第26話 これって、危機一髪ってやつ?
茜は速水に拘束されながらも、必死に声を上げた。
「家庭教師だった頃は普通にいい人で仲良くしてた。だから里穂にも紹介したの。だけどそれから、徐々に本性を見せ始めて……里穂と付き合っているのに、やっぱり私が好きだとか、初体験の相手に指名しろ、とか言い出して……もちろん、断ったけど」
里穂は呆気に取られたように呟いた。
「じゃあ……付き合ってたわけじゃないの……?」
「うん。でもこの人、私の初体験の相手は自分だとか、お互い愛し合っているとか勝手にウソをみんなに吹聴して、事あるごとに迫ってきたから家庭教師を辞めてもらったの。そしたら、毎日のように家に押しかけるようになって……」
速水は、ぜいぜいと呼吸を荒げながら、茜を睨みつける。
「茜、やめろ」
「いいえ、やめない。だって、本当のことだもん。警察に相談したら、キツく絞られたのか現れなくなったので、ホッとしてた。でも、今になってまさか偶然、教育実習生として学校で出会うなんて……」
「もう、やめろと言ってるだろ!……言っとくが、それは偶然なんかじゃないんだ。希望する高校は選択できるから、迷わず茜がいる学校を選んだんだよ! 大好きな茜と再会するためにね!」
「そんな……」
「この1年、ずっと会えなくて悶々としてた。そして、どうせ一緒になれないなら、いっそふたりで死のうと考えるに至ったんだ。そうすれば、あの世でふたりきりになれる」
なんだよ。太宰治は関係ないじゃないか。
「大人とは、裏切られた青年の姿なんだ!」
そこで無理やり、太宰の言葉をこじつけるなよ。
とりあえず速水は無視し、茜の顔だけを見つめた。
「茜、どうして本当のことを言ってくれなかったんだよ!」
「だって……ストーカーがいるなんて晴人が知ったら心配するでしょ。嫌な気持ちにさせるかもしれないし。だから、なんとかひとりで解決しようと思ったの……」
「バカだな。それでずっと悩んでいたのか。茜、悩みでもなんでもぶつけてくれていいって。だって……俺はおまえのカレシだろ!」
「うん……ホントごめんなさいっ!」
速水がいらいらしたように叫んだ。
「子供の戯言はもういいかな! じゃあ、ここらへんで俺たちはこの世からサヨナラするよ!」
「ま、待てっ!」
「だるまさんが……」
「もう、その手には乗らないぞ!」
次の瞬間。
駆け寄る俺の目の前で、ふたりの姿がふっと消え去る。
「茜!!」
俺はジャンプすると、へりから身を乗り出して、必死に手を伸ばした。
そして奇跡的に、落下する茜の右腕をこの手に掴む。
「茜! 大丈夫か!?」
「う、うんっ……でも……!」
見ると、茜の足にしがみついた速水がぶら下がっている。
「たあーすけてくれえーー!!」
なにが、助けてくれだよ。
おまえ、死にたいんじゃなかったのか?
てか、茜だけならともかく、速水も含めたふたり分の重さに、俺の手が耐えきれそうもない。
俺の体も、ずるずると引きずられていく。
「おい速水! その手を離せ! このままじゃ、俺も茜も落ちてしまう!」
「いやだ! やっぱりまだ死にたくないんだ!」
「じゃあ、なんで飛び降りたんだよ!」
「それは……つい」
つい、じゃないよ。ったく。
里穂が懸命に俺の足を押さえているが、女子の力じゃどうにもならない。
だめだ、このままじゃ落ちる……。
だけど絶対、茜の手は離さないぞ……。
観念したその時だった。
突然、脇から男子の腕が伸びてきて、茜の腕をがしっと掴む。
それは、意外にも健太だった。
「健太……!」
「いいか。いっせいのせ、で引っ張り上げよう」
「ああ」
「いっせいの……せ!」
思いっきり力を込めて、ふたりで茜を一気に引っ張り上げる。
ひとりじゃ到底無理だったが、健太が加わったことで、なんとか茜を屋上へと引き上げることに成功したのだった。
速水という、おまけ付きで。
「ああ……死ぬかと思った……怖かったよ……ううっ……」
呆れたもので、速水は泣き崩れている。
「健太、どうしてここへ?」
「おまえがパニクって階段駆け上がるところを見かけて、何かあったなと思ったんだ」
「ありがとう……おかげで助かったよ」
「へっ、おまえのことは許したわけじゃねーからな!」
そう言って健太は、にやりと笑う。
まあ、なにはともあれ、茜を救出できたのだ。
「茜……」
声をかけるや否や、茜は俺の胸に飛び込んできた。
「晴人……ありがとう……!」
そして胸の中に顔を埋めて、ずっと泣きじゃくっていた。
◇
それからは、警察が来て大変な騒ぎとなった。
長い時間、学校で事情聴取とやらを受けて、やっと解放される頃には夕方になっていた。
当然のことながら、速水はパトカーで連行されていった。
もう二度と、会うことはないであろう。
そして、今。
俺と茜は家路についている。
そこは喧騒に満ちた、陽が暮れゆく駅のホームだ。
大勢の人たちがわさわさ足音を立てて行き交い、駅員のアナウンスがスピーカーから鳴り響く。
茜はふと立ち止まって、真正面から俺の顔をじっと見つめた。
なんだ?と、俺も茜を見つめ返す。
この慌ただしい空間において、まるで時間が止まったように動かないのは、俺と茜だけ。
あれ……このシチュエーション、どこかで見たような……。
そう、速水が学校にやって来た日の朝に見た夢と、まるで同じだ。
やはり、あれは予知夢だったのか?
とすれば、茜の次のセリフは……。
「知りたい? 私の初体験の相手」
ああ、やっぱりな。
だけど俺は、夢の通りに頷かない。
「別に、興味ないよ。茜が言いたければ言えばいいさ」
その刹那、轟音を立てながら急行がホームを通過していく。
茜の口が微かに動いたが、声はその音にかき消されてしまう。
なにも聞こえなかった。
うん。いいんだ、それで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます