第25話 教育実習生の正体
応接室から教室に戻ると、茜の姿はなかった。
俺の机の上に、弁当箱がぽつんと置かれている。
それでも弁当は作ってきてくれたんだ……。
なんだか胸の奥が、じーんと熱くなる。
「茜のことは、もう諦めたほうがいいですよ」
唐突な声に振り返ると、里穂が立っていた。
それは内に秘める激情をすっかり封じ込めた、ふだん通りの大人しく穏やかな里穂である。
「茜が、なんで落ち込んでいるか、わかりますか?」
「……いや」
「昨日、私と喧嘩してるうちに、自分の本心に気付いちゃったからですよ」
「本心?」
「今でも速水先生のことが好きだってことです。茜って一途なタイプだから、一度好きになった人のことはずっと忘れられないんですよ。反面、いま付き合っている青空くんには申し訳ない気持ちでいっぱい。そんな自分が許せなくて落ち込んでいるんです。でも結局は、茜は元カレの速水先生を選ぶでしょうね」
茜の様子から見て、里穂の言っていることは正しいように見える。だが……。
「それでも俺は、茜が好きだ」
はっきりとそう言うと、里穂は不思議そうに首を傾げた。
「はい? 私、親友だったから知ってるんですけど、確かに茜も昔から青空くんのことが好きでした。でも、初体験の相手には青空くんじゃなくて、速水先生を選んだんです。それがどういうことか、わかりますよね? 悔しくないんですか、初体験を速水先生に取られてしまって」
さっきまでの俺だったら、そこで言葉が詰まってしまったであろう。
だけど俺は、ルミ先生の言葉で目が覚めたんだ。
「茜の初体験の相手が誰だろうが、もうどうでもいい。俺が好きなのは、いま現在の茜なんだ。あんなダメ男の速水なんかに茜を渡すものか。茜の心は絶対取り戻してやる!」
熱く拳を握りしめる俺に、里穂はやれやれといった表情を見せる。
「はいはい。その決意はご立派ですよ。でも、いくら青空くんがひとり燃えていても、肝心の茜は今、どこにいるんですかね? 速水先生もいないみたいですけど?」
そうだ、茜はいったいどこに……?
ふと、女子たちの不満そうな声が耳に入ってくる。
「せっかく順番決めたのにさあ、速水先生消えちゃったし!」
「さっき、茜とふたりで廊下歩いてるの、見かけたんだよねー」
「えーっ! それって抜け駆けじゃん!」
はっとした。
頭の中に、速水が嫌がる茜の手を引っ張って、川へと突進する昨日の光景が浮かび上がる。
「まさか! あいつまた、死にたいモードに入ったんじゃ!」
「え……」
里穂も気づいたようだ。
俺は慌てて、教室を飛び出した。
どこだ……どこへ行った。
学校で自殺するとしたら、どんな方法がある?
例えば……大量の睡眠薬による服毒死とか!?
誰にも気付かれずにそれを実行するとなれば……ベッドルームしかないぞ。
俺はベッドルームに突入すると、構わず片っ端から個室の扉を開けていった。
「うわっ!」
「きゃー! 痴漢!!」
違うか。
こっちはどうだ!
「うおっ!」
「きゃー! 痴漢!!」
全ての個室を調べてみたが、どこにも茜と速水の姿はない。
焦りが募る。
「……もしかすると、屋上かも」
いつの間にか付いて来ていた里穂が、ぽつりと言う。
その言葉に、はっとした。
屋上には防護柵があって乗り越えるのは困難だが、一箇所だけ管理用の扉がある。
勿論、普段はしっかりと施錠されているが……。
速水なら。教育実習生の立場を利用して、職員室から鍵を持ち出すのは容易いであろう。
まずい!
俺は廊下を全速力で走ると階段を駆け上がり、はあはあと息を切らしながら屋上のドアを開けた。
そこにあるのは、一面の青い空。
そして……案の定、鍵が開放された柵の扉の向こう、屋上の端っこぎりぎりで揉み合う茜と速水の姿。
ふたりは今にも、そこから落ちそうだ。
遅れて到着した里穂がその様子を見て、悲鳴を上げる。
「茜!」
駆け寄ろうとすると、速水が叫ぶ。
「だるまさんがころんだ!」
その言葉に、反射的に俺の足はぴたりと止まってしまった。
「ちょっとでも動いたら、茜と一緒に飛び降りるからな」
あと数メートル。もう少しなのに、その距離は途方もなく遠く感じる。
「茜を巻き込むな!」
「嫌だね。これはもう僕が決めたことなんだ。愛し合うひとと一緒に死ぬとね」
「茜! 茜の気持ちはどうなんだ! 速水のことが……今でも好きなのか!?」
速水に腕を掴まれた茜は怯えた顔で、ぶんぶんと顔を横に振った。
「好きじゃない! でか、今まで一度も好きになったことなんてない! このひと……本当はストーカーなの!!」
「へっ、ストーカー!?」
俺は唖然として、里穂と顔を見合わせた。
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