第30話 第2ステージ club beach
隣の教室である、2年B組の扉の前には「club beach」と書かれた張り紙が貼ってあった。
「おっ。うちのクラスはクラブか。やっぱりセンスがA組とは違うぜ」
河合が得意げに言う。
だがその顔は特製精力ドリンクの影響で赤みを帯びており、体もふらついている。
他の選手もみな同様だ。
クラブだって、高校の文化祭でよくある出し物じゃないか。
俺はそう思ったが、なんだか頭が朦朧としていて口論するのも億劫である。
河合が扉を開けると、とたんに大音量でヒップホップの音楽が流れ出した。
どうやら、選手たちが入場するのを待っていたらしい。
薄暗い教室内に、たくさんのフラッシュライトが瞬いている。
奥にはDJブースがあり、DJ役の男子がコントローラーを操作しながら、ビートに合わせて片手を突き上げていた。
そして、白砂が敷き詰められたフロアでは、大勢の水着姿の女子が踊っている。
おそらく全員、2年B組の生徒なのであろう。
なるほど……第2ステージは、ビーチをイメージしたクラブってことか。
もちろん俺は至って平凡な高校生であり、クラブなど行ったこともない。
中に入って、これはいったい、どういう状況であろうかと狼狽えていると。
金髪の、いかにもギャルっぽいビキニ女子が近寄って来た。
胸元に貼った、蝶のシールタトゥーが虹色に煌めいている。
「ハーイ! キミはここ、初めて?」
……また、ロールプレイかよ。
「私、レナって言うの。キミは?」
「青空晴人です」
「じゃあ、ハルって呼ぶね!」
めっちゃ軽いノリである。
「ハル、なにか飲む?」
「ああ……じゃあ、水をください……」
とにかく喉が渇いて仕方がない。身体中が火照っていて、とても熱い。
ここの熱気が、体調を更に悪化させているようだ。
「オッケー! ちょっと待ってて!」
そう言って、レナなる女子は一旦俺から離れると、すぐさまコップを持って戻って来た。
「はい、水よ!」
いや、それは明らかに水ではない。
黒ずんでどろどろしている液体だ。
またか……またなのか……。
「ほらっ。ぐぐっといっちゃって!」
「いや、これはもう……勘弁して……」
「飲まないの?」
「わ、わかったよ……」
俺は仕方なしに、というかやけになって、その不味い液体を一気に飲み干した。
すると、レナが目を丸くする。
「キミ、すごいね!」
「えっ、なにが?」
そう聞くと、レナはなぜかはっとして、慌てたように口を押さえた。
なんか様子がおかしいぞ。
あたりを見渡すと他の選手たちは皆、普通の水を飲んでいる。
「これは、どういうこと?」
問い詰めると、レナは気まずそうに頭を掻いた。
「いやさ、河合くんから頼まれて、キミにだけ特製精力ドリンクを出すように言われたんだ。すっごい強烈なやつなのに、まさか全部飲むなんてね」
「マジかよ……」
どうやら河合は、自分のクラスである地の利を生かして、俺を嵌めたらしい。
「でも、なんで俺だけ?」
「キミさ、すごいアレを持っているんでしょ。実は河合くんも一番脅威に感じてるんだよねー」
それでかよ。
デタラメな噂のせいで、自分だけ余計なハンデを背負ってしまったじゃないか。
しかし、河合は密かにクラスの連中と通じていたんだな。全く汚い奴である。
「ま。そんなことより、一緒に踊ろうよ」
「いや、俺は踊れないから」
「ダメだよ。ここのステージのルールは、脱落者が出るまで踊り続けることなんだから」
そうきたか。
だが、踊るくらいでシタくなるものだろうか……。
「ほらっ、行こ?」
レナに手を引かれて、水着女子たちが踊り狂う狂乱の世界へと
「ほら、ハルも踊って!」
仕方なく、適当に体をぎこちなく揺らせていると。
たちまち大勢の女子たちが俺を取り囲み、その体を擦り寄せてきた。
なにせ俺は海パンひとつ。そして、女子たちも際どい水着姿。
言ってみれば、踊りながらハダカどうしで体をくっ付け合っているようなものである。
それだけでも俺にとっては刺激が強すぎるのに、女子たちが密集したその空間はフェロモンに満ちていて、なお且つ大量に摂取した特製精力ドリンクの効き目も加わり、頭がくらくらするどころの騒ぎではない。
「ねえっ! シようよっ!」
俺の二の腕に大きな胸を密着させているビキニ女子が、耳元に熱い吐息を吹きかけてくる。
「私と、シよっ!」
今度は別の女子が、俺の首に手を回して真正面から抱きついてくる。
俺はようやく、このステージの恐ろしさを知ったのであった。
ああ、やばい……。
理性が吹っ飛んでしまいそうだ……。
いかんいかん。
しっかりしなきゃ。
これは言わば、授業中の睡魔との戦いの超ハードバージョンである。
「よう、青空。そろそろヤバいんじゃないか?」
その声に目を向けると、すぐ脇で河合が踊っていた。
河合もメイド喫茶で飲まされた特製精力ドリンクによってフラついてはいるが、まだ余裕はありそうだ。
同じく水着女子に体を密着させられていても、さすがモテ男、この状況を楽しんでいるようにも見える。
「やり方が汚いだろ。俺にだけ追加のドリンクを飲ませたな」
息も絶え絶えになんとか怒りをぶつけると、河合はにやりと笑う。
「へっ。強制はしてないぜ。レナは勧めただけだよ。だから反則なんかじゃねえ」
「……くっ」
思えば確かに、飲めとは命令されていない。
飲まないの? と聞かれただけだ。
メイド喫茶の流れで、ルールとして飲まなきゃいけないと勘違いしたのは、俺である。
この競技は……心理戦でもあるようだ。
「とにかく青空。ダブルの特製精力ドリンクは、いくら凄いアレを持つおまえでもキツいだろうが、このステージはなんとか耐えてくれよな」
「それは……どういうことだ」
「このステージの脱落者は、予め決まってるからさ」
「は?」
河合が目で合図を送る。
その視線の先には……狂ったように踊る二次元オタク、宅田の姿があった。
すでにトランス状態なのか、その様子は鬼気迫るものがある。
「なぜ、宅田が脱落すると決まっているんだよ?」
「まあ、見てなって」
宅田の前に、ふと一人の女子が後ろ向きに立った。
大きく背中を露出した、ワンピース水着姿である。
そして、そのハダカの背中には……女戦士と思われるアニメのイラストが大きく描かれていた。
宅田は、その背中のイラストを見るなり叫び声をあげる。
「ああっ! ここここ、これは……聖女戦士アルディーヌさまっ!!」
どうやら、そういうアニメに出てくるキャラクターらしい。
よろよろと前に出て、宅田は神を崇めるかのごとく両手を差し出す。まさに恍惚の表情である。
「推しが目の前で……ぼくを誘っているのでしょうかっ!!」
女子の動きに合わせて揺れる背中のキャラクターは、確かに踊っているようにも見えるが、それ以前に宅田の精神状態は、もはや普通ではなかった。
彼にはどうやら、幻覚が見えているらしい。
「アアアアア、アルディーヌさまあーーっ!!」
耐えきれずに宅田は背後から女子に抱きつくと、その背中のイラストに激しく顔をなすりつける。
「ももももちろん、ぼくがお相手させて頂きますう!」
「きゃあっ!!」
抱きつかれた女子が悲鳴を上げた途端、音楽はぴたりと止まり、代わりに大音量のチャイムが鳴り響いた。
『2年C組、宅田真司選手。失格!』
西園寺の怒鳴り声が、スピーカーから轟き渡る。
それでもまだ、宅田は女子を離さない。
スタッフの男子たちがあわてて駆け寄り、宅田を必死に引き剥がそうとしていた。
「このステージで脱落するよう、宅田に罠を仕掛けてたんだな?」
俺の問いに、河合は何のことやらといった風に、手を上げる。
「誰が、どんなボディペイントしようが自由だろ。なにか問題でもあるか?」
「くっ、卑怯な……」
「それより青空、自分の心配をしたらどうよ。大量の特製精力ドリンクが効いてきて、次のステージあたり、そろそろ危ないんじゃねえか?」
そう言って、河合はにやにやと笑う。
確かに頭もアレも、限界に近づいている。
どうやら、河合の戦略に嵌められてしまったようだが……。
俺は茜の信頼に、答えない訳にはいかないんだ。
残り……4名。
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