第23話 エリダの枢石窟⑥



 遅めの昼食はつつがなく進行している。

 もそもそと乾物を食べるヨシュアの姿を見て、ああこの人はしっかり人間だなと再確認したのは内緒の話だ。一方のリリエリはぎりぎり人が飲み込めるレベルの苦さを誇る緑の液体を啜っていたのだが。


「さっきのロックバット、なんか変でしたよね」

「そうか?」

「ロックバットは外敵に鈍感なので、あんまり動き回る魔物じゃないんですよ。それなのにあんな数が一斉に移動するなんて……この先で、何かが起きているのかもしれません」


 そうか、と聞いているのかどうか微妙な範囲の相槌を打ったヨシュアは、洞窟の奥に目をやった。そこにはまだ石壁が突き立っており、見えるものなど何もないはずだが。


「……この石壁、なんとかなるのか? 壊したほうがいいか?」

「なんとかなります。壊さないでください。こんな狭い場所であなたに力を振るわれると死にます。私が」


 リリエリは光を灯す魔本を閉じ、再び石の頁を開いた。それをそっと石壁に近づけると、その一角がまるで早回しのように地面へと吸い込まれていく。……のだが、暗いので当然見えていない。


「魔本一つで洞窟探検は無理ですね……頁を変えるたびに灯りが消えるのは、ちょっと」

「まあ、灯りはあったほうがいいかもな」

「ですね。……そういえば、簡易のライトならここで作れますよ。持ってもらってもいいですか」

「うん」


 誰かに荷物を託すこと。いつも一人で採取をしていたリリエリには久しくなかった経験だった。誰かに守ってもらうなんて考えたこともなかったし、壁外で誰かと食を共にすることもない。

 ……これが、仲間。


「……どうした」

「いえ。……『断ち月』、存続させましょうね」


 静かな洞窟の中で、自分の声がやたらと大きく響いて聞こえる。リリエリは気恥ずかしくなって、慌てて言葉を続けた。


「あの、ライト、今ここで作ります! ここで魔術紋章を描きます」

「そんなことできるのか」

「マドみたいに一から効果を考えながら描くことはできませんが、魔本に書かれたものを写すくらいは」


 リリエリは魔本を再び火の頁に戻した。石壁には先程作ったばかりの魔本一冊分の隙間ができている。向こう側は暗闇だ、コウモリの羽音も、生き物の気配もなにもない。


 リリエリは鞄から掌ほどの大きさの木片と、赤色のチョークを取り出した。

 チョークは不格好な石ころみたいな形をしており、いかにも手作りの一品だ。木片には小さい穴が穿たれており、そこから麻紐が伸びている。


 リリエリはゆっくり丁寧に魔本の紋章を写した。ヨシュアはただ黙ってそれを見ていた。

 単純な記号をいくつか並べ、最後にぐるりと円で囲う。線の端と端が繋がった瞬間、毛羽立った木片が光となった。これで簡易のライトの出来上がりだ。


「ヨシュアさん、こちらを。周辺に魔力がある限り常時光り続けるので、不都合になったら紋章を消すか、丸ごと叩き割ってください」

「わかった。ありがとう」

「……引き続き、よろしくお願いします」


 リリエリは先程と同じように魔本を石壁に近づけ、人間一人がやっと通れる程度の道を作った。

 "エリダの枢石窟"は未だ半ば。冒険の再開である。

 


■ □ ■



 ロックバットの群れが通り過ぎてから、洞窟内の環境に変化が生じていた。

 今までは物音も何も一切しない道のりを進んでいたが、道の奥や暗がりの端などに微かに生き物の気配を感じ取るようになった。大半はただそこにいるだけの無害な魔物であったが、中には襲いかかってくるものもいた。

 先頭を歩くのはリリエリだ。魔物の標的はほとんどリリエリであったが、例によってヨシュアが素手で軒並み叩き落している。洞窟の探索は順調と言っていいだろう。


 また一匹、暗がりから飛び出してきた大きめの何かに向かってヨシュアの拳が落ちる。例によって咄嗟に防御態勢を取ってしまったリリエリは、何が飛び出してきたのかを確認する余裕なんて持てなかった。魔物はヨシュアの手によってとっくに元いた暗がりに叩き戻されている。


「ヨシュアさんって、デスサイズさんですよね。大鎌使いなんですよね」

「うん。『緋蒼』にいたときはずっと使ってたな」


 武器も持たずにこの強さか。元々の得物である鎌を持たせたら、この男はどれほど強くなってしまうのだろう。リリエリは想像しようとして、……やめた。楽しい構図が一切浮かんでこなかった。


「そういうアンタは、拳闘士か?」

「……いえ、私は戦いはできないですよ。どうしてそう思ったんですか」

「……アンタは身を守るとき、まず拳を握り頭部を庇う。咄嗟にマチェットに手が伸びない」

「このマチェットはあくまで採取のためのものですから。でも、切れ味には結構自信があるんですよ。枝でも蔦でもなんでもバッサリです」


 洞窟の中では使う宛がないが。それでも、良くできた刃物が手元にあるというのは、リリエリにとって大きな安心の元である。


 洞窟の道は緩やかに緩やかに下方へと続いていた。今ではもはや冒険者が辿り着いた形跡はほとんど見当たらず、足元の環境も非常に悪い。突き立った岩肌にリュックサックが引っかかることもしばしばあった。人一人が通れるかどうかやっとの狭さの道もあり、上背のあるヨシュアなどは酷く苦労をしながら進む場面もあった。


 だが、どうやらここから先はそんな苦労をしないですみそうだ。

 狭い道のりをようやく超えたリリエリの目に入ったのは、大きな空洞。


 "エリダの枢石窟"冒険開始からおよそ六時間。

 奥も見えないほどに巨大な空間は、唐突に二人の目の前に現れた。

 

 

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