第18話 エリダの枢石窟①


 リリエリは洞窟に向かって精一杯腕を伸ばした。魔本の炎はほんの少し揺らめいただけで、消えることも強くなることもなかった。


「どうやら安全そうですね。行きましょう」

「先導を任せていいか。アンタを常に視界に入れておきたい。見失ったら困る」

「えっ、わ、わかりました。カナリアを持っているのは私ですし、私が前を歩く方が合理的ですよね」


 では、とリリエリは洞窟に一歩踏み込んだ。

 ひんやりとした空気が足先に纏わりつく。若干カビたような臭いが鼻を突くものの、異臭といえるものはない。奥を見れば、荷馬車が一台入れる程度の空洞が闇の向こうへと続いている。

 

 無意識に固唾を飲んでいた。ソロで洞窟に挑んだ経験はあるが、それは既に多くの冒険者に踏破され、一定の安全性が担保されていたものだけだ。中がどうなっているのかわからない洞窟に潜るのとはわけが違う。特に事前にしっかりと準備をし、魔物との遭遇を徹底的に回避してきたリリエリにとって、情報がないこと自体が恐怖の源であった。


 ちらりと後方を振り返ると、逆光になったヨシュアのシルエットが洞窟の入口で佇んでいる。前門のエリダ、後門のヨシュア……なんて。


「なにかあったか」

「いえ、何も」


 計らずも自らの落ち着きを取り戻したリリエリは、改めて前に向き直った。

 私にはマドの魔本があるし、緊急時には転移結晶で帰還することもできる。そしてなにより"怪物"ヨシュア=デスサイズがついている。


 今の自分にできるのは進むことだけ。

 一寸先の闇に向かい、リリエリはそろりと足を踏み出した。



■ □ ■



 太陽の光はあっという間に届かなくなった。塗りつぶされたような暗闇の中を、ただ魔本の灯火だけを頼りに進んでいく。

 意外にも洞窟内の環境はそう悪くはなかった。大きな岩は端に退けられ、尖った部分には布が巻き付けられている。過去の冒険者による所業だろう。道の端に打ち捨てられた荷物のような影を見ることもあった。


「なぁ、剣が落ちてる」

「使えそうなものですか?」

「無理だ。柄が折れてるし、刃も潰れてる」

 

 以前の冒険者はどこまで踏み入り、そしてどこで引き返したのだろう。引き返す要因は魔物か、物資の枯渇か。いずれにせよ、この先も易い道のりではない。


「あの、休憩とか必要ですか? そろそろお昼も過ぎた頃ですが」

「アンタに合わせる」

「じゃあ平らな場所にでたら休憩しましょう。ちょっとここ、傾斜がありますから」


 洞窟は緩やかに下へと伸びていた。聞こえてくるのは互いの歩行音だけ。魔物すらいない、全ての生き物が絶えてしまったかのような静寂であった。


「……静かだな」

「そうですね。魔物もいないみたいです」


 リリエリが蹴り飛ばした小石がカツンカツンと転がっていく。魔物との遭遇は避けたいが、こうも静かだとどうにも落ち着かない。とうに不可知の魔物に囲まれているのではないか、という突拍子もない疑念すら湧いてくる。単なる妄想だ。……と、頭ではわかっているが。


「…………」

「…………」


 リリエリは真剣だった。先導を任された身の上、中途半端なことをしては自分はおろかヨシュアおも危険にさらしてしまう。いや、ヨシュアにとって危険なものなんてこの世にないのかもしれないが、それはそれとしてリリエリは真剣だった。

 絶えず紋章魔術の炎に気を配り、常に周囲を警戒しながら前に進んでいく。二股に分かれた道の前では、小石を投げ入れ音の反響を確かめてから進むべき道を決定する。


 堅実、忍耐、実直。

 これがC級冒険者リリエリの三大長所である。


「…………」

「…………なぁ、」


 コン、と高く響いた音の広がりに、リリエリは耳を済ませた。最奥に続く道はどちらか。二人はどちらに進むべきか。


「……右、ですかね」

「右だと思う」


 リリエリは岐路の前で魔本を掲げ、炎の様子を確かめた。問題なし。進める。


「…………」

「…………あの、」


 ここまではそこそこ広さのある道のりだったが、分かれ道の先は少しばかり狭くなっていた。とはいえ、人間二人なら十分通れる広さだ。


「…………」

「リリエリ」

「はい! なんでしょうか!」


 最大限に集中された思考は大抵の些事を寄せ付けないものだが、得てして自分の名前だけは例外である。驚きのあまり魔本を持っていた手が滑り、辺りは一瞬完全な暗闇に落ちた。


「あっすみ、すみません、本を落としました。すぐに灯りをつけますから」

「謝ることじゃない。慌てなくてもいい」

「ページが変わってしまって、探すのにちょっとかかりそうです。暗い中で申し訳ないですが、先にヨシュアさんの話を聞いてもいいですか?」

「あ、うん……」


 ……声が途絶えた。背後から衣擦れの音が聞こえる、言葉を考えてあぐねているような間が続く。

 不安になる間であった。もしやなにか良くない話をしようとしているのでは、という懸念がリリエリの頭に浮上する。


「あの、ヨシュアさん……?」

「ええと、改まって話すようなことじゃないんだが。

 ……好きな食べ物とか、あるか」


 こいつは急に何を言っているんだ?

 それは今聞くことなのか?

 ほんとに改まって話すことじゃないな。

 強いて言うならオムレツですかね。


 声にできない様々な気持ちがリリエリの頭に爆発的に湧き上がる。と同時に、リリエリの指が炎のページを探り当て、唐突に洞窟内に灯りが戻った。


 真っ先に目に入ったヨシュアの顔は、真剣そのもの。つられたリリエリもまた、真剣な顔を作った。


 彼らは必死だった。

 ここは"エリダの枢石窟"。共に真面目な気質を持つ彼らの暴走を止める者は、誰もいない。



 

 

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