第73話 探り合い(帝国側宰相side)


 バイルンゼル帝国・宮廷内。


 よく晴れた青空の下、中庭の薔薇を愛でながら、皇帝へ前触れ無しで面談に来た東の魔女と雑談をしていた。


「ダリア、首尾は上々か?」


 声を落として訊ねれば、ダリアは妖艶な笑みを浮かべ肯首する。


「ええ、もちろんでございます。グリア宰相様。それよりも、帝国軍の方の準備はいかがでして?」

「こちらも順調に整ってきている。だが、まだ武器が足りなくてな」

「リカルド皇太子が、何やらこそこそと動いている様ですが……。そちらは大丈夫でございますか?」


 その質問には、私は小さく咳払いをする。ダリアはすうっと目を細め、私の表情を読み取ろうとしていた。蛇の様な絡みつく視線。私は平静を装って、それに気付かぬふりをする。


「今調べている最中だ」と、更に声を落として短く言うと、ダリアはふと、私から視線を逸らした。


 皇太子は今は亡き前皇后の息子。責任感も強く、聡明な頭脳を持ち、現皇后の息子である遊び人の腑抜け第二皇子とは出来が違う。見目も良い事から民からも人気の高い男だ。

 私は皇太子派であった。しかし、皇太子派とはいえ、私が今支えているのは皇帝だ。皇帝に逆らう事など、出来るわけもない……。


 だが、それは表立っての話だ。


 知れれば、私もただでは済まない。それを分かっていても、私は皇太子に賭けた。

 私は幾つもの信頼できる伝手を頼り、南の魔女へ繋いだ。皇太子へ手助けをして欲しいと。

 そして南の魔女が、一度だけ私の前に現れた。私が本当に皇太子派の人間で、信頼が出来るのかを探りに来たのだろう。私は自分の立場を説明し、皇太子しかこの状況を変えられないと伝えると、南の魔女も「それは正しい判断だ」と肯首した。「私は表立って動けない。だが、何か必要があれば協力すると伝えてくれ」と南の魔女に伝えた。魔女が、その事を皇太子に伝えたかは分からなかった。だが、皇太子が動き出したと南の魔女の使い魔が知らせにきて、今後は何かあれば、その使い魔が間に入ると。その事で、皇太子に私がついている事は伝わったのだと確信した。

 皇太子本人も自ら動けば反逆者となると、よく理解している。それでも、皇太子は密かに動き出したのだった。今私が出来ることは、東の魔女の動きを探り、皇太子に伝える事だ。

 私は慎重にダリアと話をしなくてはならない。が、次の質問で私の中で感情が僅かに揺れ動いてしまった。


「ところで、最近、宰相様は皇帝様とご一緒でない事が増えたとか……。代わりに吟遊詩人が側についている様ですねぇ」


 ダリアは艶のある赤い唇をクイっと上げ、探る様な視線を私に向ける。


「第二皇子が連れて来た吟遊詩人か。皇帝が偉く気にっておってな。あの男を仕向けたのは、ダリア、お主ではないのか?」


 私は東の魔女に負けず、ずっと考えていた事を向ける。視線を逸らさず、赤い瞳を見つめ返す。情欲的な笑みを崩す事なく、私を見返していたダリアは、不意に黒いレースの扇をサッと広げ、その口元を隠した。


 見窄らしく、常にボロ切れの様な灰色のローブを纏い、フードの奥から覗く病的に白い肌は人のものとは思えぬ色だ。真っ黒に染まった縮れた髪の隙間から覗く歪んだ顔は痩せこけており、笑みを浮かべると隙間の空いた黄色い歯がやけに際立ち、思わず目を背けたくなる。

 だが、その者のは、人の心を虜にする毒が含まれている。甘く、柔らかな果実の様で、もっと欲しくなる歌声だ。

 それは、まるで魔物の子守唄。気が付けば、いつの間にやら沼の底へと引き摺り込まれる。そんな歌声だ。とても嫌な予感が私の中で渦巻いた。南の魔女の使い魔も「あの者には気を付けろ」と私に忠告をした。だが、皇帝から離させる方法は無いかと模索してはいるものの、なかなか上手くいかず。ついに、嫌な予感は的中する。


 皇帝は、見事に沼の中へ引き摺り込まれた。


 この何百年も続いているガブレリア王国との確執は、自分の代で終わらせると言い続けて来た皇帝が。

 突如、ガブレリア王国をバイルンゼル帝国の物にすると言い出した。


 歴代の皇帝とは比べ物にならないほど穏やかな性格であった皇帝が、まるで別人格にでもなったかの様に癇癪を起こすようになり、攻撃的な発言をするようになりだしたのだ。

 挙句、ガブレリア王国に攻め入ると言い出し、私は慌てて皇帝にお伺いを立てた。が、そう思い立った理由をよくよく話を聞けば、吟遊詩人による占術の結果であると知った。


『今なら、全てを手に入れられる』


 それから暫くして、東の魔女が宮廷に姿を現す様になった。

 私を外し、皇帝と二人きりで話がしたいと申し出たが、そんな事が出来るわけがない。

 しかし、皇帝はそれを受け入れた。


「吟遊詩人が、東から来る風を受け入れよと、言うのでな。それは東の魔女の事だと余は思っている。グリアは下がって良い。代わりに吟遊詩人をこれへ」


 全て「吟遊詩人」の言う通りに動き出した皇帝に、私は危機感を覚えた。だが、私の話は聞き入れてはもらえず、遂に、本来ならば私が居るはずの立ち位置に、あの見窄らしい男が立つようになった。それは、あっという間の出来事だった。


 私は瞳を閉じて、じっと奥歯を噛み締める。


 感情を抑えろ。魔女に悟らせるな。


 静かに両の目を開く。

 

「あの者は、実に良い声をしている。占術も行えるとは実に素晴らしい男だ。強いて言えば、あの見窄らしいローブをどうにかして欲しい物だ。ガブレリア王国を手に入れるまでの僅かの間とはいえ、私の代わりに皇帝の隣に立つのであれば、身なりは綺麗にしていて欲しいものだ」


 私の言葉に、ダリアは高い声で笑う。

 多少は機嫌が良くなったか。ならば、この魔女と更に深い腹の探り合いをするか。


 しかし、相手は東の魔女。どの程度、引き出せるかは分からぬが。

 だが、これは唯一、今の私が出来ることなのだから。


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