第140話 封印


 氷の精霊が軽く右手を振るうと、眩しい光に包まれ瞬時に目を閉じた。その目を開けた時にはもう、ルイスがよく知るルーラの森の中だった。


「風の精霊王殿を探そう」


 ナリシアに促され、ルイスは「ああ……」と返事をし歩き出す。

 森の中、奥深くまで行った事が無かったが、奥へ進むにつれ妖精なのか精霊なのか、キラキラとした光が見て取れる。

 こんなに沢山のが、この森に居るとは知らなかったルイスは、不思議な感覚でその様を眺めていた。

 ルーラの森には、あまり魔獣は出現しない。その理由は、きっとこの妖精や精霊達の光に満ち溢れているからだろうと、ルイスは思った。魔獣の多くは闇を好むからだ。そんな事をつらつらと考えていると、ふとギデオンを思い出す。この知識は、彼から得たものだったなと。そう思うと、ルイスは僅かに苦しそうな表情をし、下唇をキュッと噛み締めた。

 随分と森の奥深くまで来たが、ナリシアは一向に歩みを止める気配はない。どこまで行くのかと声を掛けようとしたその時。

 ナリシアの歩みが止まった。


「風の妖精達が増えた……近くに精霊王殿が居るはずだ」


 その言葉に、ルイスは納得する。先程まで穏やかにそよいでいた風が、ナリシアの歩みを止めた場所を境に強くなり出したのだ。ルイスの瞳に映る煌めきも、増えた様に見える。

 ナリシアが再び歩き出した。先程とは違い、どこへ向かうのか明確に分かって居るかの様に、その足取りには何の迷いもない。

 その歩みが止まったのは、少し開けた場所で他よりも風が強く吹いている。それも不規則に。崖があるのか、底から突き上げるような風が混ざる。


「風の精霊王殿。いらっしゃらぬか。氷の精霊から前触れが来ていたと思うが」


 ナリシアの声が響く。

 ほんの数秒、間を開けて。何か大きな気配を感じた。


『来るのは氷の精霊では無かったのか……』


 頭の中に響く声と同時に、ぶわりと強風がひと吹き。目を閉じ、思わず首をすくめる。風が収まると、そっと瞼を開けた。


 硝子細工の様に煌びやかな光の中に、精霊王は居た。


「すまない、父は来ない。私は氷の精霊の娘、ナリシアだ」


 風の精霊王は、ナリシアに向けていた視線をスッとルイスに向けた。その瞳に、ルイスはなぜか逸らす事も瞬きする事も出来なかった。



***



「どうしても、これを秘匿せねばならないのだ」 


 ナリシアは根気強く風の精霊王に頼み込んだ。

 風の精霊王と対峙してから、どのくらい経っただろうか。何度説明しても、風の精霊王は頑なに首を横に振る。


『精霊は人間の中で起きた出来事には、関与してはならない』


 そう言って、取り合わない。


 だが、ナリシアの根気強さに折れたのか、深い溜息を吐き出して、小さく『対価はなんだ』と言った。その声は囁く様で聞き取れず、僕は困惑顔で精霊王を見つめる。今度はハッキリと、ルイスにも聞き取れる声で言った。


『ルーラの森に、闇の王の魂を隠せと言うのか? その対価は?』


 その言葉にルイスは「対価は、僕の瞳だ」と答える。

 風の精霊王は、ルイスの瞳を真っ直ぐに捕える。


『……魔眼か。確かに、対価としては十分ではあるな。だが、もう既に片眼は魔眼の力を失っているようだか?』

「それは、私から説明しよう。彼の片方の魔眼は、北のフェリズ山脈内にある。向こうでも、封印せねばならぬ物があってな……」

『ほぉ?』


 風の精霊王の視線が、ルイスからナリシアへ移動する。


「これもフェリズ山脈に置こうとしたが、フェリズ山脈は暗闇が多く存在している。闇を餌にする此奴が万が一、復活してしまったら、何の意味も無くなってしまう。ルーラの森は精霊も多く光が多い。清らかな光が、封印を強固なものにすると、私は考えたのだ」

『我がルーラの森を穢すだけに来たのかと思えば……其方も穢れたものを秘匿しているのか……。何故、それを破壊しなかった?』


 風の精霊王は、細く長い指でナリシアの持つ箱を指差す。


「出来なかったのです」と、今度はルイスが静かに答えた。


『出来なかった、とは?』

「剣はもちろん、炎も水も氷も雷も、何もかも。弾き飛ばされた」

『魔眼を持ってしても?』

「両の眼がそうであれば、違ったかも知れません……」

『……先に別のものを封印をしたという事か……』

「はい……」


 風の精霊王は小さく息を吐くと、『分かった』と言った。


『であれば、致し方あるまい。それを預かろう』


「本当か!?」とルイスが前のめりで言うと同時に、風の精霊王は『しかし!』と声を被せた。


『お主の魔眼一つでは、事足りる事ではないぞ?』

 

 風の精霊王が意地悪く微笑む。


「では、私の寿命と引き換えでは如何かな?」


 ナリシアが一歩前に出て言う。その顔からは感情は読み取れず、人形の様だ。

 風の精霊王は僅かに目を見開いた。


『北の魔女ナリシア……。氷の精霊と魔女の血を引く者。確かに、お主の寿命は人間とも精霊ともつかぬもの……。しかも魔女の血を受け継いでいるから、その命がどれほどか私にも解らぬ……』


 風の精霊王は口元に片手を当て暫し考える素振りを見せると。美しい顔の眉間に皺を寄せ、瞳を閉じた。

 ふと、風の精霊王がその目を開く。


『人間である二人がそこまでの事をするのだ。精霊王である私もそれなりの事をせねばな……。そもそも、その穢れたものは、元を正せば我々と同じ種族だ……。魔眼の子よ、その瞳はこの森の清浄を保ち続ける為に使うぞ。ナリシアの寿命は、この穢れたものの封印を強固なものにするために、そして私は、この森の鍵番となり、生涯この森でそれを見張ろう。この森に生まれ育つもの達には、この記憶を継いでいき、この森の秘密は話せない様にし、森を護って行くことを約束しよう』

「すまない、風の精霊王殿」


 ルイスが頭を下げると、その口元が僅かに綻んだ。だが、それは幻の様にすぐに消える。

 

 それからルイスの瞳は風の精霊王に託した。


『色だけは、変えずにおこう。両方ともが元の色と違う色になるのは嫌であろう?』


 そう言ってルイスの右眼に手を当てる。清涼感のある冷たい物が触れる感覚。その不思議な感覚にルイスの中にあった不安はもう、消えていた。


 精霊王はルイスの次にナリシアへ向き合うと、彼女の全身を風の膜で覆う。旋風が巻き起こったが、それもすぐに止んだ。


『二人とも、身体に違和感は?』

「大丈夫です」

「私も何ともない」


 二人の返答に一つ頷く。


『では、闇の王の魂の封印を始める。封印場所は、この崖の中腹に。万が一、人が来ても手の届かない場所へ。それが終わったら、三人に共通した術を施す』

「共通した、術?」


 ルイスが復唱すると、精霊王はチラリと目を向けた。


『ここに、を、例え、誰にどんな魔法を使われても話す事が出来ないようにする必要がある。その為の術だ』


 ルイスが「なるほど」と、一つ頷く。


『ただし、其方の場合は、この場所だけでなく、この出来事の全てだ』

「出来事の、全て?」

『そうだ。フェリズ山脈であった出来事、フェリズ山脈に封印したものも、についても、全てだ』

「……元より、誰に話す気もないが……。王族のみに、報告する事も出来無くなるのか……」

『ガブレリアの王族は、であれば、伝えずとも彼等は知る事が出来るから安心して良いだろう』

「それは、どういうことですか?」


 ルイスは意味がわからず、精霊王を見上げる。


『王族には【知恵の女神】がついている。どうしても王に伝えるのであれば、【知恵の女神】に訊ねられよと、一言いえば伝わる』

「知恵の女神……」

『では、始めるぞ』


 ルイスが未だ考えているのも無視し、風の精霊王はネックレスの封印を始めたのだった。

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