第3話 脱輪事故


 脱輪したと言われる場所へ向かうと、人集りが輪っかの様に出来ており、その中心に倒れた馬車が見えた。馬はもう外されていたが、興奮して少し暴れている様に見える。馬の声が聞こえるアタシは、馬が怖がっているのが分かった。

 下手したら二次災害になり得ると思い、コレット様に伝えようと顔を上げると、コレット様も気が付いた様で「わかったわ」と、アタシの頭を軽く撫でた。そして馬に向かって杖を振ると、馬はスッと落ち着き静かになった。


 力に自信がある男達が馬車を起き上がらせようと掛け声をかけながら持ち上げているが、僅かに持ち上がるものの、上手く起こす事が出来ないようだった。

 コレット様が短く詠唱し杖を一振りする。すると、馬車がフワリと起き上がった。

 数名が上空に居るコレット様に気が付いて、コレット様がゆっくりと馬車の近くに降り立つ。


「コレットちゃん! 来てくれたんだね、助かったよ!」


 警邏隊けいらたいの制服を着た男がコレット様に駆け寄って来た。すかさず怪我人についてコレット様は確認をする。


「怪我をされている方は?」

「コレットさん、こちらです!」


 振り向いた少し先に、こちらに向かって手を上げている女性が見えた。

 コレット様が小走りで駆け寄ると、女性は手短に、かつ分かりやすく説明をした。


「怪我人は全部で八名ですが、三人は軽傷でしたので応急処置は済ませてあります。あちらの二人は打撲ですが、かなり強く全身を打ち付けているため、一時呼吸が苦しそうでした。こちらの二人は、馬車から転げ落ちたようで、腕や足の骨折が見られます。そして、あちらに……」


 女性が指差す方向に一人。離れた場所で地べたに敷いた毛布の上に寝かされた人物がコレット様の目に入る。

 寝ている人物に泣きながら縋り付く男の子。

 女性の話を聞き終わる前に、コレット様は駆け出していた。


「ジェフさん!!」


 さっき、カイという男児を連れてコレット様の家に来た男だった。顔色は真っ青で、ピクリとも動いたない。


「この馬車に乗っていたそうです。降りてから歩道を歩き出そうとした時に、馬車が倒れてくるのが分かり、お子様を守ろうとした様で、馬車の下敷きに……」


 先程の女性がコレット様の後ろから伝えた。

 コレット様の家から帰る途中に乗ったのだろう。

 コレット様はジェフさんの手首に触れ「まだ間に合う」と呟き、すかさず杖を現すと、詠唱を始める。白い光がジェフさんの身体を包み込む。

 左脚の脛の部分、腰、左腕。そして胸の位置。僅かに光が鈍くなり、白い光が燻色ふすべいろに変わりだす。そういう箇所は、重傷である証拠だ。

 特に胸の位置の光が、一番悪かった。


「ジェフさん! こんな所で終わっちゃダメです!! もうすぐ可愛い赤ちゃんに会えるんですよ!?」


 コレット様が大声で声掛けしながら治癒を行う。

 十分以上そうしていると、ほんの少しずつジェフさんの頬に赤みが戻って来たように見える。


「ジェフさん!」


 ジェフさんの睫毛がフルリと揺れた。


「コ……ット、ちゃ……」

「ジェフさん!」

「お父さん! お父さん!!」


 あと少し! あと少しだわ、コレット様!!


 アタシは心の中で精一杯に声援を送る。


 徐々に徐々に、燻色の光が白に近づき、全体的に落ち着きだす。


 コレット様の詠唱が止まり、カイがコレット様を不安気に見上げる。それに気が付いたコレット様がにっこりと笑みを浮かべ「もう大丈夫よ」と、カイの頭を優しく撫でた。


 ジェフさんが瞼をピクリと動かしたのが分かると、カイが「お父さん!」と呼びかける。ジェフさんは、ゆっくりと瞼を開け、視線をゆらゆらと揺らす。自分の息子に止まり、そっと微笑んだ。カイが泣きながら父親に抱きつくと、ジェフさんはその背中を優しくなでた。


 コレット様がジェフさんの首元や手首に触れ、小さく頷く。


「しばらくは、ぼんやりとした感覚があると思います。すぐに起き上がらず、思考がハッキリしたらゆっくりと身体を起こしてくださいね」

「ああ、わかった……。ありがとう、コレットちゃん……」

「コレットお姉ちゃん、ありがとう……」


 コレット様は、にっこりと優しい笑顔を見せて頷いた。


 ジェフさんの顔色は随分と良くなって来ている。すぐに元の様に動けるだろう。アタシは、泣いて膝をついて座るカイの太ももにちょっと前足を乗せ、グッと伸び上がった。そして、カイの頬をペロリと舐める。


『もう大丈夫よ。コレット様は、すごいんだから。だから、もう泣き止むの』


 念話が通じないのは分かっているけど、カイの瞳をじっと見つめる。

 すると、カイは泣き笑いしながら「ありがとう、サーシャ」とアタシの頭を軽く撫でた。


 ジェフさんの治療が終わると、今度は骨背した人々や打ち身が酷い人々の元へコレット様は向かった。彼らをすぐに癒し、大丈夫そうだと判断すると、脱輪した馬車へ向かう。


「怪我人の方々の治療は終えました」


 警邏隊の中にオルガルドさんの姿が見え、コレット様は声を掛ける。


「ああ、コレットちゃん、本当に助かったよ。ありがとう」

「いえ……。ところで、脱輪の原因は分かったのですか?」


 コレット様の質問に、オルガルドさんは「いや」と眉間に皺を寄せ首を横に振った。


「出発前の点検も異常は無かったそうだし、荷物の重さもそこまで重い訳では無かった」

「では、車輪が古かった?」

「車輪は、一か月前に替えたばかりだそうだ」

「替えた時の留め具が合っていなかった?」

「どれも、綺麗にしっかり嵌っているよ。外れた車輪を見ても、留め具が折れている感じも無かったし、跡を見てもズレて嵌めていた感じは見受けられなかった」


 コレット様とオルガルドさんは、お互い難しい顔で見合わせる。


「先週と、全く同じですね……」

「ただ違うのは、怪我人が出た事だけだ」

「そうですね……」


 ここ数日以内に、馬車が脱輪したという報告が相次いでいた。

 だが、どれも人は乗っておらず、乗っていても運良く怪我は無かった。


「これは関連性が無いかどうか、よくよく調べてみないと……」

「オルガルドさん、私もお手伝いします」

「コレットちゃん……。忙しいのに、嬉しいよ。ありがとう」

「いえ」


 アタシはフと、馬車の下に転がっている光るモノが気になった。


『コレット様、馬車の下に何かあります』


 念話を送ると、コレット様がアタシの隣にしゃがみ込んで馬車の下を見る。「本当だ」と呟き杖を振り、その光るモノを引き寄せる。

 コレット様の手のひらに乗せたそれは、長い釘の様だった。


「オルガルドさん、馬車の車輪に釘は使いますか?」

「釘かい? いや、車輪自体に使う事は無いが……なんでだい?」

「馬車の下に落ちていたので、これも関係あるのかと思って……。以前にも、釘が落ちてたことは、ありますか?」

「いや、無かったと思うけど……。念のため、後で報告書を見てみるよ」


 そこまで言うと、オルガルドさんは他の警邏隊に呼ばれて、そちらへ向かった。


 コレット様は何かを感じたのか、釘に向かって杖を振る。だが、何の変化も起きずにコレット様の手のひらに転がっていた。


「……魔力を感じた様な気がしたけど……気のせい……?」


 コレット様は独りごちるように言い、小首を傾げた。



 それから一週間後。


 脱輪事故が、再び起きたのだった。

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