第6話 決断
この書類にサインを。
その男――ヨシュア=デスサイズは、リリエリに筆記具を差し出した。……先程チラシを差し出した時と同じ、まるで剣を突きつけられているような圧迫感。この男が"あの"ヨシュアである紛れもない証左。
いや、リリエリが勝手に怯えているだけなのだ。ヨシュアにこちらを害する気はない、はずだ。数々の悪名が、ヨシュアに剣を握らせているだけ。
リリエリは、無意識に固唾を飲んでから、ヨシュアの差し出すペンを受け取った。
このまま名前を書いてしまえば、リリエリは無事にギルドに入ることができ、再び冒険者としての道を歩むことができる。そうすれば祖母への仕送りを続けられるし、マドとも一緒にいられるし、……父親のような冒険者になる夢を見ていられる。
リリエリは真っ白な紙をじっと見つめた。特殊な装飾の施された、王国規定のギルド入会届。 何も言わず、ただ言われるままに名前を書いてしまえばいい。
……それでいいのだろうか。
リリエリの行動理念は、今は亡き父親の言葉によってできている。誠実な冒険者であれ――これもまた、父親のような冒険者になる道の一つ。
であれば。騙すみたいに名前を書くような真似は、できない。
リリエリは、ペンをテーブルに置き、居住まいを正した。
「私の名前はリリエリといいます。サインをする前に、……私の話を聞いてくれますか」
ヨシュアは一瞬訝しがるように目を細めたが、リリエリを止めることはなかった。
「結論から言いますが、私は足が不自由です。普段は魔力でなんとか動かしていますが、そのせいで他の魔法は使えないし、緊急時に動けなくなる危険があります。
だから私は、魔物の討伐をしません。私に魔物の討伐は、リスクが大きすぎるからです。
『断ち月』に入っても……それは変わりません」
最後の言葉を紡ぐのには十分な覚悟を要した。戦えない冒険者なんていらない。これまで何度も言われてきた言葉だ。
ヨシュアの目が見れない。リリエリの目線は、いつの間にかテーブルの上、ギルドの入会届に落ちていた。
「魔物の討伐はしませんが、採取依頼には自信があります。私はC級の冒険者ですが、これは採取だけで到達したんです。働く場所さえくれればしっかり働きます。でも、採取しかしないし、できません」
ヨシュアの次の句が怖かった。こんなに怖い思いをするなら、さっさと名前でも何でも書いて入会してしまえばよかった。でもそれができない。
不器用すぎる自分には、ほとほと呆れる。
「こんな私ですが……本当に入会してもいいんですか」
「いいよ」
「依頼は頑張ります! 魔物とは戦えませんが、他の依頼ならたくさんこなします! 私、ギルドに入らなくちゃいけないんです!」
「うん。だから、入っていいよ」
「入っ……んん?」
リリエリは思わずヨシュアを見た。普通の顔をしている。もっとも、この男は普通の表情をしてても十分に目付きが悪いのだが、少なくとも冗談を言っている風ではなかった。
「『断ち月』はアンタを受け入れるよ」
……リリエリは、咄嗟に言葉が出なかった。
なんだこの人。こっちはこんなに条件が悪いんだぞ、どうして当たり前のように受け入れてるんだ。採取しかしないって、滅茶苦茶なワガママを言ってるんですよ、こっちは。
「アンタ、結局入りたいのか入りたくないのかどっちなんだ。事と次第によっては、大の大人が地面に頭をつけることになるが」
「入りたいですよ!? こっちはもう手段も何も選んでられないんです! でも既に九ヶ所のギルドに断られている人材なんですよ私は。慎重になってくださいよ!」
「慎重? ……」
ヨシュアは手を口元にやり、虚空に目を向けた。熟考しているのだ、リリエリという人材を受け入れるリスクを。
各ギルドには国からメンバー数に応じたノルマを課される。要はギルド全体でどれだけの依頼をこなせたか、ということだが、最近規定が変わったことで採取依頼の比重は討伐依頼と比較して小さくなった。つまり、採取しかできないリリエリは、ギルド全体から見れば負担でしかない。
「……アンタは随分と自分に引け目を感じているようだけど」
ヨシュアはちらりとリリエリに目をやってから、いつの間にかテーブルの下に落ちていた筆記具を拾い上げた。そうして、再びリリエリの目の前に差し出す。
どうしてか、今回は、剣を突きつけられているような気持ちにはならなかった。
「アンタは採取ができるんだろ。ならそれでいい。『断ち月』にはアンタが必要だ」
『断ち月』ヨシュア=デスサイズ。あるいは死神、あるいは怪物。または邪龍憑き。その他、沢山の悪い噂。
どうだっていいと思えた。この男は今、確かにリリエリを受け入れてくれたのだ。
滲む視界の中、リリエリは、ヨシュアの差し出すペンを手にとった。
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