にわたり最も頼りにされている技術が紋章魔術である。
主要な都市をぐるりと魔物避けの効果を持つ紋章を刻んだ壁で囲い、転移結晶を介して壁外に出ることなく都市間を移動する。紋章魔術の発展と転移結晶により、人々は安全な生活を手に入れた。
……その弊害として、転移結晶を介さない都市間の移動は非常に難しくなってしまったが。
壁外の街路はろくに整備されず、都市とそのごく近辺以外の情報はほとんど得られない。壁内の安全の代償に、壁外はより危険な世界となった。
一般の者は許可なく壁外に出ることはできない。
ギルドに登録された冒険者になること。今日では、これが壁外へ出る唯一の手段となっている。
「魔物避け……洞窟に? ヨシュアさん、まだ一周していないですが、先に中央を確認してもいいですか」
「アンタに従う」
リリエリは低い背を精一杯伸ばし、高く高く魔本を掲げた。より広域に光が届くようにするための、涙ぐましい努力である。
じりじりと壁から離れ、中心へ近づく。靴と地面とが擦れる音が、やたらと大きく耳につく。大振りな石、凸凹した地面。そして、真っ白な線が一筋。
「……魔術、紋章」
線はゆるやかに湾曲していた。その先には細かい文字や記号が敷き詰められており、リリエリが一歩近づくたびに白く地面に浮かび上がっていく。
リリエリは紋章魔術には明るくない。それでもこれが、優れた紋章魔術師によって刻まれたものであることは一目で理解できた。年月によりほとんど消えかかっているが、間違いない。
「これは転移用の魔術紋章です」
「転移用? 魔物避けじゃないのか」
「転移用の魔術紋章は、大抵の場合魔物避けも組み込まれています。転移した先に魔物がいたら、大変なことになっちゃいますから。正確な解読ができないですが、……これも恐らく、その類かと」
リリエリが精一杯背伸びしてもその全容がわからない、非常に大きな紋章であった。何故か転移ができない洞窟だと聞いている。過去の冒険者は、あらゆる手を駆使して転移を成功させようとしたのだろう。その努力は、実らなかったが。
しかし、ここに転移用の魔術紋章があるということは。
「……ここが、最深部なのか?」
「まさか、だって、ここまで枢石の一つも見ていないのに……」
言いながら、リリエリ自身も悪い予感に駆られていた。枢石がないと、この洞窟の重要性はぐっと低くなる。重要でない洞窟を攻略したとて、S級冒険者にはなれないだろう。
「ここは"エリダの枢石窟"じゃないのか?」
「"エリダの枢石窟"の、はず、です……。この紋章、未完成なんですよ。中心に据え付けられるべき転移結晶がない」
「……ああ、転移がうまくいかなかったから、仕方なく転移結晶だけ持って帰った、ってことか」
転移結晶は希少な鉱石だ。
女神テレシアの祈りが形をなしたものなどとも言われており、魔物の脅威が蔓延るこの世界において最も重要視されている物質である。起動しない魔術紋章に置いていけるほど気安いものではない。
「転移ができない状況ってかなり特異的なので、十中八九ここが"エリダの枢石窟"でしょう。なので、ええと、これは、つまり」
不思議な気分だった。どうしてか今だけは、ヨシュアの考えていることが手に取るようにわかる気がした。言葉にせずとも、通じ合っていた。
それでも、それでもリリエリは口にした。そうでないと現実を直視できないと思ったからである。
「……クエスト、失敗ですね」
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