第2話 最後の希望
「この街にはもうギルドがないね」
努めて落ち着いた物言いであった。リリエリにショックを与えないための気配りのつもりだったが、さしものマドも顔色の変化までは制御できなかったようだ。冷静な声色と、色を失ったマドの表情。ちぐはぐな様子が、逆説的にリリエリの現状理解を後押しした。……しすぎた。
リリエリは届いたばかりのポテトフライを少し食べ、いつの間にか注がれていたオレンジジュースを飲み、満足そうに一息ついてから、
「今までお世話になりました。私、遠くの方に行きます」
テーブルに手をつき、深く頭を下げた。
「オーケー、オーケー。リリエリ、僕のミルクを少し分けてあげるね。飲んで。落ち着いて。結論を出すにはまだ早い。水を凍らせる魔法は時間がかかるよね、これはきっとそういうもので、とにかく大丈夫」
例えが下手だな、とリリエリは思った。伏せていた頭を少し傾けてマドを見やると、すかさず目の前に木製のマグが差し出された。受け取らなければ絶対に引かないぞ、という剣幕である。
三つ指揃えていた手をそろりとマグに差し向けると、マドは幾分安心したようで、いつの間にか乗り出していた身を椅子の背もたれに戻した。そうして、先程よりも柔らかい口調で「僕に解決策を考えさせてほしい」と言った。マドはとても頭の良い親友である。リリエリはそんなマドのことを強く尊敬していたし、考えるモードに入った彼女がとても多弁になることもよくよく理解している。
「この街にはリリエリに向いたギルドがないってだけで、解決策はいくらでもあるはずだ。
例えば、そう、今から紋章魔術を学ぶとか。魔法が使えなくったって紋章魔術の彫師だったら……いや、そんなに時間をかけていられないよね。お祖母様への仕送りもしたいだろうし。
じゃあ作ろう。新しいギルドを作ってしまえばいいんだ。設立要件は、A級以上の冒険者をギルドマスターとして一名擁立し、二十人以上のメンバーを集めること。それからギルド拠点も必要だったはず。ねぇリリエリ、友達が二十人いたりしない?」
「いないですね」
「わかるよ、友達は多ければいいってもんじゃないよね。
……やっぱり、別の街のギルドしかないのかな。サンデルヴィル《ここ》はそれなりに大きな都市だけど、王都はもっともっと大きいから、冒険者ギルドもたくさんあるはずだ。でも、そうしたらリリエリはこの街を出て行くことになる。……いや、待って、別の案を考える」
マドはピタリと言葉を止め、目の前に置かれているテーブルの端を眺めた。傷や凹みのたくさんついた、歴史のある木製テーブル。時間の流れによって削れて丸くなった、なんの面白みもない角を、マドは熱心に見ていた。これはマドの癖だ。テーブルでも、扉でも、隣で豪快にお酒を飲んでいる冒険者の持つ盾でもいい。深く集中している彼女は、周りにある任意の物体をじっと見つめる癖がある。
リリエリはそんな彼女の姿を静かに見ていた。賢い友人が必死になって自分のために考え抜いているというのに、自分一人落胆して立ち止まってるわけにはいかない。自分のために親身になってくれる友人の姿が、リリエリの気持ちを奮い立たせた。
「マド、たくさん考えてくれてありがとう。私、もう少し努力してみます。『黒翼』のギルドマスターに頭を下げてだって、」
「思い出した!」
ばん、と大きな音がした。興奮から、マドがテーブルに両手を勢いよくついた音であった。マグに入ったミルクが跳ねる、周囲の冒険者が彼女たちにそれとなく視線を向ける。ほとんど立ち上がるような姿勢になったマドは、丸く目を開けたリリエリの両手を勢いよく握りしめた。
「リリエリ、聞いて。この街の北西に古い市場があるのは知ってるね? その市場の端っこに、放棄された露店がいくつか集まってるエリアがあるんだ。最近その辺で妙な噂が立ってる」
マドはさらに身を乗り出し、リリエリにぐっと顔を近づけた。
「毎日昼頃になると、大きな男性がそこに現れて、通行人に声をかけていくらしい。思考の過程は割愛するけど、僕の予想では彼はギルドマスターだ。それも、今まさに新しいギルドを作ろうとしている」
「新しいギルド……! それなら、もしかしたら、私を受け入れてくれるかもしれない!」
「そう、そうだよリリエリ! 訪ねてみる価値はあるはずだ」
ただし、とここでようやくリリエリの手を離し、乗り出していた身を元の位置に落ち着けたマドは、なんともばつの悪そうな顔を見せた。
「ヨシュア=デスサイズって知ってる?」
ヨシュア=デスサイズ。
それは、冒険者であれば誰もが一度は耳にする名前であった。
身の丈ほどもある大鎌を振るうS級冒険者。あるときは死神と呼ばれ、またあるときは怪物と呼ばれた男。一太刀で月を両断しただとか、邪龍を殺した呪いで彼自身もまた邪龍に変わり果てただとか、命を命とも思わないような振る舞いをするだとか。他多数。
人間外れした強さと魔物狩りの功績を持ち、そしてそれを帳消しにするくらいの悪い噂を纏った男。
リリエリは、自分のことを頭の冴えない側の人間だと思っている。それでも、この文脈で特定の人物名が出てくれば、否が応でも察してしまうものがあった。
「えと、それって、つまり、」
「うん。新しいギルドを作ろうとしている男って、あのヨシュア=デスサイズなんだよね」
"死神"、"怪物"、"断ち月"、"邪龍憑き"。様々な異名を持つ危険人物。
この男こそが、サンデルヴィル全ギルドに断られたリリエリの元に残った唯一の希望である。……らしい。
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