第100話 はじまりの、はじまり(ダリアside)
誰かの笑い声が聞こえる。
何があるのかと気になる程、とても愉しげで、誘う様な笑い声だ。
笑い声に導かれる様に辿り着いた場所は、どこか見覚えのある場所。この風景は……。
私はハッと気が付き、辺りを見回す。
そうだ、この風景は風車小屋のある場所だ。風車小屋の近くには、一本の大きなニレの木がある。だが、本来あるべき場所に風車小屋がない。どういう事かと思っていると、ニレの木の下に、笑い声の主がいる事に気が付いた。
再び、彼女が笑い出す。
薄茶色の髪をハーフアップにし、深緑色のドレスが良く似合う、少しあどけなさが残るが美しい女性。
「デール、もうやめて? 可笑しくて、たまらないわ。笑いすぎて、お腹が痛くなってしまうじゃない」
『僕は、もっとブレンダの笑った顔が見たい』
「私は、あなたと一緒なら、それだけで幸せでいつも笑顔で居られるわ」
『笑った声も聞きたい』
男の声はするが、姿は見えない。私は目を凝らし、彼女の周囲に集中する。すると、ニレの木の影が不自然な動きをしている事に気が付いた。
その瞬間。
ニレの木の影が人の形になり、実体化した。
(あれは……精霊……?)
『ブレンダ』
黒い人の形をした影が、手を差し伸べる。
ブレンダと呼ばれた彼女は、笑顔を浮かべ立ち上がると、その影に吸い込まれる様に包まれた。抱きしめ合っているのだと認識するまで、数秒を要した。それだけ、彼女が真っ黒に染まったのだ。
「そうだ! デール、私、今日は大切な物を持って来たのよ!」
『大切な物?』
「そう! 見て、これ!」
そう言って、彼女が小さな鞄の中から何かを取り出し、影に見せた。
その手には、真っ赤な色をした大きな石が嵌め込まれたブローチと真っ青な色をした大きな石が嵌め込まれたネックレス。
「このブローチとネックレスは対になっているのよ。これを、こうして嵌めると……。ほら、一つになった」
ブレンダはブローチとネックレスを重ね、影に見せる。卵の様な形になったそれを、再び外す。
「この赤い石のブローチは、私用。こっちのネックレスは、あなたに」
『ブレンダの瞳の色と同じ石だ」
「そう。私の瞳と同じ色の石。だから、いつも肌身離さず付けて。私だと思って」
『わかった。ありがとう。大切にするよ』
「ええ」
二人は再び抱きしめ合う。影であるデールの表情は分からないが、ブレンダはとても幸せそうな表情だ。だが、その表情が、ふと消えた。
「デール……。私、人間なんて嫌いよ。デールを【
『ああ。ブレンダ。可愛いブレンダ。僕が愛しているのはブレンダ、君だけだ』
【悪魔の子】という言葉に、引っ掛かりを覚えた。私が子供の頃、同じ事を言われた事があった。この、血の様に赤い瞳のせいで……。
忘れてしまいたい記憶だった。
「魔女として実績を積めば、誰も何も言わなくなる」
そう、お母様が私に言ってくださったから、私はどの魔女にも負けない様、たくさん知識や経験を重ね、今では、どの魔女も使えない黒魔術が得意となった。
そんな昔話に意識を奪われていると、急に視界が歪み、背中を引っ張られる様な感覚がおきた。抵抗しようにも、私は魔法を繰り出すタイミングを失った。何故なら、すぐに引っ張られる感覚が無くなったからだ。
「デール! デール!! どこ? どこにいるの!?」
『ブレンダ、ここだよ。どうしたの、愛しい人』
ブレンダは酷く取り乱し腫れた目をしている。
ニレの木の影が人の形になると、ブレンダを抱きしめる。
ブレンダは、暫く声を上げて泣いていた。
どのくらい時が経ったか。ブレンダが、ゆっくりと語り始めた。
ブレンダは、隣国へ嫁入りする事になったこと。だが、ブレンダのお腹には新しい命が宿っている事。
「この子は、デールとの子よ」
ブレンダがそう断言すると、影の姿が先程よりもより、はっきりとした人の姿になった。
黒い髪に白い肌。筋の通った鼻梁。穏やかな優しい目を見て、私の心臓はドスンと殴られた様に弾いた。
赤い瞳。
「私はこの子を産みたい。デールとずっと一緒に生きていきたいの」
『ブレンダ……』
「デール……私は、どうすればいいの……」
デールが何かを答えようとした途端、再び身体が引っ張られる。私はもう抵抗はせず、流れに身を任せた。デールの赤い瞳。私の瞳の意味が、ここにある。そんな気がしたのだ。
再び、ニレの木が現れた。
ただ、先程と少し違いがある。
現在、風車小屋がある場所に、可愛らしい小さな家が建っていたのだ。
「あはは! もう、ダリア、ダメよ。こっちへいらっしゃい」
ダリア!?
私は、再び心臓を大きく叩かれる感覚になる。
『ブレンダ、ダリア、おいで』
「おとうさま!」
ダリアと呼ばれた少女は、黒髪に赤い瞳を持っていた。顔はブレンダによく似ていて、幼い中に美しさがある。
ダリアがニレの木の下で人の形をした影に駆け寄る。その後を、幸せそうな笑みを浮かべ、ゆっくり歩いて近寄るブレンダの姿があった。
「あなた、」
ブレンダの言葉は続かなかった。
その胸には、一本の矢が。背中まで貫通していた。
『ブレンダ!!』
影は幼いダリアを抱え込み、見せない様にした。
「やった……!! やったぞ! 【悪魔の子】を仕留めた!! はは! 早く皇帝にお伝えして爵位を貰うぞ!」
小高い丘から声が聞こえ、振り向き見上げる。身なりの汚い男が、興奮した様に笑みを浮かべ叫びなが、走り去っていく。
「おとおさま? どうしたの?」
『ブレンダ……ブレンダ!!』
影から人の姿になったデールが、倒れたブレンダに駆け寄り抱きかかえた。
『ブレンダ! ブレンダ!!』
「おかあさま? おとうさま、おかあさまは、どうして、ねているの?」
デールは、涙を流しながら何も分かっていな幼い娘の頬を黙って撫でる。不思議そうに首を傾げ、デールを見つめるダリア。
そろそろ視界が変わる。
そんな予感が的中し、再び私は引っ張られる流れに、身を任せるのだった。
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