第10話 回答


 マドからの宿題其の参。少しでも困ったことがあったらすぐにマドに共有すること。

 答え:



■ □ ■



 都市の東部に位置する"月と銀鍵"地区。魔法を使う者のための店や工房、ギルドなどが多く集まった、魔法使いのための区画である。

 ぎゅうぎゅうに詰まったレンガ造りの建物にずらりと並んだ木の扉。その一つに、紋章魔術師マドの自宅兼工房があった。幾度か訪ねたことのあるその扉を、リリエリは普段の七倍の緊張感を持ってノックした。


「いきなりごめんなさい。リリエリです。大至急マドに相談したいことがあるんです」


 もうすぐお昼に差し掛かるという頃。普段であれば、マドは自身の所属するギルド『銀楼館』の仕事に精を出している時間帯である。といっても、紋章魔術師であるマドの仕事はほとんど工房での作業で事足りる。今日もまたそういう仕事だったようで、すぐにノックの返事があった。


「入っていいよ。いつも通り、ちょっと散らかっていて狭いけど」

「ええと、マド、実は今日はもう一人連れてきていて」

 

 ……返答がない。代わりに紙束がバサバサと落ちるような音がして、木の扉が拳一つ分くらいだけ開いた。扉の隙間からは怪訝な表情をしたマドが顔を覗かせている。マドは申し訳なさそうに眉を下げるリリエリを見て、それからゆっくりと視線を上に向けた。


「……初めまして」


 断ち月。または怪物、あるいは死神。そして邪龍憑き。

 リリエリの背後には、件のギルドマスターヨシュア=デスサイズが、物理的にも精神的にも酷く肩身の狭そうな様子で立っていた。

 



 ちょっと散らかっているという言葉の通り、マドの工房は様々なもので溢れていた。魔法を行使するための紋章が記された紙や装飾品、それらを作るための筆記具や彫刻刀、それに大量の本。

 マドに指示された辺りの物を横に移すと、その下から小さな木製スツールが現れた。

 ヨシュアは発掘されたそのスツールに、マドは自身の仕事用の椅子に、そしてリリエリはほとんど本に埋もれているソファの端っこに。それぞれがなんとか席を確保できたのを見届けてから、リリエリは声を上げた。


「マド、今日は本当にいきなりごめんなさい。あの、こちら、私の所属する『断ち月』のギルドマスターのヨシュアさんです」

「あー、そのヨシュア、です。よろしく」


 ヨシュアはかなりぎこちない様子で言葉を発し、わかるかわからないかといったギリギリの角度で会釈をした。そろそろ分かってきたことだが、どうもヨシュアはかなり人付き合いが苦手のようだ。


「ヨシュアさん、こちら私の親友のマドです。先ほど言った一緒に考えてくれる人、というのは彼女で、とても頼れる人なんです」

「初めまして、ヨシュア=デスサイズ。リリエリの親友のマドです。『銀楼館』というギルドで紋章魔術師見習いをやっています」


 対するマドは普段とそう変わらない慣れた様子で挨拶を済ませた。ヨシュアの様々な噂は耳に入れているだろうに、怯えても恐れてもいないような態度だ。初めて見たときに悲鳴を上げてしまった自分とは全然違うな、とリリエリは思った。マドは恐怖心がない人間ではないが、そういったものを隠すことに長けていた。


「それで、昨日の今日でここに来たってことは……トラブル?」

「……はい。ちょっと、かなりピンチなんです、今。四日以内にギルドメンバーを十八人集めないと、『断ち月』が終わります」

「………………なるほどね」

 

 マドは辛うじてといった様子で相槌を打った。寸でのところで絶句を回避した形だ。口の達者なマドが言葉を忘れる程度にヤバい状況だということを、リリエリは改めて噛み締めた。


「……まぁ、コカトリスも卵には戻れないからね。起きてしまったことはしょうがないよね。なんとかしないと……、なんとか、……うん。なんとかね」

「たった二人でもギルドを作る方法が、あるはずなんだ。出会ったばかりで頼ってしまって、本当にすまないと思っているが、知恵を貸してほしい」

「…………あるはず?」


 ヨシュアの言葉に、マドは眉を上げた。そしておもむろに部屋の壁にかけられた自身の黒いキャスケット帽を見つめ始めた。何かを考えている。

 彼女が何に引っかかっているのかリリエリにはわからなかった。ただ、考えを巡らせるマドの邪魔だけはしたくない。リリエリはそっと自分の呼吸を抑えながら、あらぬ方向を眺めるマドの姿を見つめた。


「ヨシュア=デスサイズ。あなたは二人でギルドを設立する方法を知っている?」

「……知らない」

「でも、二人で作る方法があると断定している。それはどうして?」

「…………言えない」

「言えない、ね」


 そういえば、とリリエリは今朝の出来事に思いを馳せた。あの時は勘違いだったかも、で話が終わってしまったが、ヨシュアは最初からギルドは二人で設立可能だと話していた。単なる要項の読み間違いか記憶違いだと思っていたが……。


「ギルド設立、ヨシュア=デスサイズ、箝口令……」


 いくつかの単語がマドの口からぽろぽろと溢れていく。彼女の手はいつの間にか羽ペンを握っており、時折くるくると手の上で羽が踊っている。


「あの、」

「ヨシュアさん。少しだけ待ってもらえませんか。マドは今、考えてくれています」


 人差し指を口元付近に当てて静かにするよう促すと、ヨシュアはやや困惑しながらも頷いてくれた。リリエリも、そしてヨシュアも、マドの脳内には干渉できない。ただ思考の流れを遮らないようにするほかに彼女を手伝う術はない。

 

 マドは壁のキャスケットを見ている。手の上で羽ペンが回る。ヨシュアの身動ぎによって小さなスツールが軋みを上げる。知らず知らず、リリエリの小さな手のひらが強く握りしめられている。


 カタリと高い音がした。羽ペンが床に、落ちている。


「…………『緋蒼』」


 小さな声だった。しかしその瞳は、確信に満ちていた。

 

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