第15話 せめて大鎌は装備してください



 本日込みで残り三日。兎にも角にも時間がなかった。


 転移結晶を受け取ったリリエリは、すぐさま出発の準備を整えた。鉱石を採取するためのロックピックハンマー、草木を刈るためのマチェット、紋章魔術の筆記に使用する特殊な草花を練り込んだチョークなど。

 自らの足を動かす紋章魔術を確認し、両腕にきつくバンデージを巻く。慣れた動作だが、リリエリにとっては約一月ぶりの動作である。


 もし『断ち月』が解散したら、次にリリエリがこれを行うのはいつになるだろう。……こういうことは考えない方が方がいい。リリエリは緩く頭を振って暗い考えを追い出した。


 最後に硬く靴紐を結ぶ。これで準備は完了だ。

 過る不安を抑え込み、リリエリはただひたすらに前を向く。



■ □ ■



 エリダ村へはこの街の大転移結晶を介して移動する。……というより、基本的に移動方法は転移結晶しか存在しない。極特殊なケースを除けば、冒険者はまず依頼の地点に最も近い転移結晶に転移し、それから目的地へと移動するのが常である。


 主要都市部は結界の刻まれた大壁で外界とを隔てている。これが転じ、人々が住める環境は壁内、その外側は壁外と通俗的に呼称されている。


 壁外では昼夜問わず魔物の脅威が存在する。当然のことだが、移動自体も時間と体力を消費する行為だ。

 一日で転移できる人数に限りがあること、転移の際に魔力を吸収されること、転移の際に手続きが必要なこと。いくつかのデメリットは存在するものの、転移結晶での移動はそれを補って余りあるほどに有用な手段であった。


 そういうわけで、リリエリは当たり前のように転移結晶を使用した。人の足では三、四日を要するエリダ村も、転移結晶を介せば一瞬で到着する。

 と、いっても都市部の転移結晶は需要が高く、手続きから転移までに時間がかかることが往々にある。

 リリエリが二回の転移を経てエリダ村に辿り着いたのは、すっかり日の落ちた頃であった。

 

 集合時間は明朝。

 出発まで今しばらく時間があるというのに、リリエリの胸中は騒がしかった。お守りのように握りしめた小転移結晶も、リリエリの気持ちを落ち着けてはくれない。


 早く明朝になってほしい。明朝なんて、ずっと来なくていい。

 背反する二つの気持ちを抱えながら、リリエリは今夜の宿を探し始めた。


 ヨシュア=デスサイズ。またの名を"怪物"、"邪龍憑き"、その他多数。出会って二日の男に全てを賭けている自分のことが、なんだか不思議と可笑しかった。



■ □ ■



「……待たせた。出発しようか」


 空が白み始めた頃、ヨシュアはエリダ村の転移結晶前に現れた。約束通りの時間だ。長く待たされることもなく、さぁ今から冒険を始めよう、という段階である。

 ……冒険が始まる、はずであるが。


「あの、ヨシュアさん。あの、あの……なんと言えばいいかわからないんですけど。

 ……少なくないですか。荷物」


 ロックピックハンマー、マチェット、紋章用の筆記具に魔本。手足を守るバンデージに、採取した物を詰め込むための大容量のリュックサック。

 リリエリの服装は、採取用途に振っているものの、一般的な冒険者然としたそれである。比較して、ヨシュアの服装はというと。


 装備、なし。荷物、なし。鎧、なし。武器、なし。

 シンプルなチュニックをベルトで締めており、そこに革製のベルトバッグが下げられているものの、それもリリエリの握り拳が入るかどうかといったサイズ。とてもじゃないが小さすぎる。逆に何が入るんだ、そこに。飴か?


 レンタン市場で出会った時とほとんど変わらない服装に、リリエリは目眩のする心地であった。


 今から危険な任務に挑むものだとばかり思っていたが。どれほど広がっているかも知れない洞窟に挑む心づもりであったが。これらはリリエリの勘違いだったのだろうか。……いやない。絶対にヨシュアがおかしい。


「というか武器。なんで武器がないんですか。大鎌はどうしたんですか。あなた、デスサイズって呼ばれているんじゃなかったんですか」

「アレは売った」

「売った」

「その金で"踊る白鯨亭"を買った」

「へぇ」


 どうでもいいな、とリリエリは思った。

 ただ今の現状はどうでもよくない。武器も何も持たずに未踏の洞窟に入っていくなど、自殺行為に他ならない。

 時間はないが、急いで武器を調達するしかないだろう。


「エリダ村に武具を扱っている店があったはずです。まだ太陽も出切ってない時間ですけど、この際仕方ないですから、頭を下げて店を開けてもらいましょう」

「金がないんだ。"踊る白鯨亭"を買うために全部使った。なんでも市場の一等地にある建物だとかで、結構高い額だった」

「それ騙されてますね。レンタン市場が賑わっていたのは大壁ができるうんと前の話ですから」


 どおりで、とヨシュアは頷いた。人が少ないのは薄々勘付いていたらしい。だがこの段においてはやはりどうでもいい話である。

 ちなみにリリエリも金はない。一ヶ月無職だったC級冒険者に金などあるはずがない。


 詰んだ。

 しっかりばっちり詰んだ。

 昔から賭け事は弱かったんだ。心配性で、思い切りも悪くて、運だってそんなになくて。


 マドにどう謝罪しようか、そのことばかりでリリエリの頭はいっぱいになった。その根源たるヨシュアは、焦る素振りも一切見せずに、ただ淡々と口を開いた。


「じゃあ、出発しよう」


 ……腹を括るしかないのだ。この男に勝手に希望を抱き、勝手に全てを賭けたのはリリエリなのだから。


 先頭をきって歩く背の高い男と、それを追う小柄な少女。この日、エリダ村から一組の冒険者が旅立った。



 期限まで残りニ日。

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