全ての終わり

第142話 全ての終わりに向けて(アレックスside)


 ---八百年後、現在。

     ギデオンが眠る【氷の間】---



 僕はナリシアと共に、ガブレリア王国で【闇の王】と呼ばれていたギデオン・モーリスの棺の前にいた。


 微かに呻き声が聞こえ、僕は素早く後ろを振り向いた。

 横座りしたレオンの腹の上に横たわるアリスの眉間に皺が寄っている。


「アリス!!」

「ぅ……ん……」

「アリス! 大丈夫か? 僕だ! アレックスだ!」


 アリスの両頬に手を当て、必死に呼び掛ける。アリスはその瞳こそ開かないが、僕の声が届いているのか眉間の皺は消え、ほんのり口元に笑みが浮かぶ。


「アリス、もう終わったよ。もう魔女は消えた。だからねぇ? アリス、目を覚まして……」


 呼び掛ける声が震える。目を覚まして欲しくて、頬に触れる手が震える。コレットや精霊や妖精達が、アリスの命を繋いでくれた。だけど、目がちゃんと開くまでは、不安で仕方がない。祈る様に、縋る様に、その閉じられた瞼を見つめた。


 ふるると長い睫毛が揺れ動く。僕は息を潜め、心の中で必死に祈った。再び、睫毛が動く。閉じられた瞼が、目の錯覚かと思うほど僅かに開く。


「アリス!?」

「ア……ル……」

「アリス!」


 ゆっくりと二度、確かに瞬きをしたアリスを見て、僕は奥歯を噛み締め声を殺して涙を零した。

 アリスの白い頬にハラハラと落ちる涙。その雫に、アリスはゆっくりと瞳を開き僕と同じ青紫の瞳を向け、花が解ける様に薄っすらと柔らかな笑みを見せた。


「ア、ル……よかっ……た」


 僕は声を出さず何度も頷くと、アリスの上半身を抱き上げる。そんな僕の頬をアリスのまだ冷たい指先が触れる。その手を素早く取り、グッと握る。


「記憶はちゃんとある様だな」


 少し離れた場所で見守っていたナリシアが言った。

 僕は視線だけをナリシアへ向け、思わず目を見張った。


 終始、淡々とし表情が読み取れなかったナリシアが、優しく微笑んでいる。


「アリス嬢は、もう大丈夫だろう」


 そう言って、ゆっくり近寄りアリスの顔を覗き込む。すると、まだ朦朧としていた筈のアリスが、その瞳を徐々に大きく見開いた。揺れる瞳で驚いた様にナリシアを見つめる。

 ナリシアが優しい眼差しでアリスを見ている。その眼差しは、まるで娘を慈しむ様な慈愛に満ちたものだ。一見、僕と変わらない年齢に見えていたナリシアが、ずっと歳上の様に見えた。


「アリス……」

「あ……の……あなた、は……」


 アリスは瞬きを忘れたかの様にナリシアを見つめ、掠れる声で話しかける。

 ナリシアは小さく小首を傾げ言葉を待つ。


「わたし……ルイスの、きおくを……みた、んで……す」

「……ルイスの記憶?」


 僕は囁く様にアリスに訊く。アリスはゆっくり視線を僕に向けて小さく「うん」と頷く。


「生死の境で、ルイスに会ったのだな?」


 ナリシアの表情が崩れる。笑みを浮かべつつも泣き出しそうな、そんな表情に僕は目が離せなくなった。


「ルイスは、何と?」


 淡々と話していたナリシアの声色に、温かく優しい温度が乗る。


「ギデ……オンさんを、ガブレリアへ……連れ帰って……って……。自分の……墓の、となり……寝かせてって……」

「そうか」

「ギデオン……さん、まほう、じん……きえ、た?」


 アリスの言葉に、ナリシアが首を横に振る。


「まだ、完全には消えていない」


 その返答に、アリスは再び目を見開き、身体を動かそうとした。僕は、アリスの身体をしっかりと支える様に抱く。


「……より、しろ……まだ、ある、の?」

「いや、依代はアレックス殿が壊した。あの陣は呪いの類だ。陣を描いた者が亡くなれば消えるが、直ぐではないというだけだ」

「すぐ……きえ、ない……」

「そうだ」


 その答えに、アリスはゆっくり瞳を閉じる。悲しげな、辛そうな表情に僕はナリシアに目を向ける。


「彼の胸の陣は、いつになるば消えますか?」


 アリスが気にしているという事は、恐らくそれが重要な事なのだろう。僕が訊ねるとナリシアは小さく唸ってから、僕に視線を向ける。


「通常の呪いであれば一、二週間といったところか。だが、あの呪いには毒が含まれていた。その毒が消えるのが、どのくらい掛かるかわからぬ……一週間後か、一年後か、それ以上か……」

「すぐに消す方法は、無いのか?」


 僕の言葉に、ナリシアは僕の顔をじっと見つめる。寸秒経ってナリシアは言った。


「方法がないわけではない。だが、あくまでも消える可能性があるというだけの話だ。それを試した事は無い。だから、成功すると断言は出来ない。……この八百年で、私もそれなりの力をつけた。だが、他の魔女が付けた陣だ。どこまで関与できるのか……」

「どんな方法だ?」

「ナリシア、さん。おしえて、くだ、さい」

 

 アリスの声に、ナリシアは困った様な表情を見せる。


「それには、其方のを使う事になる。それでも、良いか?」

「大切な者の、瞳?」

「たい、せつ……。アルの、まがん、です、か……?」


 ナリシアはアリスの言葉に、小さく顎を引く。僕は僅かに身体を固くしたアリスを安心させる様に、その身体を抱く手に入れ力を入れた。


「僕の魔眼を、どう使うのだ?」

「……成功するとは、限らぬぞ? それならば、魔法陣が消えるのを待つ方が賢明では?」

「ダリアが死んだ今、あの魔法陣の効力は?」

「……残念ながら、まだある」

「ならば……魔法陣が消えるのを待つ間、再び彼の身体を使おうと企む者が現れたら? 危険性がある事を考えたら、僕は僅かな可能性であっても、ナリシアに賭けたいかな」

「……」


 ナリシアはぐっと眉間に皺を寄せ目を閉じる。答えを黙って待つ。どのくらい経ったか、長く考えていたナリシアが目を開き、僕とアリスを交互に見た。


「アレックス殿の魔眼を。左眼を頂く。左眼は、もう魔眼では無くなる。それでも良いか?」


 何かを決意し挑む様なナリシアの瞳。

 僕は、その問いに「ああ」と力強く答える。


「元々、僕は魔眼持ちだったわけでは無い。魔眼が無くなったからって、何かが変わるわけじゃ無いだろ?」

「……瞳の色が変わるぞ?」

「そんなこと。色が変わっても、僕は僕だよ」

「知りもしない男のために、成功するとも分からぬ私に、そこまで賭ける理由は?」


 僕の真意を探る様な言葉。


「もう二度と、こんな事が起きてほしく無い。ギデオンさんの魔法陣が消えれば、もうこんな悲しい争いは、無くなるだろう……。それに、もうこれ以上、ギデオンさんを苦しめたく無い。この八百年、彼はずっと朽ちる事なく存在し続けた。もう、これ以上苦しめる必要は無いだろ?」


 その答えに納得したかは分からない。だが、ナリシアは「わかった」とひとつ言うと、アリスを見つめた。


「アレックス殿の瞳を……。として頂く。代替えは……恐らく精霊達が用意するだろうよ」


 そう言うと、ふっと笑う。さっきからアリスの周りをクルクルと踊ろように舞う淡い光が、僕の周りをも飛び回り出す。


「彼等が、僕の瞳の代替えを?」

「ああ。妙に張り切っておるわ」

「そうなのか……?」

「ああ……。ルイスといい、其方達といい。精霊に好かれるとは。不思議なものだな」


 そうして、僕は左の魔眼をナリシアへとして渡した。


 ナリシア曰く『対価』として貰わなくては、代替えを手渡せないのだと言った。

 僕の左眼に手を翳し呪文を唱える。冷んやりとした何かが目に触れる。だが、それは嫌な感じは一切しなかった。この感覚は何だと思っていると間を空けず「もう良いぞ」とナリシアに言われ目を開く。


「違和感は?」

「いや……特には。大丈夫だ」

「そうか。……では、ギデオンの陣を消す」

「ああ、頼む」


 ナリシアがギデオンの棺の前へ向かう。その後ろ姿を見ていたアリスが側へ行きたがったので、僕はアリスを横抱きにしてナリシアの側へ向かった。


 その時、頭の中にレオンの声が響いた。


『アレックス……。外に、の気配を感じる』


 その言葉に僕は一瞬、身を固くする。胸の奥に冷えるものを感じた---。



 

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