第19話 エリダの枢石窟②


 好きな食べ物。こんな時に聞くことじゃない。ならばこそ、きっとヨシュアにとっては大きな意味のある問いなのだろう。彼の真剣そうな顔が、その証左である。


 リリエリは考えた。大真面目に、自分の食の好みを。答えはすぐには出なかったが、ヨシュアはただじっと待ってくれていた。

 オムレツもそうだが、ポテトフライも好きだ。毎日飲むという意味では、ミルクこそが好きな食べ物と言えるのかもしれない。……これは飲み物か? 飲み物は除外すべきか?


「好きな食べ物は、オムレツです」

「うん」

「…………あの、ヨシュアさんは何がお好きなんですか?」

「……肉、とか」

「そうなんですね」


 終わった。

 ぷつりと途切れた会話の糸は、誰にも拾われることがないまま洞窟の暗がりに落ちて消えた。真剣な顔で互いの好物を語る冒険者二名に挟まれた魔本の灯火が、風もないのにゆらりと靡く。心なしか居心地が悪そうに見えた。


「…………あの、この質問にはどういった意味が?」

「いや、深い意味は、ないけど。……前に進もう」


 話を逸らされた、ような気もするが。

 とりあえずこの微妙な空気から離れたい一心で、リリエリは素直にヨシュアの言葉に従った。


 灯火で前方を確認。生物の気配、なし。冒険の再開である。


「なかなか平らな場所に出ませんね。もう少し進んでも傾斜が続きそうなら、諦めて斜めのところで休みましょうか」

「そうだな」


 "エリダの枢石窟"に入って一時間といったところか。

 入口付近よりずっと少なくなっているものの、洞窟内には時折冒険者の痕跡が残っていた。まだまだ未踏と言える領域ではないようだ。


 困難な地形はないものの、珍しい鉱石などがあるわけでもない。魔物も出ないし、妙なガスが溜まっていることもない。現時点では、どこにでもあるただのつまらない洞窟だ。

 枢石――特に大型の転移結晶の安定化に使われる価値のある鉱石であるが、そのようなものも見当たらない。枢石窟とはなんだったのか。違う洞窟に入ってしまったのだろうか。


「…………」


 リリエリは注意深く周囲の岩肌を観察した。この洞窟が"エリダの枢石窟"であるという確証がほしかった。コンパスの針や太陽の向き、おおよその移動距離から、恐らくここは"エリダの枢石窟"なのだろうが、やはり枢石の存在は確認したいところだ。


「…………」

「…………ええと」


 怪しい岩肌が見られれば、持ち込んだロックピックハンマーで削り、断面を確認するなどもした。今のところ当たりは見られないが、この洞窟が頑丈な造りであると知れたのは僥幸だ。


「…………今日は、良い天気だな」


 洞窟ですけど? 


 なんだ? さっきから何が起きている?

 当たり障りのない会話を散発的に発生させることで起動する魔法かなにかか?

 遠い国には魔物をテイムする技術があると聞くが、その類だろうか。『緋蒼』は国内外問わず様々な土地で活躍したと聞くし、ヨシュアがそういった謎技術を会得していてもなんら不思議ではない。


「外、晴れてて良かったですよね。雨とか降ったら魔物の痕跡が流れちゃいますし、荷物が水を吸うと重くなりますし」

「そう、だな。荷物……、そう、荷物といえば、アンタ色々持ち込んでるが、どういう物を持ってきたんだ?」

「えっと、ロープとか筆記具とか清潔な布とか、あと食料ですね。鞄は大きいですが、中身はそんなにないですよ。採取したものを入れるためにスペースを開けてあるんです」

「準備がいいんだな。手慣れている」

「まぁ、私、道具がないと無力ですからね。というかヨシュアさんの荷物が極端に少ないんですよ」


 ここまでの戦いっぷりを見るに、ヨシュアに必要な道具などそう多くはなさそうだが。身一つで壁外に飛び出せるヨシュアの、なんと羨ましいことだろう。


 再び会話が途切れた。

 背後から深く考え込むような気配を感じる。ヨシュアはどうも会話を長引かせようと意識しているようだ。なんのために? 

 暗闇が怖いとか……いや、安直すぎるか。文字通り桁外れの戦闘力を持った男が怖がるものなど、想像がつかない。ヨシュアはリリエリとは違うのだ。


 沈黙が重い。

 リリエリからも何か話し出すべきだろうか。


「あの、ヨシュアさ、っ!」


 唐突にリリエリの首元が掴まれ、後方に引っ張られた。ヨシュアに抱きとめられる形となったが、とてもロマンチックになれるような状況ではなかった。


「揺れてる」


 端的にヨシュアが指摘する。魔本の炎が、風もないのにたゆたっている。

 唐突な状況の変化に、リリエリの手が震えた。どうしよう、抑えてきたのに。自覚してしまった震えはそう簡単には止まらない。


「……なにかくる」


 ヨシュアにも、手の震えを指摘する余裕はなさそうだ。


 闇の中、唐突に現れた生き物の気配が一、十、百、それ以上。夥しい数のなにかが、こちらに近づいている。

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