第83話 宣戦布告(皇太子side)


 昼間、ベルナルドが部屋から出て行った後、突然、皇帝からの呼び出しで緊急会議が行われた。

 それは、ガブレリア王国へ攻め入る宣言であった。宣戦布告の口上は、にもつかないものであった。


【フェリズ山脈及びその水脈、リバーフェリズの森は、バイルンゼル帝国の領土であり、何百年もの間、不当に占拠し続けているガブレリア王国から領土奪還のため、戦闘を開始する】


 確かにフェリズ山脈の半分はバイルンゼル帝国側の山脈だ。だが、山脈全てとガブレリア王国側にあるリバーフェリズの森までもが我が帝国の領土であったという事実は、何百年も前から無い。歴史書やその他の文献にも、その様な記述はどこにも無いのだ。

 だが、八百年前にあった戦争以来、何かあればフェリズ山脈を理由に小競り合い程度の争いがあったのは確かだ。それでも、短命だった前皇帝から父上に代替わりして以来、一度も争いは無かった。私は子供の頃から父上が「自分の代で、この不毛な争いを終わらせる」と言って来ていたのを聞いていた。


 それが、最近になって急に変わってしまった……。


 私は、今回の争いは「小競り合い程度」では済まないと感じていた。


 その理由の全ては、東の魔女の存在だ。


 八百年前の争いでも、東の魔女が関わっていた事は歴史書にも記述がある。

 そして、宰相からの密告が本当であるならば、フェリズ山脈や森どころの話では無い。ガブレリア王国全土を落とすつもりではと、感じるほどであった。


 夜の帳が下りる頃、私は一人、寝室である人物を待っていた。

 水面下でずっと準備を進め、信頼出来る者達を集め、その時が来るのを私は息を潜める待っていたのだ。


「遅くなってすまんな、リカルド殿」


 カーテンがふわりと揺れたかと思うと、待ち人の声がした。


「いや、大丈夫だ。南の魔女、ダレーシアン」


 その人物の名を呼ぶと、蝋燭の炎が揺れる部屋に、一人の女が現れた。艶のある浅黒い肌が光る。深緑の短い髪が風にサラリと流れ、オレンジ色の瞳が一瞬塞がれたが、魔女は片手でサッと払った。

 年齢不詳の魔女は、豊満な胸元が大きく開いた、目のやり場に困る露出した服装で遭わられた。視線を下に逸せば、引き締まった足がチラリと見える。私は小さく息を吐き、両の眼を伏せた。

 

 私の様子に気が付いたダレーシアンは「おやおや、皇太子殿には刺激の強過ぎた服装であったかな?」と、カラカラと笑い揶揄ってきた。

 私は軽く咳払いをし、瞳を開き相手の目だけを見るように努めた。


「ガブレリア王国へ攻め入ると。王国側にも宣戦布告がされた」

「ええ、宰相殿から報告が」

「当初、宰相が言っていた予定よりも早い気がするが」


 ダレーシアンは、ふんと鼻で笑う。


「東の魔女が、どうやら失敗をした様で」

「失敗?」

 

 予想外の言葉に、私は身を乗り出す。


「ガブレリア王国側のリバーフェリズの森に、黒魔術の魔法陣を描こうとしたようだ。それも、巨大な魔法陣をな。それを、どう描いていると思う?」


 どこか楽しそうにいうダレーシアンを、私は軽く睨み付ける。それに気が付いたダレーシアンは、軽く肩をすくめ話を続けた。


「ガブレリア王国に描かせているのさ」

「フィンレイ騎士団か!? どうやって!」

「魔獣を放って、討伐させて。その血で魔法陣を描いていたんだよ。だが、向こうさんも、ただの討伐馬鹿じゃなかった。気が付いたんだ、討伐しながら魔法陣を描かせられている事に」


 その話は、どこかの夢物語でも聞かされているのかと思うほど、意外な話だった。いや、確かに宰相から、東の魔女がガブレリア王国側に魔法陣を仕掛けているとは、聞いていた。だか、こんな風にとは……。恐らく宰相ですら知らない事であっただろう。


「彼等は、どうしてそれに気が付いたんだ」

「フィンレイ騎士団内の騎士に、神獣と主従契約している者が居るそうだ。その神獣が、魔法陣の気配に気が付いたようだ。まだ半分ほどしか描けていない段階でね」

「……それが失敗したとは? 気が付いた所で、東の魔女の事だ……そう簡単には引かないだろう。今も、魔獣は放たれているのだろ?」


 東の魔女ダリアを思い出す。妖艶な笑みを浮かべる赤い唇。人の心を見透かす様な赤い瞳を。


「フィンレイ騎士団は、【血を流さない討伐】とやらをする事にしたそうだ」

「なぜ、お前は王国側の情報を詳しく知っているのだ」


 一瞬の警戒心に、南の魔女は笑う。


「あちらさんのハルロイド騎士団に、バイルンゼル帝国の密偵が送り込まれてるのさ。会議での内容がこちらには筒抜け。皇帝宛に報告が来たのさ」

「……」

「なぜ、皇帝宛に来た報告を知っているのか、という顔だなぁ?」

「……そこまでの話は、宰相からも来ていない」

「皇太子殿、貴方は今、誰と話をしている?」


 南の魔女は、器用に左の口の端をクイっと持ち上げ笑う。が、その眼は笑っていない。


「ルーシャ」


 魔女が一声、声を掛けると、何処からともなく南の魔女の使い魔が現れた。


 ルーシャと呼ばれた使い魔は、すばしっこい動きで南の魔女の肩に飛び乗った。


 野ネズミだ。


 なるほど……。ルーシャなら、何処にでも潜り込める。しかも、ただの野ネズミじゃない。使い魔だ。私と宰相を繋いだ、その野ネズミを見て納得をした。


「それで? 皇太子殿は、どうするおつもりで?」


 分かっているくせに、意地悪く笑みを浮かべ訊いてくる南の魔女を、恨めしい顔で睨み付ける。


「私のこの格好を見たら分かるだろ」

「軍服ですねぇ?」


 揶揄う様にいうダレーシアンを無視し、私は腰を下ろしていたベッドから立ち上がる。

 

「宰相が私のがわに付いているという者達を集めている」

「総勢何名で?」

「……三百弱だ」


 ヒューと口笛を鳴らして、わざとらしく驚いてみせるダレーシアン。


「少ないと言いたいのだろう。だが、反乱軍と呼ばれる事になるにも関わらず、私に着いてきてくれる者達だ。どうなるかも、分からないと言うのに……。私は、この三百の命の責任を背負う覚悟で事を起こすのだ。決して少なくない、等しく尊い命だ」


 何千という帝国軍を、三百弱で抑えられるとは思っていない。だが、動かねばならないのだ。やらなくては、いけないのだ。

 しかも、ガブレリア王国は魔法に長けている。万が一、私達の意図が伝わらず攻撃を受けた際、魔力を持たない者が多い仲間達を、どう守るかすら、私にも想像がつかない。


「私も入れば、多少は抑えられるだろうさ。帝国軍も、魔法攻撃も」


 私の思考を読んだかの様に、南の魔女が言う。


「ダレーシアン?」

「私も共に戦うと言っているのだ。さぁ、こうしてはいられない。さっさと仲間の所へ行くぞ、皇太子殿」


 そう言うと、ダレーシアンはパチンと指を鳴らす。煙が舞ったかと思うと、すぐに消える。私は目を丸くしてダレーシアンを見つめた。


「この格好なら、誰も文句はないだろ?」


 そこには、軍服を着た南の魔女が得意げな顔で立っていた。

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