第78話 ルーラの森の真実(ヒューバートside)
水の底へ向かって、どのくらいが経ったのか。
気が付けば、私は普通に呼吸を繰り返していた。眩しい光の中で、僅かに声が聞こえた気がした。
「……これを秘匿せねばならないのだ」
誰かの声。秘匿とは? なにを。
私は自分が目を閉じているのか、開いているのかも分かっていなかった。
ゆっくり瞼を持ち上げてみると、目を閉じていたと気が付く。
『ルーラの森に、×××の××××を隠せと言うのか? その対価は?』
風の精霊王の前に、両手に収まる程度の箱を持った、長い銀髪を風に流す背の低い少女と共に、アレックスが風の精霊王と対峙していた。私が風の精霊王と初めて会った崖の風景に、ここは、ルーラの森だと分かった。
『アレックス!』
私は声を上げたが、その声は何故か出ていない様に感じた。もう一度、声を掛けてはみたが、誰もこちらを向かない。
「対価は、僕の瞳だ」
アレックスが自分の目を指差しながら言う。精霊王は、アレックスを冷たい瞳で睨み付ける。
『……魔眼か。確かに、対価としては十分ではあるな。だが、もう既に片眼は魔眼の力を失っているようだか?』
魔眼と聞いて、私は気が付いた。
アレックスは魔眼ではない。
では、今見ているアレックスにそっくりな人物は、誰か。その答えを私は知っている。
我が先祖であるルイス・ランドルフその人だ、と。
本当に湖の底に過去の記憶が眠っているとは……。
私の心臓は酷く動揺し乱れていたが、深く呼吸を繰り返し、どうにか自ら気を保たせることに成功した。
今私が見ているこの光景は、八百年前の出来事という事だ。
私の声が届かないのは当然だと理解し、そのまま話に耳を傾ける事にした。
「それは、私から説明しよう。彼の片方の魔眼は、北のフェリズ山脈内にある。向こうでも、封印せねばならぬ物があってな……」
箱を持った少女が言うと、風の精霊王は『ほぉ?』と小さく声を上げた。
「これもフェリズ山脈に置こうとしたが、フェリズ山脈は暗闇が多く存在している。闇を餌にする此奴が万が一、復活してしまったら、何の意味も無くなってしまう。ルーラの森は精霊も多く光が多い。清らかな光が、封印を強固なものにすると、私は考えたのだ」
『我がルーラの森を穢すだけに来たのかと思えば……其方も穢れたものを秘匿しているのか……。何故、それを破壊しなかった?』
風の精霊王は、細く長い指で少女の持つ箱を指差す。
「出来なかったのです」とルイスが言う。
『出来なかった、とは?』
「剣はもちろん、炎も水も氷も雷も、何もかも。弾き飛ばされた」
『魔眼を持ってしても?』
「両の眼がそうであれば、違ったかも知れません……」
『……先に別のものを封印をしたという事か……』
「はい……」
風の精霊王は小さく息を吐くと、分かったと言った。
『であれば、致し方あるまい。それを預かろう』
「本当か!?」とルイスが前のめりで言うと同時に、風の精霊王は『しかし!』と声を被せた。
『お主の魔眼一つでは、事足りる事ではないぞ?』
風の精霊王が意地悪く微笑む。
「では、私の寿命と引き換えでは如何かな?」
銀髪の少女が一歩前に出て言う。その顔からは感情は読み取れず、人形の様だ。
風の精霊王は僅かに目を見開いた。
『北の魔女ナリシア……。氷の精霊と魔女の血を引く者。確かに、お主の寿命は人間とも精霊ともつかぬもの……。しかも魔女の血を受け継いでいるから、その命がどれほどか私にも解らぬ……』
風の精霊王は口元に片手を当て暫し考える素振りを見せると。美しい顔の眉間に皺を寄せ、瞳を閉じた。
ルイスと北の魔女と言われた少女は、じっと黙ってその様子を見つめている。
ふと、風の精霊王がその目を開く。
『人間である二人がそこまでの事をするのだ。精霊王である私もそれなりの事をせねばな……。そもそも、その穢れたものは、元を正せば我々と同じ種族だ……。魔眼の子よ、その瞳はこの森の清浄を保ち続ける為に使うぞ。ナリシアの寿命は、この穢れたものの封印を強固なものにするために、そして私は、この森の鍵番となり、生涯この森でそれを見張ろう。この森に生まれ育つもの達には、この記憶を継いでいき、この森の秘密は話せない様にし、森を護って行くことを約束しよう』
そこから先を聞こうとしていると、私は誰かに背後から思い切り引き揚げられる感覚と同時に、まるで誰かの記憶の写真を繋ぎ合わせたかの様な風景が物凄い速さで過ぎていく。
臨終の時、人は生まれて死ぬまでの風景を一気に見ると聞く。
……もしや、私は溺れ死んだのか?
と思っていると、通り過ぎてゆく風景の中に、目を疑う様な光景が見えたのだった---
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