第137話 対価


 先程、ダリアが言っていたことが嘘では無いかと、心の奥底ではそうあって欲しいと思っていた。だが、ナリシアの言葉で、あれは嘘ではなかったのだと分かった。


「本当に、もう心臓は無いのか? さっきまで確かに会話をしていたんだ……」

「この魔法陣の特徴だ。この者が死を迎えた時、別のモノを嵌め込むために空洞にする。陣が心臓部に描かれていることから、心臓を抉り取るものだ」

「抉り取る……! なんて惨たらしいことを!」

「しかもこれは重ね陣だ。細胞のみ生成され魔力が維持される様になっている。焼印は、しるした者が亡くなれば消えるものだが、こうして残っているという事はダリアの魂は何処かに用意した依代に移ったのだろう。身体は消えて無くなっても、魂はまだ存在している証拠だ」


 ルイスはヒュッと喉を鳴らした。


「あの女は死んだのでは無いのか!?」

「身体が無くなったという意味では、死んだと言っていいだろう。しかし、身体と魂は別物だ。いつか自分の魂と波長の合う器を見つけたら、その中へ入り込み再び同じ事を繰り返すつもりだろう……」


 相変わらず表情の読み取れないナリシアの顔を見ながら聞いたその言葉に、戦慄を覚えた。


「まだこの先もギデオンの身体を利用する気でいるという事か?」

「そういう事だ」

「そんな……そんな事はさせない! 北の魔女……ナリシアと言ったな。どうすれば、それを阻止出来るか解るか!?」


 ナリシアは静かに立ち上がると、ルイスと目線を合わせる。


「……其方、名は?」


 その言葉に自分が名乗っていない事を思い出し「ルイス・ランドルフだ」と答えた。


「ルイス・ランドルフ……。手が無いわけではない。しかし、対価が伴う」


 凪いだ水色の瞳を見つめ、ルイスは答を急いた。


「どんな対価だ」

「ルイス・ランドルフ、其方のその魔眼だ」

「この、魔眼を……ッ!?」

「片方でいい。それを、この男を封印する為に使う。それは、私の平穏な日々を守る為にもなる。それが対価だ」


 ルイスは戸惑いながらも「封印、とは?」と聞き返す。


「この男の身体は朽ちない。ならば、その辺に捨て置くわけにもいくまい。この男の身体そのものを封印し悪用されぬ様、誰一人として触れられない様にせねばならぬ。其方の瞳は、その封印の鍵として使う。其方と同じ瞳以外では解けない鍵だ。そうすれば、例えダリアが依代から抜け出して、この男の身体を再び利用しようとしても、アヤツでも開ける事が出来ないものにする必要がある」


 ルイスは黙ったままナリシアを見つめる。どこまでも静かな瞳に嘘は見えない。今はこの魔女に賭けるしか無いと頭では分かっているが、心が迷う。


「安心しろ。抉って取り出す事はしないし、代替えはある」


 表情の無かったナリシアの顔が、僅かに緩む。笑ったのだ。


 その表情を見て、不思議と不安が消え去る。ルイスもフッと小さく笑い「承知した」と答えた。


「では、早速行おうか。封印場所はどうするか……。ここでもいいが、気分が悪かろう」

「ここ以外に、どこか場所があるのなら、そうしてくれ」

「この胸の陣がある限り、バイルンゼル帝国から出る事は出来ぬのだが、フェリズ山脈のガブレリア側近くに似た様な空間がある。ここにあるより、そちらが良いだろう。万が一を考え、私が管理出来る場所が良い。どのくらいの年月、管理出来るかは分からぬが……」


 感情の見えない表情のナリシアだが、言葉の端々に僅かな温度を感じる。

 ルイスは自身の中の警戒心が解けて行くのを感じた。何故かよく知りもしないナリシアを、魔女である彼女を受け入れることが出来る。不思議な女だと、心の中で呟く。


「ならば、ガブレリア王国側で頼みたい。ここは、壊したとはいえ忌々しい魔法陣もあるからな」

「わかった。では移動しよう。その男を担げるか?」


 ルイスはしゃがみ込みギデオンの身体を抱き上げる。ギデオンの腕を自分の肩に回し、腰を掴むとフッと力を入れて立ち上がった。


「私に掴まれ」


 そっと差し出された腕を掴む。細いが確かな筋力を感じる腕だ。ナリシアは短く呪文を唱えると、空いている方の腕を振り、転移魔法を展開した。


 瞬時に風景が変わる。先程と似た広さの空間だが、一つ違う事といえば先程は森に面した山の麓の岩をくり抜いたような空間だったが、こちらは氷の洞窟の様な空間だった。この空間にも等間隔に篝火が焚かれている。


「朽ないとはいえ、こちらの空間の方が冷えているから封印には向いているかも知れんな」


 ナリシアが独り言の様に言った言葉に、ルイスは黙ったまま頷いた。


 松明の光に輝く氷が鉱石の様に見える。


「ガブレリア側に、こんな場所があるとは知らなかった……」

「だろうな。そもそもがこの山へ来る者も少ない。この空間も、魔女である我々しか知る由もないだろう」


 ナリシアは空間の真ん中へ向かうとローブの裾から指揮棒の様な杖を取り出し、一振りした。


 地面が大きく揺れ、ルイスは足を踏ん張る。

 ナリシアへ目を向けると、彼女の立つ足元から、氷が迫り上がってきた。人一人横になれる位の台だ。


「その男を是へ」


 指示通りにギデオンを台の上に寝かせると、ルイスはナリシアへ向き直る。


「僕は、どうすれば良いんだ?」

「まぁ、少し待て」


 ナリシアは台に横たわったギデオンに向かって杖を一振りすると、何処からともなく白い雪が舞い始めた。その様は幻想的で、思わず見入っていると、幾つかの白い光がルイスの周りをクルクルと舞った。


「フフ、其方は雪の精霊に気に入られた様だ」


 初めて声を出して笑ったナリシアに驚きつつも、その言葉にルイスは更に驚いた。


「これは精霊なのか? 君は、精霊の言葉が分かるのか? それとも、魔女の力か?」

「質問が多いな。魔女が皆、精霊と会話が出来るのではない。私は氷の精霊と魔女の間に生まれた。だから精霊の言葉が分かるだけだ」


 サラッと衝撃的な発言しながらも、ギデオンに術を施すナリシアの姿を、ルイスは呆然として見つめた。


「……精霊の、子供……」

「そろそろ良いだろう」


 ナリシアの言葉にギデオンの方を見ると、氷で出来た棺の中にその姿があった。ルイスはナリシアに向き直り、会ったばかりの時よりも心の血の通いが微かに見て取れる。その無表情の顔を見つめた。


「こちらの準備は出来た。あとは、其方の瞳だ」

「宜しく頼む」


 迷いの無い力強い声に、ナリシアは幻のような瞬き一回分の微笑みを一瞬浮かべ、ルイスに言った。


「左の魔眼を対価として戴く。そのまま目を閉じて、じっとしていろ」


 ルイスは黙って瞼を閉じ、ナリシアにその身を任せた。覚悟は決めていたが、不安が無いわけでは無い。だが、不安がっている暇もなく、ナリシアが「もう良いぞ」と声を掛けたのだった。


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