第44話 精霊王2(お父様side)

『ヒューバート。残念だが、あの花で人の命を救うことは出来ぬのだ……』

「ッ! そ、そんな筈はありません! 植物図鑑にも、あらゆる病を治すとありました!」

『それは、人の書いた図鑑であろう? ここに棲む我の言葉の方が真実であるとは、思わぬのか?』

「……そ……それは……」

『人間が出鱈目に書いた記述が、たまたま本当に、この崖に棲息していた。今までも、幾人かの人間がやって来たが、誰もが無事に帰れてはおらぬ……』


 私は、わかっていた。


 精霊王が言うのだ。その通りだろうと。本当は頭の隅で、分かっていたのだ。その様な花が本当にあるのならば、市場に出回っていたとしても、おかしくはないのだから。それでも、諦めきれない私の顔は、きっと涙を堪え醜く歪んでいた事だろう。跪いていた私の前に、精霊王は音もなくしゃがんだ。

 半透明な手を私の頬に当て『すまない……』と、寂しげに呟く。暫し、何かを考えるように口を噤むと『少し待っておれ。数本、手折って来よう』と言い、ふっと目の前から姿を消した。と、思いきや、すぐに十本以上の花を持って、再び私の目の前に現れた。


『これを持っていけ』

「え……」

『これで命を繋ぎ止めることは出来ぬ。だが、希望を持つ事は、出来るものだ』


 私は震える手で花を受け取る。それを見た精霊王は素早く立ち上がると、柔らかな手付きで風を生み出した。その風は私を立たせ、背中を押す。


『さぁ、もう行け。二度とここへ来るでないぞ?』

「しかし……!」

『ヒューバート。ここは人間にはとても危険な場所だ。今回は、お前は運が良かった。拙い風を操るお前を、風の精霊達がお前を気に入り助けた。今まで、ここで助かった人間は居ない。お前と、お前の先祖であるルイス以外は、な』


 その言葉に、私は驚き目を見開く。


『さぁ、分かったら花を持って帰れ。二度と来るで無いぞ。約束だ』


 再び少し強い風が、私の背中を押した。自然と足が先へ進む。


「あ、あの!」

『元気でな』


 私がもう近づく事が出来ないよう、精霊王は小さな旋風を起こした。

 私は風に背中を押されるままに、森を出て邸へと帰った。


 精霊王のいう通り、花の蜜を抽出した薬を飲んでも、母上の病が治る事はなかった。しかし、精霊王のいったとやらが、ほんの少しだけ母上に力を与えた。あと数日の命だった母上は、二年、大きな痛みに苦しむ事もなく、穏やかな生活を送り、眠る様に静かに亡くなった。



☆☆☆



 あの日以来、私は精霊王との約束を守り、ルーラの森奥深くまでは行った事は無かった。それは、おそらく私の子供達もだと思われる。


 私は記憶を辿りながら、花が棲息している崖へと向かった。しかし今日は、当時と比べやけに魔獣と出会す。私は魔獣を倒しつつ、先を急ぎ、目的の地へ辿り着いた。


「精霊王! 風の精霊王、シルフィード殿!」


 何処に居るかも分からぬ精霊王の名を大声で呼ぶ。風は吹いてはいるが、何か特別な気配があるものでは無い。

 ふと、思い立って、試しに魔法で小さな旋風を作ってみた。


 すると……。


『二度ここへは来るなと、約束したはずだぞ? ヒューバートよ』


 頭の中に響く、懐かしい声。

 たった一度の出会いだったにも関わらず、私はこの声をしっかりと覚えていた。耳心地の良い柔らかなそよ風のような、その声を。


「約束を破ってすまない。ただ、緊急事態なのだ。どうしても、其方に聴きたい事があるのだ。八百年前、この国で何が起きたのか。我が先祖のルイス・ランドルフは、何を行ったのか」


 姿の見えない声の主に語りかけると、真正面から私を通り過ぎるように一陣の風が吹き抜けた。


『八百年前に起きた出来事……』


 背後から聞こえた声に振り返る。すると、子供の頃に一度だけ感じた事のある、清涼感のある何かが目に触れた。

 そっと両眼を開き見ると、目の前には子供の頃に一度会った姿と何一つ変わった様子のない精霊王、その人が立っていた。


 精霊王の長い髪が風に柔らかく靡く。


『ヒューバート、しばらく見ない間に随分と歳をとったな』


 精霊王はそっと笑みを浮かべた。私は直ぐ様、跪いて首を垂れる。


「お久しぶりです、精霊王シルフィード殿」

『そう堅苦しくなるな。表を上げ、顔を見せておくれ』


 頭を上げ精霊王を見上げると、優しい眼差しと合う。


「シルフィード殿、我が子が隣国の魔女に連れ去られました。それには【菫青石の宝珠】が関係しております。我が子には、魔眼の気配はない。しかし、連れ去れたのです。調べてみれば、八百年前に起きた出来事が今に繋がる、その様な気がしてなりません。歴史書を調べても、私が知りたい事は何一つ書かれていない。どうか、お願いです。八百年前に何があったのか、知っている事があれば、お教え願えないでしょうか」


 切に願う私の言葉を、精霊王は目を閉じ、静かに聞いていた。暫し無言の時間が過ぎ、精霊王がゆっくりと口を開いた。


『八百年前、バイルンゼル帝国がガブレリア王国に攻め入った。その理由は、のためだった』

「ある者の復活?」


 精霊王は小さく頷くと、話を続けた。


『その者の復活には、魔力を持った人間の血が多く必要とされていた。そういう意味では、この国は他の近隣諸国に比べ魔力持ちが多く、質も良い。だから狙われていたのだ』


 精霊王の話に私は言葉を失った。

 今回の件と繋がる点がある。エドワードが調べた魔法陣には、多くの民が死に至る可能性が高いものがあったと報告を受けている。私は微かに震える手にグッと力を込め握りしめた。


『そして、その者が復活するために必要なモノの一つを、お主の先祖であるルイス・ランドルフは、この森に封印したのだ』


 その言葉に、私の心臓はひっくり返るかの様に、大きな音を立てた。


「……い、一体、なにを……。何を、封印したのでしょうか……」


 絞まった喉から、強引に声を絞り出す。

 精霊王はそっと微笑むだけで、その問いに応えてはくれなかった。


『それを護るため、我は此処に居るのだ』とだけ、囁くような声で言った。


 私は声もなく、ただただ精霊王を見上げる。


 今回のこの事案は、世界を揺るがしかねない大きな出来事が潜んでいる……。私一人でどうにか出来る事ではない。

 私は全身の血の気がどこかへ行ってしまったかのように、身体の感覚が消え失せていった。

 

 全身が脱力している中、精霊王は気を取り直す様に顎をツイっと上げた。


『ヒューバートの所には、神獣の仔がおったな?』


 唐突な問いに、私は一瞬呆けたが「はい」と力なく一つ頷く。


『神獣の所へ行こう。付いてくるが良い』


 先を歩き出した精霊王の後を、私は動きの悪くなった身体を無理矢理に動かし、急いで付いて行った。


 崖の場所よりも、更に奥深い森の中へ---。

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