第11話 マドの結論


 落ちた羽ペンの先からこぼれた薄墨色のインクが板張りの床を汚していく。マドはそれを一切顧みることなく、空になった手を中空に止めたまま、壁にかけられたキャスケットを見ていた。


「リリエリは『緋蒼』というギルドのことをどれくらい知ってる?」

「えっ……とても強くて有名なギルドで、国から直々に特別な依頼を受けていた、とか……? あ、あと、ヨシュアさんの所属していたギルドだって」

「他にはどんな人が所属していた?」

「確かギルドマスターはレダという方です。他のメンバーについては、ちょっとわからないですが、弓術に長けたテレシア教のシスターがいるとか、素手で魔物を捻じ伏せる剛腕の男がいるとか、なんかそんなことを聞いたような……?」


 リリエリの言葉はかなり曖昧でふわふわしていたが、マドはその回答に満足したようで「だよね」と一つ頷いた。


「僕もそれくらいしか知らない。

ヒュドラを屠った伝説のギルドだとか、王室直下で極秘の依頼を請け負ってるとか、そういう功績は耳に入るのに、ギルドそのものやメンバーの情報はほとんど聞かない。

変だよね。だって、少なくとも二十人のメンバーが、いる、はず……」


 マドの声はどんどん小さくなって、語尾はほとんど聞こえなかった。羽ペンはとっくに落ちているのに、彼女の右手はペンを回す動作を繰り返している。落としたことに気がつかないほど、彼女は思考に沈み込んでいる。

 ふと隣に座るヨシュアの方に目を向けると、彼は床に視線を落としていた。表情はない、が、気まずそうに見えなくもない。

 その様子を見たリリエリは、なんだか気恥ずかしい思いを抱いた。そういえば彼は『緋蒼』の元メンバー。その前で『緋蒼』について語るなんて、合っていても間違っていても恥ずかしい。幸い、ヨシュアからの訂正はなさそうだが。

 ヨシュアは先程からずっと黙り込んだまま。……どうして何も言わないのだろう?


「ヨシュアさん、ヨシュアさんって『緋蒼』の方だったんですよね」

「まぁ、一応」

「他のメンバーってどんな方だったんですか?」


 返事がない。ヨシュアは固まっていた。


 けしてリリエリと目を合わそうとせず、ほんの少し目を細めながら脇に積まれた本を睨めつける様子は、リリエリの言葉を無視しているようにも、怒っているようにも見えた、が。


 たった一日であるが、ヨシュアと関わって気づいたことがある。

 常に世界を恨んでいるかのような暗い目をしているが。低くぼそぼそと喋る様子は、他人に一切の興味を持っていないという印象を受けるが。何事にも表情を変えず、あたかも冷酷非道な思考の持ち主のように見えるが。


 ……ただ目付きが悪くてコミュニケーション能力が低いだけ?


「……他のメンバーについては、言えない。言うなと言われているんだ。理由は、わからないけど」


 おまけに。

 言えないなら言えないなりに適当に誤魔化すなり無視するなりなんなりできるだろうに、しない。

 もしやこの人、めちゃくちゃ誠実な人間なんじゃないか?


「あの、すみません答えにくいことを聞いてしまって」

「いや、…………別にいい」

「あ、その、……ありがとうございます」


 妙な空気になってしまった。気持ちを切り替えようと、リリエリはヨシュアから視線を外し、マドの方を見た。彼女はいつの間にか、分厚い本を抱え込み、すごい勢いでページを捲り始めていた。


「どこかで見た、見覚えがある。……ねぇヨシュア=デスサイズ。あなたはS級冒険者だよね?」

「……そうらしい」

「レダというギルドマスターもそうかな?」

「そ……、い、いや、言えない。俺はアンタらが知っている以上のことは、なにも」

「二人からギルドを作れるって君に教えたのはこのギルドマスター?」

「! ……そうだ」


 ありがとう、とマドは本を眺め続けたまま言った。

 パラパラと紙が踊る。マドの微かな粒きが届く。長いようで短かった。ずっとずっと続くように思えたその動作は、唐突に終わりを迎えた。

 マドの手が止まる。彼女の指が、本のある一点を指し示している。


「……冒険者等級認定基準。

 S級。困難な依頼を数多く達成した者。次代を導くに足る十分な知識および技能を有している者。または国家に貢献した、あるいはし得る者。

 本等級の冒険者はA級冒険者十人に相当する技能を有するとされ、相応の貢献が求められる」


 マドは本から顔を上げ、真っ直ぐにヨシュアを見据えた。マドは微かに微笑んでおり、……どこか苦笑いに近い表情であった。


「……ねぇ、君のところのギルドマスター、S級二人でギルドを立ち上げたんじゃない?」

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