第三頁:身代わりの報酬はメロンソーダ一本だった。

「ハイッ!?」


 声が裏返る。理由は大きく分けて二つ。振り返り様の顔面力の強さに圧倒されたというのが一つ。図書館棟の男子生徒達から向けられている視線の鋭さと量に恐怖を感じたというのが一つだ。


「一ノ瀬冬樹くんの返却に問題が見つかってさ。あの子が君が一ノ瀬くんだよーって教えてくれたから」


 くい、と向けられたその親指の先には確かに同じクラスだったような気がする男子生徒がいた。名前は確か……佐原か鰆かの二択のはずだ。そうだ鰆だ、自己紹介で「鈴木じゃなくて鰆でーす」とよく分からないギャグをして大滑りしていた鰆だ。文学部だったのか。先ほどの返却係と交代していたようだ。


「急にごめんね。一ノ瀬くんちょっと借りてもいい?」


 と隣の四之宮に断りを入れる榎下先輩。そういえば先ほど図書室棟を出たら根掘り葉掘り鍬田の過去について聞くと言っていたし、もしかしたらこの状況から救ってくれるかもしれない。


「全然どーぞ。テイクフリーです」


 ご自由にお取りくださいでは無い。いや元と言えば俺が不正な貸出をしているのが悪いわけだが、生憎と本当に覚えがない。なにしろ俺が借りた本は国語の授業で借りたポップな絵柄の絵本『きおくとけいけん』と、調子に乗って昔の文豪の小難しい文学作品を読もうと借りた『三四郎』だけだからだ。どちらも正規に借りた記憶があるし、二冊で記憶違いをするほど俺の脳の皺はフローリングではない。どちらも一頁も開くことなく返却することとなったが、強いて問われるべき罪はそれくらいのものである。

 俺を受付に連れていく時榎下先輩は平然と俺の手首を掴んで連行した。陽キャと呼ばれる類の人間には距離感が存在しないとは俺の言だが、ゼロどころかめり込んでないか。正直嬉しいといえば本音になるし、全く嫌ではないが強いていうなら周囲の人々男子生徒の視線が突き刺さるどころではないのが問題か。


「あの……先輩」


「本のタイトルなんだけど、ライトノベル?かな、これ」


 小さな俺の言葉は掻き消える。どうでもいいが気まずい時に話し始めるタイミングが被るのはコミュニケーション能力の問題なのだろうか。

 いや待て、ライトノベルを借りた覚えは無いぞ。


「ライトノベルですか?」


「この『大政奉還で人生逆転〜お疲れ様です倒幕派。今更徳川万歳と言ってももう遅い〜』って本なんだけど」


 なんて?


「待ってください」


 何を?という顔をされるが確かにその通り、待ってくれと言われても別に彼女は何を待てばいいか分からないだろう。俺も突発的にツッこんでしまったからよく分からない空気感になってしまった。言いたいことは色々あるが……まずはこれだろう。


「その本俺借りてないですね……」


「え、違うの? うーん……じゃあ早とちりしちゃったかも、ごめんね」


 即座に自分の非を考えて謝ることができる人間はこの時代にそう多くはない。自分の非が確定していないなら尚更である。たった一言だが、顔以外にも人望の理由がありそうな人間だと感じさせられる。


「俺の名前が貸出の欄に書いてあったんですか?」


「や、貸出記録が書かれてなかったんだよね。ただ一ノ瀬くんが貸し出した本で挟まれてたから君だとばかり」


「挟まれてた?」


 あー……と天を仰いで少しずつ状況が見えてくる。俺は苗字から分かる通り出席番号一番。クラス返却では出席番号順に並べ替えて一番上になっていたのだろう、四之宮から半分受け取った時、その上に俺は自分が借りた本を置いた。鍬田の借りた本と共に。つまり出席番号順に借りたクラス返却のものと、私的に借りたものでサンドされた本があったということだ。このことから分かる犯人はたったの一人。


「ミトォ……来たくないってそういうことかよ……」


 小声でこの場にいない人間への恨み言を呟く。ここでメロンソーダ等価の法則が乱れる。まさか身代わり代だとは思っていなかったのだから。


「んー、参ったなぁ。記録の無い貸出は厳重注意なんだけど……君、この本借りそうな人に心当たりとかない?」


 ずい、と目の前に『大政奉還ry』が突きつけられる。答えることは簡単だが、少ない友を売るということは俺にはできない。弁当でおかずとご飯を別々に食べるくらいできない。


「知らない……っすねぇ……」


 嘘がバレぬよう、目を合わせないように努める。高すぎる顔面力を直視し続けられないのもあるのだが。


「君、はぐらかすのが下手ってよく言われない?」


「さっきがた言われたところです」


「だよね。私もここまで嘘下手な人は初めて見たもん」


「そんなに下手ですかね……。ええとその、それ借りたの俺ってことになりませんかね。厳重注意もこの場で終わりますし」


 己の嘘のつけない圧倒的誠実体質に苦しめられながら、代替案を提示する。いわゆる誰も傷付かない方法という奴だ。鍬田は怒られないし、榎下先輩は文学部としての示しはつけられるし、俺はメロンソーダが飲める。俺の利少なくないか?


「それはダメだよ、ちゃんと借りた人に注意しなきゃ」


 正論である。正しいことを眼前にした時人は清々しさを感じるものだが、自身が悪である時に限っては苦々しさを感じるものだ。こと今の俺に限っては、苦虫よりも苦々しい。


「あー……実はそれ俺が借りたんですよ。さっきのも、全部言い逃れる為の演技でして」


「………………」


 こちらをじーっと見つめながら、不思議そうな顔をする榎本先輩。美人がそういう真似をするなら可愛い系が趣味の俺もうっかり惚れ込んで先ほど鬼の視線を向けてきた男子生徒の仲間入りを果たすだろう。


「……それなら、君に厳重注意だね」


 諦めたように首を振り、スタッフルームまで連れて行かれる。この状況、昔やったギャルゲーで見たことがある。進○ゼミでやったところだ!


「学生が貸し出す時はこっちでしっかり名前確認と貸出証明をしてもらうこと。無断の持ち出しは盗難と………………」


 ○研ゼミでやってないエリアに入った。


 そんな呑気なことを考えている俺は、ここからまさか資料が配られ、スライドによる貸出ルールの講習が三十分に渡るとはまさか思ってもいなかったのである。

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