第3話 噂はあくまで噂である

 

 ヨシュア=デスサイズは『緋蒼』というギルドの一員だったとされている。

 『緋蒼』は著名な、そして謎の多いギルドであった。主要メンバー含む構成員数不明、ギルド本部所在地不明。公開されている情報が極端に少ないものの、並のギルドでは難しい依頼をいくつも達成してきたという輝かしい経歴だけは人々の耳目に伝わっていた。そのミステリアスなあり方も相まって、憧れのギルドとして『緋蒼』の名を挙げる冒険者も少なくはない。

 しかし『緋蒼』は数年前に前触れもなく解散した。解散の理由については多くの噂が独り歩きしているが、中でも最も有力とされているのが次の説だ。


 邪龍ヒュドラの呪い。


 ヒュドラを討伐した際に受けた何らかの呪いによって『緋蒼』は解散を余儀なくされた、というものだ。

 この 呪いの詳細については、語る人間語られる地域によって様々なバリエーションがある。ある者は、それは仲間殺しの呪いで近づく者全てに死を与えると語る。また別の者は、その身が邪龍に変貌しやがて心までもが邪龍に乗っ取られてしまう呪いだと語る。さらに別の者は、『緋蒼』は邪龍討伐の際に半壊してしまっただけだ、不名誉だから呪いだなどと嘯いてその事実を隠しているだけなのだと語る。


 人々は好き勝手に噂を流した。だが、ある一つの内容だけは、どれほど尾ひれがつけられようとも変わらずに伝わり続けている。


 呪いを受けた者の名はヨシュア=デスサイズ。

 彼こそがヒュドラの首を切り落とした男である。



■ □ ■



 昼下りの市場は閑散としていた。市場に携わる者たちの戦場はもっぱら早朝。太陽が真上に登る頃に買い物している者などいないし、働いている者の姿も疎らだ。昼間の市場が賑わっているとは端から思っていなかったが、にしても人が少なすぎる。


 マドに話を聞いた翌日、リリエリは件の噂の発生源であるレンタン市場を訪ねていた。

 レンタン市場はサンデルヴィルの中でも一、二を争うほどに大きな市場であった。……もう十数年も前の話だ。サンデルヴィルを囲う大壁が建設されたのをきっかけに、この市場はゆっくりと廃れていった。今ではかつての賑わいの一端をそこらのガラクタに残すばかりだ。

 閉じられた露店に、放棄された立て看板。果たして、こんな閑散とした場所でギルドメンバーを探す人間がいるのだろうか。

 

 レンタン市場であのヨシュア=デスサイズがギルドメンバーを探している。

 ……あくまで噂だとはマド本人も言っていたことだ。そんなギルドなんて最初から存在していないのかもしれない。よしんば存在していたとして、冒険者として数々のデメリットを孕むリリエリを入会させてくれるだろうか。いや、そもそも、ヨシュア=デスサイズがどんな人物かすらリリエリは知らないのだ。



「『邪龍憑き』ヨシュアのギルドかぁ……」


 リリエリも一冒険者として、ヨシュアの噂を耳に入れたことがある。


 怪物じみた強さを持つ、冷酷非道な戦士。"断ち月"の異名は、彼の大鎌が夜空の月に傷をつけたことに由来している。痛覚がなく、傷を負ってなおも闘い続ける狂人。邪龍に呪われ、ギルドを追われた男。


 噂に疎いリリエリですらこれほどの悪名を聞いている。荒唐無稽な内容ばかりで、全部が全部本当のことだとはさらさら思っちゃいないが。

 それでも、こうも沢山の噂があると、人間どれか一つくらいは本物が混ざっているだろうと考えるものだ。問題はどれが本物なのか、という話だが。

 仮に仲間殺しの呪いが本物だったらどうする? いつか邪龍に変貌してしまう、という噂が真実だったら?


「……そんなこと、今考えたってどうにもならないですけどね」



 恐ろしい噂を理由に冒険者としての道を諦めることができるほど、リリエリは柔軟な人間ではなかった。足が悪いことも、魔物と戦えないことも、採取しかできないことだって冒険者を諦める理由にはならない。少なくとも、リリエリにとっては。

 彼女に残された道は少ない。遥か遠くに見えるほんの僅かな可能性でも、必死になって手繰り寄せる他ないのだ。例えその道があのヨシュア=デスサイズに続くものであったとしても。


 ヨシュア=デスサイズが話の通じる人間でありますように。

 ――せめて、生きて帰れる程度には。


 ギルドに入会願いを出すにしてはあまりにも重すぎる願いを抱えながら歩くこと十数分。リリエリの歩は市場の終わりに差し掛かっていた。

 この市場はサンデルヴィルの端に位置している。つまり、市場の終わりは街の終わりと同義である。あと五分も歩いたら街をぐるりと囲んでいるレンガの大壁についてしまうだろう。

 すれ違う人間ももはやいない。これ以上先に行く意味はなさそうだ。


 ……結局、ヨシュアらしき人物に出会うことはなかった。


 噂はあくまで噂だ。真実はきっと、こんなものなのだろう。

 『黒翼の獅子』のような大規模ギルドが乱立しているこのご時世、新しくギルドを立ち上げるのは至難の業だ。そもそも新しいギルドを作るメリットは少ない。せいぜいギルドマスターとしての名誉が得られる程度で、大きなギルドで武勲を立てるほうがよっぽど手っ取り早いし、高く評価される。


 ヨシュア=デスサイズについては悪い噂しか聞かないが、最高ランクであるS級冒険者として申し分ない強さを持っていることは確かである。多少聞こえが悪くとも、彼の力を欲しがるギルドマスターは少なくないだろう。例えば、強いギルドになることを望んでいた『黒翼の獅子』みたいに。


「よく考えたら、当然ですよね」


 ヨシュアがわざわざ新しくギルドを作る必要なんてない。戦う力もない、魔力がなければ歩くことすらできないリリエリとは天と地ほども違うのだ。


 市場はあと少しだけ続いていたが、リリエリはこれ以上先に行かなかった。いや、行けなかった。

 もしこのまま進み続けて、街の終わりの大壁までたどり着いてしまったら。……そんなの、まるで、自分の全てが拒絶されているみたいじゃないか。

 

 魔物と戦うのが恐ろしかった。自分には採取しかないと知っていた。それでもリリエリは、優れた冒険者だった父に少しでも近づいていたかった。

 戦えなくてもいい、自分にできることで人の役に立てばいい。祖母の言葉を支えにして、親友の優しさに助けられて、どうにかこうにか今までやってきていたというのに。

 死でもなく、怪我ですらなく、ただの紙切れ一枚で冒険者で無くなってしまった自分は、一体なんだというのだろう。


 もしもリリエリがあと少しだけ楽観的な人間であったなら、真っ直ぐに前を見つめるような人間であったなら、きっと出会わぬままに彼女は一生を終えたことだろう。

 俯きながら来た道を戻るリリエリの足が、ボロボロになった一枚の紙切れを踏みつける。


 メンバー募集。ギルド『断ち月』


 涙で歪んだリリエリの視界に、そんな文章が映り込んだ。

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