第16話 "怪物"ヨシュア=デスサイズ
無双。
この言葉に尽きる。
「ヨシュアさん、右方から獣の歩行音がします!」
「うん」
ヒュ、と風を切る音と共にリリエリの髪が揺れた。ヨシュアが何かを投擲したようだが、リリエリには何を投げたのか皆目検討もつかなかった。拾うモーションも、投げるモーションも、気がついたときには全てが終わっているのだ。
ヨシュアが何かを投げ入れた先、茂みの向こうで何か動物の叫び声のようなものが上がる。微かに見えた黒色の毛、その大きな体躯は魔狼のものだろう。鋭い爪と牙、素早い動きもさることながら、常に群れで行動する習性は多くの冒険者を泣かせてきた。
厄介な魔物だ。もしリリエリが一人依頼に従事していたならば、絶対に避けて通る。例えば魔狼の活動が低下する真っ昼間に時間を改めるとか、強烈な臭いを発する香草を持ち込むとか。とにかく、何が何でも相対したくない魔物である。
エリダ村を発って一時間ほど、リリエリ達は人の分け入った気配のない薄暗い森の中を彷徨っていた。
深い森、特に日光の入らない場所は容易に魔物の巣窟と化す。可能であればこんな場所、迂回するに越したことはないのだ。この森が"エリダの枢石窟"に続く最短経路でさえなければ。
限りある時間が、そして一切問題ないとのたまうヨシュアの言葉が、彼らの足を森に向かわせた。そういうわけで、リリエリ達はまさに今、魔狼の群れの中にど真ん中に突っ込んだわけである。
「あのっ! 囲まれてませんか!」
「囲まれてる。アンタはなるべく動かないでそこにいてほしい」
リリエリは魔物の探知は得意だ。魔力がないと足が不自由な身の上、そうでないとすぐに死んでしまう。
気づいた気配はすぐにヨシュアに報告しているが、これは果たして意味のある行為だろうか。リリエリが声を上げた時にはもう、ヨシュアは行動に移っている。まるでリリエリには見えないものが見えているかのようだ。
樹の上から奇襲を仕掛けた魔狼を易々と避けたヨシュアの腕が、魔狼の頭部を思い切り殴りつける。そのままの流れでヨシュアの足が地面を蹴り上げた、と思ったらリリエリの背後で魔狼が崩れ落ちている。衝撃と共にバラバラと散らばった木片を見るに、どうやら落ちた木の枝を魔狼に向かって蹴り飛ばしたらしい。
デタラメだ。剣も魔法も一切使ってないはずなのに、何が起きている?
ガサガサと周囲の茂みが一斉に唸る。二体、いや三体? わからない、動きが速い、多すぎる。
うちの一体が太い樹木の影からヨシュアに飛びついた。安直な行動だった。最小限の動きで魔狼の喉元を掴み上げたヨシュアは、その勢いを利用して反対側の樹木へと魔狼をぶん投げた。
……罠だ。ヨシュアの死角をついて、二つの影が茂みから飛び出した。人の頭部など丸ごと噛み砕ける程に大きい顎が、ずらりと並ぶ牙をリリエリに向けている。
一体は右方の低い位置から、一体は左方の高い位置から。どちらに対応すべきか、リリエリはほんの僅かに逡巡し、腰に携えたマチェットを抜くことができなかった。間に合わない。リリエリは咄嗟に両腕を挙げ、せめてもと頭部を庇った。
……痛みがこない。
反射的に閉じていた瞼を恐る恐る開く。その光景は、リリエリの眼前にあった。
ヨシュア=デスサイズが、自らの腕を牙の中に突き入れるようにして、魔狼の動きを止めている。
下から迫っていた魔狼は、何があったのか、とうに地面に伏していた。だらりと腕を伝い落ちる血液が、辺りにぱっと散った、と思った時にはヨシュアの腕に喰らいついていた魔狼の体が森の奥へと吹っ飛んでいく。
「これで終わる」
最後の一匹はとうとうヨシュア達の前に姿を見せることも叶わぬまま、投擲された石(だと思う。何しろリリエリには見えないのだ)によってその動きを止めた。
握りしめたマチェットは、結局鞘から抜かれることもなく。先程までの喧騒はあっという間に消え失せた。落下する血の音すら聞こえてくるような静寂が、急速に辺りを席巻していく。
腕からだらだらと血を流しながら立つ青年は、マドの工房で所在なさげにしていたヨシュアと同一人物のはずだ。姿も、表情も、あの時と何も変わっていない。
それなのに、眼の前に立つ男が、リリエリには何故か異質な存在のように見えた。
"怪物"。
ヨシュア=デスサイズの異名がリリエリの頭の中を駆け巡る。
色んな異名を聞いた。ここ数日、それら重苦しい二つ名にはそぐわないヨシュアの姿をたくさん見てきた。
確かに愛想がなく、常識外れな側面があるが、個性と言ってしまえばその程度のものだろう。過剰な悪名だと、そう感じていたはずなのに。
「……ヨシュアさん、傷、が」
「大丈夫だ。……俺は、自分に対しては、回復魔法が使えるから」
その言葉の通り、流れるほどだった血が今では滴る程度に落ち着いている。腕を振るい余計な血を振り落としたヨシュアは、やはり変わらない声音で言うのだ。
「先に進もう」
――
全てを賭けた大勝負に、とんでもないものを引き当ててしまったのかもしれない。
"エリダの枢石窟"への道も中腹。ここに来て、リリエリは、ようやっとその事実に思い至ったのである。
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