第130話 悪事


 ギデオンは宮廷内にある自身に与えられた研究室へ来ていた。

 ここには、ガブレリア王国と文書のやり取りをするための陣が設置されていた。

 陣と言っても、それと分かるものでは無い。書類を二つ折りしたら入る程度の小さな木箱だ。


 ガブレリア王国から離れ、宮廷魔術師も辞めて来たギデオンだが、皇帝の計らいにより、研究のやり取りなどを出来る様にとガブレリア王国に掛け合った。そして、書類やガブレリア王国でしか生息しない薬草などをやり取りできる様になった。


 ギデオンはその木箱の中に、手紙を押し込むと魔法を発動させた。

 木箱をそっと開ける。無事に向こうへ届いただろう。木箱の中は空になっており、ギデオンは小さく息を吐いた。


 それから、ガブレリア王国の魔術師長宛に走り書きでメモ程度の手紙を書くと、それと一緒に研究資料を木箱へ入れた。何度かに分け研究室資料を送り終える。


 もう、何もかも遅すぎるかも知れない。だが、ここに、この国に置いておくわけにはいかない。そう思ったのだった。

 木箱を開けて中を見ると、一枚の紙が入っていた。

 懐かしい見慣れた文字。魔術師長の物だ。


『この資料は、儂が責任を持って処分しておくから安心しろ。それからルイス・ランドルフには、お前からと言わず手紙を渡しておく』


 ギデオンが読み終わると同時に、手紙はボッと音を立て燃え消えた。


 窓際に置いてある長椅子に、脱力した足で近寄り座り込む。膝に両肘を置き頭を抱えた。

 静かに、ゆっくり、息を吐き出す。

 床にポタリと雫が落ちる。一つ落ちると、二つ、三つと続けて落ちていった。


 

 部屋が薄暗くなり始めた頃、ギデオンはゆっくりと立ち上がり、研究室を出た。


「……ああ……、そうだった。帰る前に、これを調べないとな……」


 自身の胸に手を当て、シャツをくしゃりと握る。ふふ、と自嘲するように口元を歪めると、ギデオンは気怠そうに背中を丸め、足を引き摺る様に宮廷内の図書室へ向かったのだった。

 


***



「ギデオン。昼間は何処へ行っていたの?」


 その日の夜。

 寝室へ向かうと、先にベッドにいたダリアが訊ねてきた。


「宮廷へ用があってね。寝ていたのでは無いのか?」

「寝る前に、部屋の空気を入れ替えたくて窓を開けたら、あなたが何処かへ行く姿が見えたのよ」

「そうか。の具合は、良くなったのか?」

「ええ、だいぶ落ち着いていたから、大丈夫よ」


 ベッドの端に腰掛けたギデオンに、擦り寄り身体を密着させるダリア。だが、ギデオンはそっとその肩を押して身体を離した。


「ギデオン?」


 ダリアはギデオンの顔を覗き込み、その瞳を見つめる。長い睫毛を伏せ、ギデオンは何かを考えているかの様に口を一文字に結び、沈黙している。

 ダリアは何も言わずにギデオンの言葉を待つ。その赤い瞳には、何かを探る様に鋭い光を宿している。

 長い沈黙の後、すっと息を吸い込む音がした。ギデオンが話し出すと気がつくと、ダリアはすぐに表情の鋭さを和らげる。

 

「……ダリア……」

「なぁに? ギデオン」


 猫撫で声を出し、再びギデオンに抱きつく。ギデオンはそれを離す事なく、そのまま瞳を伏せ、囁く様な声で言葉を発する。


「君は昨夜、本当は何処へ行っていたんだ?」


 ダリアはギデオンから身体を離し、「ギデオン?」と声を落として名を呼ぶ。


「……今日、君が帰って来た時、気が付いてしまったんだよ」

「……気が付いたって……何に?」


 ギデオンは身体をダリアに向け座り直し、ダリアの両腕を優しく掴み「正直に答えてくれ」と、緊張した面持ちで言った。


「君は、魔獣を生成しているのか? それも、狂化した魔獣を」


 一瞬固まったダリアは、ふふっと、思わず笑い出し、それは次第に大きな笑い声に変わった。


「あははは! ギデオン! 一体何を言い出すの? 私が本当にそんな事すると思って?」


 笑い止まないダリアを、ギデオンは痛々しい表情で見つめる。


「……ダリア。私は、最近の討伐で君の魔力の残滓を読み取った。しかし、それは気のせいだと思っていたんだ……。だが、君は今日、魔獣を狂化をさせる為の薬剤の香りを体に纏って帰ってきた……」


 一言、一言ゆっくりと語るギデオンの低音の声は、ダリアの笑いを止めた。


「何を言っているの? 私は狂化させる方法なんて知らないわ。生み出す方法は、二人で研究して知ってはいても、私が生み出している証拠は? 残滓なんて証拠にはならないわ。そんな物は何処にも無いでしょ?」

「私の執務室の研究資料を見ただろう?」

「あなたが見せてくれたんじゃない」

「私は狂化させる方法は、見せていない。だが、資料の順番が違っていたんだよ。君が、見たんだろ?」


 ダリアの顔が強張った。笑おうとして、上手く笑えないのか、頬が引き攣っている。


「君は、一体、何のためにこんな事をしている。バイルンゼル帝国は君の故郷だろ? なのに、こんなに多くの魔獣をそこらじゅうに放って、何をしたいんだ? 私の胸の刻印についても調べた。この国に、婚姻を結んだ者が刻印を残すなど、そんな風習は無い……。古代文字を調べた。これは、死者の魂を固定させる為の物だろ? 一体、私をどうしようとしているんだ」


 ダリアは俯くと、肩を震わせた。


「ダリア……答えてくれないか」

「ふふ……ふふふ……あはははは!!!」

「ダリア……」


 顔を上げて大笑いしているダリアを、ギデオンは困惑しつつ眉間の皺を深くして見つめた。

 一通り笑い終えたのか、ダリアはギデオンに顔を向ける。だが、その表情は、今までに見た事のない、感情の伴わない冷たいものだった。


「あなたには、わからない。私は、この国が故郷だなんて思った事は一度も無い。こんな国、さっさと滅びれば良いのよ」

「ダリア……」

「私の両親は、何もしてないのに、この国の人間に殺されたの。こんな国、どうなろうと私には関係ないの。私は、あなたの身体にお父様の魂を移して復活させ、この国を正すのよ」

「魂を、移す? 国を正すとは……?」

「そう、正しい世界に変えるのよ……。ここに、お父様の魂を入れて……」


 そう言うと、ダリアはギデオンの胸に手を当てて呪文を唱えた。


「……ぅう゛……ッ!!」


 ギデオンは心臓が鷲掴みされた様に傷み出し、呻き声を上げた。


「まだ、準備が整っていなかったんだけど。仕方ないわね」

「……ダ……リア……」

「遅かれ早かれ、あなたはこの国では生きて行けなかった。だって、今回の魔獣はガブレリア王国が攻め入る為にあなたを利用して放った物だと、今日、噂を流したの。あなたが自作自演をしているとね。あっという間に広まるわ。そうすれば、あなたはここで生きては行けない。それに、ガブレリア王国にも魔獣を放っているのよ。バイルンゼル帝国にいる、あなたが祖国を襲ったと見せかけて」

「……!!」

「近いうちに、戦争になるわ。私が帝国を潰してもいいけど、私、ガブレリア王国も欲しいの。だから、両方で潰しあってもらおうと思って。ふふ。素晴らしい考えでしょう?」


 呼吸が浅くなり、ギデオンは前屈みに倒れ、ベッドから落ちた。


「……ギデオン、痛い? でも大丈夫よ。その痛みも苦しみも、あなたがあなたの力を私に受け渡してくれれば、おさまるわ」


 そう言いなが、ダリアはベッド下で倒れるギデオンの肩に片足を乗せると、強く蹴った。

 仰向けになったギデオンは、苦痛の表情を浮かべながら薄っすらと瞳を開けてダリアを見た。


「なぁに? まだ抵抗するの?」


 ギデオンは倒れる瞬間に、自分に術を掛けた。効果は無いだろう。それでも、細やかな抵抗として、防御魔法を掛けたのだ。


「そんなもの纏ったって、何の役にも立たないわよ。まぁ、まだ準備が整っていないし。好きな様にすれば良いわ。でも、準備が出来次第、あなたの命は頂くわ。お父様のために、ね」


 にやりと口角を上げると、ダリアはベッドから降りてギデオンの横に跪く。そして、苦しむ彼の唇に自分のそれを押し当てた。

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