第8話 大丈夫じゃなさそうなギルド


 宿題。

 リリエリは、昨夜マドから課された三つの言葉を思い出した。


 其の壱。ちゃんとギルドルールを確認すること。特に依頼のノルマはしっかり聞いておくこと。

 其の弐。どんな人が同僚なのか知っておくこと。

 其の参。少しでも困ったことがあったらすぐにマドに共有すること。


 過保護だなぁとリリエリは苦笑した。でも、自分のことを心配してくれているが故だと思うとこそばゆい気持ちになる。


 心配性の親友を安心させるためにも。

 リリエリはもう一度マドからの宿題を頭に浮かべ、それから旧"踊る白鯨亭"――現『断ち月』ギルド本部の門扉を開けた。


「おはようございます!」


 静寂。

 ここに来るまでの道沿いに開かれていた朝市の賑わいは、少し距離のある石の建物までは届かない。


「おはようございます!」


 静寂。

 広く取られた窓から差し込む朝日が、誰もいないギルド本部を白く照らし上げている。


「おはよう! ございます!」


 静寂。

 陽光に佇む古いソファ、露出した岩壁、欠けたままのシャンデリア。良く言えば風情、悪く言えば廃墟。

 

 ……廃墟だな、ここ。

 リリエリはなんだか急に冷静になって、とりあえず昨日座っていたソファに腰を下ろした。

 時刻は朝の九時。まぁまぁ人々が活動的になる時間帯である。が、『断ち月』のギルド本部には誰もいない。チラシでも配りに行っているのだろうか。昨日でメンバーは揃ったと言っていたが……。


 今日ここに来た目的は、マドの宿題をこなすこと。そしてさっそく採取依頼を請け負うことである。どちらもギルドマスターたるヨシュア、あるいは代行権をもつメンバーがいないとできないことだ。


 しかし誰もいないのではしようがない。リリエリは待つことにした。無駄に広い空間だけはあるので、ストレッチをして、軽く運動し、採取用道具の点検をした。概ね一時間ほど経過したが、びっくりするほど人の気配はしなかった。


 しようがないのでリリエリはもう少し待つことにした。採取のコツは地道な作業と忍耐である。リリエリは幸運なことに、そのどちらにも長けた冒険者であった。

 両腕のバンデージを巻きなおし、足の紋章魔術に欠けがないか確かめ、靴紐をしっかり締める。ここまででさらに三十分ほどが過ぎたが、やっぱり人の気配はない。


 おかしい。

 さしものリリエリも訝しみはじめた、ちょうどその時。


「………………おはよう」


 建物の奥に続いていたドアが、酷く軋んだ音をあげながらゆっくりと開いた。




「おはようございます! 今日もよろしくお願いしますね!」

「……うん」

 ドアに半分体を挟むようにして現れたのは、やはりというべきか、ヨシュアであった。亜麻色の髪は好き勝手に跳ねており、目は日中の半分程度しか開いていない。元より覇気のない喋り方をしているが、もう一回り輪をかけて覇気がない。

 どう見ても寝起きの風貌である。


「アンタ、早いな……。緊急事態か?」

「いえ、依頼を受注しにきました。『断ち月』のメンバーなので!」

「依頼、依頼か……少し待ってくれ。今は何も考えられない」


 ヨシュアはよたよたと歩きながら、リリエリの対面にあるソファに座った。いや、崩れ落ちた。両腕で太陽の光から必死に目元をかばう姿はまるでお伽噺のヴァンパイアのようである。


「朝弱いんですか?」

「……違う。俺が強すぎるだけ」


 よくわからないことを言われたので、リリエリは「そうですか」とだけ返した。なるほど、今は何も考えられないというのは確かなようだ。

 チラシを配る謎の男の目撃情報も昼間に集中していたし、ヨシュアは朝はまともに動けないのだろう。


「眠そうなところ申し訳ありませんが、今日は依頼の前にいくつかヨシュアさんに確認したいことがあるんです」


 ソファに蹲るように伏せたヨシュアから、どーぞというくぐもった声が聞こえた。頷きに似た動きもしていたが、どうだろう、身動ぎだったのかもしれない。


「まずこのギルド……『断ち月』のルールを確認したいなって思ってまして。依頼のノルマとか、どういう感じですか?」

「ない」

「ノルマ、ないんですか? 珍しいですね。他にはどんなルールがありますか」

「ルールは決めてない」

「……ルールが、ないんですか?」


 ヨシュアの声は彼自身の腕とソファの布地でほとんど消えかかっていたが、辛うじてリリエリの耳に届いていた。

 ルールが未だないギルド。にわかには信じがたいが、立ち上げたばかりのギルドではそういうこともあるのだろう。恐らく。


「ああ、これからみんなで決めていこうって方針なんですね!」

「……まぁ、概ね」


 例えばリリエリが所属していたギルド『黒翼の獅子』では、ギルド内での魔法の使用禁止、メンバー同士の諍いの禁止、新鮮なマンドラゴラの持ち込み禁止などが定められていた。

 個々人に対する依頼の達成ノルマも存在した。魔物の討伐を優遇したノルマ制度は、採取しかしないリリエリに取っては重い目標設定であったが。

 『黒翼の獅子』はこの街で二番目に古いギルドのため、リリエリが所属した時点で多様なルールが定められていた。だが、『断ち月』ではまずルールを定めるところから関与できるらしい。


 リリエリは何もない旧"踊る白鯨亭"のロビーに、二十人近い同僚が集まる様子を想像した。各々が対等に意見を言い合い、自らの所属するギルドをより良いものに作り上げていく。その過程は、きっと心躍るものになる。


「自分たちでギルドを創るって、なんだかワクワクしますね! みんなで話し合って決めるって感じでしょうか。そういえば、他のメンバーってどんな方がいるんですか?」

「いないけど」


 いないけど。リリエリはその言葉の意味を考えようとして、すぐにそれをやめた。防衛本能が働いたのだ。理解しないほうがいいぞ、と。

 なんの意味もない行為だ。

 何も言わなくなってしまったリリエリに、こちらの声が聞こえなかったんだろうと判断したヨシュアは、彼なりの最大限の優しさを持って、努めてわかりやすく言葉を紡ぎなおした。


「『断ち月』のメンバーはアンタだけだけど」

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