第二頁:華々しい出会いは、時にほろ苦い

「い、いないけど……」


 雰囲気に吞まれそうになる。空気の変化があまりにも急すぎてどもってしまった。俺はだめかもしれない。そして同時に、四之宮は俺の表情を見て眉間に皺を寄せる。


「いやあんたには聞いてないんだけど」


「だよな、知ってる知ってる知ってる」


「動揺しすぎてインコみたいになってるけどだいじょぶそ? ってか分かるでしょ普通。鍬田の好きな人って聞いてんの」


 そう、この四之宮心春という女は鍬田に恋するごく一般的な女子である。将を射んとする者はまず馬を射よ、と言いながら放課後に教室で一人残っている俺に接近した時は古典の悪魔に憑りつかれた亡霊か何かかと疑ったものだが、蓋を開けてみれば異常な人間であったのは最初だけだった。俺は女子の友人ができ、四之宮は俺経由で鍬田と積極的に関わることが出来る。WIN-WINの関係というわけだ。

 ではなぜそれを知っている俺があからさまに動揺したのか。紐解けばごくごく自然なことだ。たとえ事情を知っていても、三年間の一切を女子と隔離されて生きた俺には、あんな話の切り出され方をして冷静に判断できる健常な脳が失われているからである。我ながら悲しい生物になってしまったものだ、としみじみ思う。


 「ミトのことを好きな人間は相も変わらず絶えないが、本人は高校入ってからは彼女作ってないみたいだぜ。中学の最後の事もあるし暫くは控える心づもりなんじゃないか?」


「待って中学の最後になにかあったの? 初聞きなんだけど」


 やべ、と内心で言葉をセーブする。馬として友人になったとはいえ、なんでもかんでも話していいわけというわけではない。別に鍬田とて隠してはいないので、ここで俺が言及することは問題ではないが。なんだか友人の過去について不用意に語りすぎるのも気が引ける。


「お、図書館棟着いたな。この話はまた後で」


「あんたはぐらかすの下手?」


「はぐらかしてるのが分かるなら察してくれ、本人に聞く方が誠実だろ」


「まともに会話できるなら困らないっての。後で根掘り葉掘り聞くから覚悟しといて」


 それだけ言って四之宮が先に図書館棟へ入る。図書館棟、という言葉はおかしなもののように思えるが、ことこの学校については別段不思議でもない。その名の通り図書館の棟なのだ。公立高校の図書室にあたる役割を担う部分が、どういった経緯か公立図書館と連携しており、学内に三階建ての図書館が存在する豪華仕様である。この学校の一番の目玉であり、学外の人間も自由に立ち入り可能な唯一の場所だ。

 入口からカウンターまでは遠くなく、入ってすぐ右に進めば貸出、返却の文字が見える。特徴的なのは、ここ図書館棟での受付や本の管理などは、司書さんの管轄の下うちの学校の文学部によって行われているということだ。

 隣からひじで脇腹を刺される。先に行け、と言いたいのだろう。皆が無言の中声を出すのが恥ずかしい気持ちはよく分かるが普通に俺も恥ずかしい。


「クラス内一斉返却です、よろしくお願いします」


 と言って本を置くと、眼鏡をかけた受付の男子高校生、恐らくは先輩であろう人物はふいと顔を逸らしてスタッフルームと書かれた扉へ去ってしまう。


「え……?」


 目の前で起きた出来事を理解できずに辺りを見回していると、周囲からは奇異の視線と同情の視線が一対一で向けられていた。俺は何もしていない、と言いたげに両腕を少し上げる。隣の人間に助けを求めて視線を向けると、本を抱えて笑いを必死に堪えていた。やめよう、友達。周囲の視線の居た堪れなさに十数秒を永遠にも感じる中、救世主は現れた。

 スタッフルームから慌ただしく出てきたのは、率直には文学部とはあまり思えない風貌の人物だった。言うなれば美少女───ただし、一軍女子のような煌びやかさを放つ美少女だった。


「ごめーん!ちょっと用事で遅れちゃって、白露くん何か不手際とか……」


 無言を破壊する言葉の数々に圧倒されながら、こちらへ向かってくる少女と目が合う。


「わ、一年生? ごめんね対応遅れて、彼───白露くんに何か言われたりした?」


 学生に於いて最も必要とされる顔面力を最大限まで持った人間に急に迫られる。この手の人間は往々にして距離感という概念が無いことは知ってこそいたが、いざ目の前にすると緊張どころの話ではなくなる。言葉が一つも出ないまませめてと首を振り、ギリギリ受け答えを成立させることができた。


「よかった、いやよくないんだけどね? 時間過ぎたらお客さん放置で帰っちゃうんだよね、白露くん」


 そう言って俺と四之宮から本を受け取った彼女───胸元の名札に『榎下えのもと』と丸文字で書かれた人物は、一つ一つ本の裏表紙から貸出返却の紙を取り出してチェックしていく。デジタル化とは、と利用し始めた最初は思ったが、学外向けにはデジタル対応しているらしい。学内にも適応してくれていいのではないだろうか。そうして少しの時間待っていると、ふと気がついたように榎下少女は顔を上げる。


「あ、ごめんね。別に帰っても大丈夫だよ」


 そう言って少しバツが悪そうな顔をして微笑みかける。待つ必要は無かったようだが、この笑顔が見られたのなら待って良かったと思う。


「失礼します」


 と頭を下げ、くるりと振り返ったのち、四之宮に小声で話しかける。


「四之宮ァ……お前笑ってたよな。許せん」


「まぁまぁ、ラッキーじゃん。榎下先輩に対応して貰えて……恥はかいたけど」


「恥をかいたんだよ。というか知ってんのか、あの人のこと」


「知ってるも何も。有名でしょ、今年の文学部長が超美人の先輩だって。今年の一年生男子文学部に殺到したらしいし」


「実はさ、ミトか四之宮以外から学内の噂すら満足に聞けない人間なんだよ俺」


「あっ、なんか……ごめんね……?」


「憐れむな、辛くなる。既に辛い」


「ウケる」


「しばくぞ」


「憐むなって言ったじゃん」


「嘲笑えとは言ってないんだわ」


 そう軽口を叩きつつ、図書室棟から出ようとしたところで、不意に肩を叩かれる。


「一ノ瀬冬樹くん、で合ってる? やっぱりちょっと残って貰えるかな」


 顔を向ければ、そこには先程まで受付で座っていたはずの榎下先輩の顔があった。

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