第138話 魔眼


 触れられた感覚も痛みも何も無く、ルイスはそっと目蓋を開ける。ナリシアの掌に青紫と銀色を纏った丸い光の塊が浮いてる。


「……終わったのか……?」

「抉って取り出す事はしないと、言っただろう。……どうだ? 左眼の感覚は」


 左眼に手を当てる。魔力は感じないが、今までとは違う「何か」がある。


「……痛みは無いが、何だろう……不思議な感覚がある」

「魔眼の代替えに、其方を気に入った精霊達がをした様だ」

「贈り物……?」

「すぐに分かる。さて、始めようか」


 ルイスは意識を切り替え、ナリシアの指示通り後ろへ数歩下がった。


 ギデオンに向き合ったナリシアは、振ろうとした杖を止めた。


 その不自然な動きにルイスは「どうした?」と背中に声を掛ける。

 暫しの沈黙後、杖を下ろしたナリシアが背を向けたまま「すまぬ、ルイス」と平坦な声で謝った。


「ナリシア?」


 微動だにしないナリシアに、ルイスは近寄ってその隣に立った。

 ナリシアは、氷の棺の中に眠るギデオンの胸元を険しい表情で見つめている。


「ナリシア?」

「ルイス。これは、私の失態だ」

「どういう事だ?」

「これに、気が付かなかった。すまない」


 ナリシアは、ギデオンの首にかかったネックレスを指差した。


「これが、どうかしたのか?」

「それから、僅かだが魔力を感じる。それも、【影の精霊】の」

「影の、精霊?」

「ダリアの父親だ。恐らく、そのネックレスが【影の精霊】の魂の依代だろう。それをこの男の中に取り込むつもりでいたのか……。すまない、気が付かず……」

「いや、僕が焼印を見せるのに退かしたのが悪かった。申し訳ない」

「いや……。お互い謝り合っても仕方あるまい。これを手に取れるか?」

「すぐに外す」


 ルイスはギデオンからネックレスを外し、その青い石に触れたが、何も感じる事は無かった。


「本当に、これに魂が?」

「ああ……。私には、触れる事が出来ぬが……」

「触れられない? なぜ……」

「私は半分精霊の血が通っている。私が触れれば、操られる可能性があるのでな……。ルイス、それを壊せるか?」

「壊せば、魂はどうなる」

「依代が無くなれば、行く場が無くなる。消えるだけだ」

「すぐにやってみよう」


 ルイスはネックレスを床に置くと、魔力を込めた剣で突き刺した。

 

 だが、ネックレスは壊れる事はなかった。ルイスが出来る限りの属性を試したが、どの魔法も魔術も強烈な反発によって、剣先が触れる事すら出来なかった。ルイスは手に取るとこは出来たので、掌に魔力を集め破壊しようとしたが、猛烈な痛みを感じ落としてしまう始末。


 ルイスは困惑しつつ「魔力が半分以上無くなっているせいかも知れない」と呟く様に言った。


「いや……魔力量に問題は無いはずだが……」

「どういう意味だ」


 ダリアとの戦いで魔力を半分以上使い果たし、魔眼が片方無くなった今、魔力量以外に考えられる事が、ルイスには思い当たらなかった。


「量より質だ。魔眼が片方になったが為に、両目の時と魔眼同等の質を維持できていないのかも知れない。破壊するには、一定量の魔力を必要とするが、その流れが安定していないのだろう」


 ルイスの心がひんやりと冷えていく。「どうすれば……」と誰にともなく言う。


「ここに置いておくわけにはいかない。どこか、隠せる場所を……」

『それならば、其方の家の裏手にある【ルーラの森】にいかがかな?』


 ナリシアとは別の声が、脳内に響く。

 ルイスは驚き辺りを見回す。


 ナリシアの斜め後ろに、風も無いのに小さな旋風がおきた。


「父上……」

「父上?」


 ナリシアの言葉にルイスが重ねる。


 すると、目の前には半透明だが、水色の姿をした髪の長い男が立っていた。冷たい感情の読み取れない表情は、ナリシアによく似ている。ルイスは、威厳のあるその姿に、無意識に跪き頭を垂れた。

 

『人の子よ。そう畏まらずとも良い。面を上げよ』


 脳内に響く不思議な声。だが、不快ではない。ルイスは、ゆっくりと頭を上げて男を見上げる。

 これが、精霊なのかと、心の中で呟く。と、同時に、なぜ自分が精霊を見る事が出来ているのか、なぜ声が聞こえているのかと、驚き混乱しかけた。そんなルイスに気が付いたのか、ナリシアの父である氷の精霊は、ルイスに小さく笑いかけた。


『その瞳。新しい其方の瞳は、雪の精霊からの贈り物だ。だから、私の姿が見えているし、聴こえているのだよ』


 その言葉に、ルイスは左眼に手を当てた。特にこれといった違和感は無いし、見え方も今までと変わらない。だが、精霊が見えるという事は、そういう事なのだと理解した。


「なぜ、私を知っているのです?」

『風の精霊王とは親しくてな。ルーラの森近くに住む人間に、魔眼を持った者がいると、話には聞いていた。だから其方であろうと分かったのだ』


 精霊同士の会話に、自分が話題になっていたことに、ルイスは若干驚いた。


『精霊の間では、昔から魔眼の人間が現れると、災いが起こる前触れと言われている』

「私の存在が、今回の様な事を引き起こしたと?」


 ルイスは不服な気持ちを抑え聞く。


『いや、その反対だ。魔眼の人間は、災いを回避する為に存在する。今回、結果はどうあれ、この世界を闇にする事を阻止出来た。それは、其方が居てこそ』


 氷の精霊は、抑揚のない静かな声で淡々と言った。ルイスは複雑な気持ちでその話を聞いていたが、ナリシアが話に割って入ってきた。


「ところで、父上。先程の話ですが」


 ルイスが戸惑っている事を無視してナリシアが父親である氷の精霊に向かって話しかける。


「【ルーラの森】というのは、ガブレリア王国にある風の精霊王がいらっしゃるという森の事でございますね?」

『ああ、そうだ。あの森であれば、浄化作用もあり、万一の事があってもが暴走する事は無いだろう。風の精霊王には、私から前触れを入れておこう』

「ありがとうございます、父上」


 ナリシアの言葉に一つ顎を引く。


『さぁ。早い事、その男を封印してしまわないと。分からぬからな。ここの事を知られる訳にもいくまい』

「はい、父上」


 氷の精霊に促されると、ナリシアは先程、ルイスの左眼から取り出した魔眼を掌に浮かべ、ギデオンの氷の棺に向き直った。

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