第31話 第3ステージ カノジョの部屋

 第3ステージである、2年C組の教室。


 その入口には、「カノジョの部屋」と書かれた張り紙がある。

 一橋が、ラグビーで鍛えた太い腕を組んで眉を潜めた。


「カノジョの部屋だと? 意味がわからん」


 河合はバカにしたように、せせら笑う。


「俺たちをシたくさせるために、あの手この手で仕掛けてくるんでしょ。まあ、大丈夫っすよ、一橋先輩」

「なにが、大丈夫なんだ」

「このステージの脱落者は、もう決まってますからね」


 そう言って、河合はニヤニヤしながら俺の顔を見る。

 怒りを覚えながらも……確かに自らの限界は感じていた。

 なにせ他の選手の2倍の量となる、特製精力ドリンクを飲んでいるのだ。

 しかもclub beachで踊らされて体を激しく動かしたせいか、全身に血が駆け巡り、猛烈な精気が怒濤の如く襲ってくる。

 今や、茜への忠誠心だけで、かろうじて正気を保っている状態であった。


「なあ、青空。ここで棄権してもいいんだぜ?」

「うっ……」

「ステージで醜態さらすより、そのほうが気が楽だろうが」


 考えてみれば、それも手かもしれない。

 クラスのみんなには恨まれるだろうが、少なくとも茜には操を立てたことになる。

 だが……。

 汚い方法で俺を嵌めた河合の思う壺となるのも、腹立たしくはあるが……。


「いや、頑張ろうよ。青空君」


 そこへ、なぜか励ましの声を掛けてきたのは、意外にも高宮だった。

 高宮は河合に向き直ると、その顔を睨みつける。


「河合君がズルをしているのは、うすうす感づいていたよ。やり方がフェアじゃないね」

「な……」

「俺は青空君といろいろあったけど、この競技は正々堂々と勝負したいんだ。俺にとって彼は最大のライバルであり、君ではない」


 河合の顔が、たちまち赤くなる。


「今やすっかり落ちぶれた高宮先輩が、ずいぶんと強気じゃないっすか。自分の立場をわかってます?」

「それは理解してるさ。でも俺は、過去の自分へのみそぎとしてこの禁欲という競技に参加している。だから青空君に勝って優勝できたら……」

「できたら?」

「茜ちゃんに土下座して許しを請いてでも、今度こそ真面目な交際を求めようと思うんだ」


 はあっ!?

 いきなり、なに言い出すんだこのひと!


「青空君」

「……な、なんすか」

「ずっと考えてやっとわかったんだよ。俺が本当に好きなのは、茜ちゃんだってね」


 高宮の真剣な表情を見る限り、それは本心のようである。

 なんということだ。

 いや、高宮なんかに絶対、茜を近づけるものか!

 棄権なんかしてる場合じゃない。この競技、絶対勝たねば。


「なんだかよくわかんねえけど、無駄話はそのくらいにして。そろそろステージに入ろうや」


 呆れたように一橋がそう言って、教室の扉をがらりと開けた。


 

 そこは、奇妙な空間だった。

 教室の中に、パーティションで組まれた小さい部屋が4つ配置されている。

 そして、それぞれの部屋にドアが取り付けられていた。

 あたりはひっそりと静まり返っていて、人の気配はない。

 club beachの喧騒が、嘘のようだ。


「なんだ、こりゃ……」


 真っ先にステージに入った一橋が、唖然として声を漏らす。

 高宮は、ふうむと首を傾げた。


「部屋が4つあるから、選手は自由に選んで入れってことかな?」


 どうやら、そうらしい。

 デスゲームじゃないんだから、おそらくどの部屋を選んでも正解とかはないんだろう。

 選手たちは、それぞれ適当に選んだ部屋へと散っていく。

 俺も窓際に設営された部屋に向かうと、おそるおそるドアを開けた。


 

 そこは……まさに女子の部屋であった。

 ピンクの壁紙に、ベージュの絨毯。

 壁側には、教科書と一緒に沢山のキャラクターグッズが並べられた学習机、その反対側にはふかふかのベッド。

 窓は白いカーテンが掛けられていて、外は見えないが明るい光が差し込んでいる。

 中に入って呆然と部屋のなかを見渡していると。

 ドアが開いて、制服姿の女子がひとり、入ってきた。

 いかにも可愛いタイプで、体型もグラマーだ。


「どうしたの、晴人。そこらへんに座って、くつろいでてって言ったでしょ」

「はあ?」


状況がわからず、ぽかんとする俺。


「君は……誰?」


警戒しながらそう聞くと、その女子はくすっと笑った。


「なによ。どうしちゃったんだよ、晴人。わたしはアリサ。晴人のカノジョでしょうが」

「カ、カノジョ?」

「今日、晴人がうちに来るって聞いて、頑張って部屋を片付けたんだからねっ!」


 ……なるほど、ようやく理解した。

 これは、カノジョの部屋に遊びに来た、というシチュエーションのロールプレイなのであろう。


「喉乾いた? コーラでも飲む?」


 うん、と言おうとして、あわてて言葉を飲み込んだ。

 危ない危ない。また特製精力ドリンクの罠に嵌るところだった。


「いや……喉は乾いてないんだ」


 本当は、水を5リットルでも飲みたいくらいである。


「……そう。とにかく突っ立てないで、ベッドにでも座りなよ」

「う、うん」


 ここはひとまず様子を伺いながら、彼女に合わせるしかないだろう。

 俺がベッドに腰を下ろすと、アリサは、すぐさま俺の隣に座って体を寄せてくる。

 そして俺の顔を、つぶらな瞳でじっと覗き込んだ。


「うふっ」

「いや、近くないすか?」

「あのね、いいこと教えよっか」

「なんでしょう?」

「今日、家族がみんな外出してて、誰もいないの」

「はあ」

「だから、ふたりでいいコトできるねっ」


 ……嫌な設定だな。

 大体が、彼女の部屋に海パンひとつの男子がいるということ自体、おかしいじゃないか。


「あの、少し離れてもらっていいですか?」


 するとアリサは、ノンノンと言うように人差し指を左右に振る。


「このステージでは、恋人同士になりきるのがルールなんだよ、晴人くん」


 くそ、そうきたか。


「ねえ……アリサ、って呼んでみて」

「ア、アリサ……」

「うふっ。晴人って、なんか固くなっててかわいいっ!」

「い、いや……」


 アリサは徐に俺の首に手を回すと、にこっと笑みを浮かべて首を傾げる。


「ねっ、キスしようか」

「いいいいいや、キキキキスは、まだ早いんじゃないでしょうかっ!」


 すると突然、乱暴にドアが開かれる。

 驚いて思わずベッドから立ち上がると……息を切らしながら入ってきたのは、髪を茶色に染めた如何にも不良風の男子生徒だった。

 俺の顔を睨みつけて、いきなり怒鳴る。


「てめえ、俺のアリサと何してやがるんだっ!」

「は、はい?」

「ぶっ殺してやるっ!」


 これはどういう事態なのかと、唖然とする俺。

 男子生徒は、俺の首をワシ掴みにして顔を寄せてくる。

 すると、後ろでアリサが叫んだ。


「晴人、違うの! そいつはカレでもないのに、ずっと私に付きまとっていて……!」

「うるさい、アリサ! てめえは俺のオンナだ!」

「もう帰って! 二度と私に近寄らないで! えーんえーん!」


 俺に顔を近づけた男子生徒が、小声で何事かささやく。


「なに? 聞こえないんだけど」

「ちっ。ここで俺を殴れって」


 ぽかんとしていると、男子生徒は諦めたようにため息をつき、いきなり顔を歪めて自分の左の頬を手で押さえると、勝手に後ろに吹っ飛んだ。


「ううっ……やるな、おまえ……」

「は?」

「いいパンチだったぜ。おまえには敵わねえ。アリサを大事にしてやれよ!」


 そう言い残すと、よろめきながらドアから出て行った。

 すかさず、アリサが後ろから俺に抱きついてくる。


「晴人、ありがとう! 私を守ってくれて!」

「いや、あのー」


 アリサは、はにかんだ表情を浮かべながら俺の手を引き、そのまま強引にベッドへと押し倒す。

 そして、俺の上に馬乗りになった。


「晴人への愛が、より深まったよ。だから……私を好きにして!」


 そうして、自ら制服のシャツのボタンを外し始める。

 なるほど、ようやくわかったぞ。

 今の茶番劇は、こういう展開に持っていくためだったのか。

 それにしても、このシナリオ、酷すぎだろ……。

 しかし俺は必死に、自分なりのシナリオを考えるしかない。


「い、いや、待てアリサ……そういうのは、まだまだ愛を深めてからでないとな……」

「いいえ! もう十分深まったから!」


 シャツをはだけたアリサは、俺に覆いかぶさってきた。

 そして激しく、その豊満な体を俺に押し付けてくる。

 ああ、頭が朦朧とする。

 爆発しそうな欲情を、かろうじて理性で押さえつけているが、それにも限界がある……。


 他の選手は、どうしてるんだろう。

 部屋で分かれていて情勢が見えないだけに、いつまでこれを我慢すればいいかすらわからない。

 だがこの光景は、この部屋のどこかにあるカメラで体育館に配信されていて、みんなが見ているはず。


 そうだ、茜も。

 茜に、こんな姿なんて見られたくない。

 俺は理性のゲージを必死に引っ張り上げると、なんとかアリサの体を引き離して起き上がった。


「アリサ、ごめん」

「どうしたの、晴人」

「俺には、大事なカノジョがいるんだ」


 そう言い放った直後、大音量のチャイムが鳴り響く。

 そして、教室のスピーカーから西園寺の声が流れた。


『3年B組、一橋巧也選手。失格!』


 とたんにアリサは、はあーとため息をつくと、いそいそとシャツのボタンを付け始める。


「落とす自信あったんだけどなー。キミ、なかなかやるね」


 それは、今やすっかり地声だ。


「いや、危ないとこだったよ……」


 俺はドアを開けて外に出た。

 すると、がっくしとうなだれて床に手をついた一橋が、男泣きをしている。


「……くそっ、だって俺……ずっとラグビー一筋だったから、こんな経験初めてだし。ずるいぜ……」


 うん、気持ちはわかるよ。

 経験がなければ誰だって、甘酸っぱい恋に憧れるもんな……。

 それが例え、ニセモノだとしても。

 ともあれ俺は、なんとかステージ3をクリアしたのだった。

 

 残り……3名。


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