第129話 疑惑


 数日後。


 ギデオンは自身の胸にだけ刻印を残すことを決め、ダリアがそれを刻んだ。

 それが、本来どういった意味を持ち、どういった目的のための印なのかも知らず。ダリアを疑う事なく、受け入れた。




 ギデオンに刻印を付けてから、ダリアの様子が少しずつ変わり始めた。

 それは、ほんの些細なことから始まった。今までギデオンの研究内容に口出しをする事の無かったダリアが、少しずつ口出しする様になったのだ。最初は、さして気にも留めていなかったが、その内容が次第にギデオンの困惑を招く物に変わり始めた。


「ギデオン。あなたの研究には、魔獣を人工的に殖やす研究はしていないの?」


 その言葉にギデオンは一瞬、理解が出来ずに小首を傾げる。


「人工的に? それは、どういう意味?」

「一から人が生み出すって事よ」

「……魔獣を? 一から?」

「そうよ」

「……そんな事をして、何になるのだ?」


 ダリアの質問に困惑気味に答えるギデオンを見て、ダリアは大袈裟なほど大きなため息を吐いた。


「人工的に生み出すことで、より魔獣の生態や能力を研究出来ると思わない? どうしたら狂化してしまうのか、どうしたら魔素のない血に変えられるか、どうすれば繁殖が防げるのか……他にも色々。自分達で生み出すことにより、反対に魔獣の絶滅に向けてどうすれば良いのか対策が出来る。魔獣をより詳しく知る事により、その可能性が高まると私は思うのよ」

「……それならば、わざわざ生み出さなくても、魔獣を殺さず捉えて、そこから生態を詳しく調べていけば良いんじゃ無いだろうか……。そういう事であれば、ガブレリア王国にいた頃に研究したが……」


 ギデオンの回答に、ダリアは首を左右に振って深く息を吐き出した。


「一から生み出す事で、どの段階で狂化するのか、何がきっかけになるのか、研究する事で対策をする事が出来ると思うの。ねぇ、ギデオン? 私も手伝うわ。共同研究をしてみましょうよ」


 ダリアの言葉に、ギデオンは暫し黙り考えた。確かに、魔獣が生まれる原理については調べていない。どの段階で魔獣と化するのか。生まれた瞬間から魔獣であるのか。その事を調べてみるのは、確かに今後、魔獣を絶滅させる一歩になり得るかも知れない。ダリアの意見に一理あると思い直したギデオンは「わかった」と、頷いた。


 その日から、二人は屋敷の地下室に研究室を作った。あまりに危険な研究であるため、公に調べる訳にはいかない。しかも、魔獣の生態から太陽の光が入らない場所でなけばならない。実験も夜に行うことが前提になる等、諸々考えると宮廷内の研究室で行うわけにはいかなかった。


 二人で研究と言いつつも、殆どの作業をギデオンが行った。魔物討伐の際に、仲間に知られない様に生捕りにした魔獣を夜中に回収し、屋敷に運ぶ。何体かの魔獣から組織を採取し組み合わせる。その繰り返し。ダリアは横で見ているだけであったり、時折、薬草を見繕って用意するなどした。

 次第に寝不足が祟り、仕事に集中出来ない状態になって来たある日。

 間違えて多く入れてしまった薬剤が、今まで見た事のない反応をした。

 

 偶然に出来た魔獣の幼生。


 ギデオンはすぐさまダリアに知らせると、彼女は今まで見た事がない喜びに溢れた笑顔を見せた。


 それからだった。

 ダリアが「変わった」と、ギデオン自身が思うようになったのは。


 ダリアは今回の研究資料を熱心に読み込んだ。そして、何故かギデオンの過去の研究資料をも欲しがり、試してみたいと言い出した。とても危険なものだから、興味本位で行うものでは無いと諭しても、ダリアは「なら、資料を見るだけでもダメかしら? 私はもっとあなたを理解したいし、私も勉強したいの」と、甘える様に微笑んだ。

 しかし、ギデオンは危険なものだから、と首を横に振ると、ダリアは烈火の如く怒りを露わにした。


 自分を何故信じないのか、自分を愛していないのか、と。


 今まで声を荒げ怒ることの無かったダリアに対し、ギデオンは戸惑いつつも、資料を見せる事に仕方なく頷いた。

 ほんの僅かであれば大丈夫だろうと、幾つかの研究資料をダリアに見せた。それでも、最も危険性の高いものは見せてはいなかった。


 だが、それは間違いであったと、後にギデオンは深く後悔したのだった。

 どんな資料も。いや、ダリアに言われて始めた魔獣を生み出す研究も。全て、間違いだったのだと。



 資料を見せてから半年後。

 ギデオンがバイルンゼル帝国へ来て一年が経った。


 バイルンゼル帝国内の各地に、異常な頭数の魔獣が現れ出したのだ。


 ギデオンは、最初は何かの異常発生かと思いつつ、帝国軍に混ざり魔獣討伐を手伝った。しかし、ある時、自分が考案した魔術の気配を感じ取ったのだ。それも、ダリアの魔力を纏った気配。


 魔獣を生み出す方法。それも、狂化した。

 だが、その狂化させる研究資料はダリアには見せていないものの筈だった。

 きっと何かの間違いで起きたのだと思っていた。思いたかった。


 だが、それは連日続いた。


 ギデオンは、討伐を行いながら、僅かに残る魔力の残滓を手繰り寄せ、ダリアに間違いないと、確信したのだった。


 その日の夕刻。

 二人の屋敷へ戻ると、ギデオンはダリアと話し合いをしようとした。が、ダリアは魔女会議に出掛けていると家来に伝えられた。


 ギデオンは妙な胸騒ぎを覚え、執務室へ向かうと、紙とペンを持っていくつもの数式を書き出したのだった。

 どのくらい経っただろうか。ふと顔を上げ、壁時計を見遣る。時計の針は四時を回っていた。ギデオンが屋敷に帰ったのは十八時過ぎ。明け方近くまで書き続けていたのかと、小さく息を吐く。執務机の上に残った一枚の紙を見つめる。


「……万が一のためだ……。これを使う事が無ければ良いが……」


 そう呟くと、再びペンを持って、今度はある人物へ向けて手紙を書き始めた。書き終えた時には、空は白々と夜が明け始めていた。


 結局、ダリアは翌日の昼過ぎまで屋敷へ帰る事はなかった。


「ダリア、どこへ行っていたんだ」

「仲間の魔女が体調を崩したと聞いたから、様子を見に行っていたのよ」


 ダリアは普段と変わらない様子でそう言った。


「ダリア、話があるのだが」

「ごめんなさい。昨晩は一睡もしていないから、とても疲れているのよ。少し休みたいの。また後にしてもらえないかしら」

「……そうか。わかった。では夕食後にでも」

「ええ、わかったわ」

「ゆっくりお休み」

「ありがとう、ギデオン」


 ダリアがギデオンの横を通り過ぎ、寝室に入って行くのを見送った。ギデオンはダリアの後ろ姿を見ながら、微かに眉間に皺を寄せる。


 ダリアから、ほんの僅かだが薬剤の香りがした。この香りには、覚えがある。魔獣を生み出す研究で、この香りを嗅いだ事があるからだ。

 あの資料は、ダリアが熱心に読んでいた。熱心……いや、それ以上に。覚えようとしているかの様に。


 その香りが、ダリアからした。


 ギデオンは執務室へ向かい、資料をしまってある引き出しの前に立った。

 この引き出しには鍵を掛けて、その上から念のために封印の魔法を掛けてある。

 引き出しに手を翳す。封印を解かれた気配はない。ギデオンは、封印を解き鍵を開けた。

 中には、ちゃんと資料が入っていた。


 だが……。


「順番が違う……」


 資料には並べ順があった。それが一部、バラけていたのだ。


 魔獣を狂化させる薬草について書いてある資料が。


 胸の奥がヒヤリと何か冷たいものに触れられ、捕まれた感覚になる。

 耳の奥には、ルイスの声が甦る。


『彼女は何かを隠している。それも、良からぬ何かを。彼女には気を付けろ。君の知識と力を狙っているのかも知れない』



「ルイス……。君が正しかったのかも知れない……」



 今更、そんな事を思っても既に手遅れであった。ギデオンの胸にはダリアの刻印が刻まれてしまったからだ。この国からは、もう出る事は出来ない。


 ギデオンは、自分の胸にある刻印に服の上から触れた。

 この陣の意味を、調べなくてはいけない。そんな気がした。

 魔女とバイルンゼル帝国の神官の間にだけ使われる古代文字で、ギデオンには読む事が出来ない。この刻印を刻んだとき、あの頃のギデオンはダリアの全てを受け入れて、信じ切っていた。だからダリアが言った意味の通りだろうと思っていたが……。

 

 ギデオンは何かを振り払うように、首を横に振った。


 今は、その前にやらなければならい事がある。

 今朝までかけて編み出した、あの資料を。


 今すぐに、ルイスへ送らねば。



 ギデオンは、手紙を持ってひっそりと屋敷を出て行った。




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