第23話 やっぱり茜の初体験の相手って……

 今はひとりにしてくれ、と言って速水がとぼとぼ立ち去ったあと。

 俺たちは、駅前にあるファーストフードの店に来ていた。

 これはいったい、どういうことなのか。

 それが知りたくて、なんとか俺が誘ったのである。


 俺の隣には茜。テーブルを挟んで向かい側には里穂。

 だがふたりは、全く目を合わせようともしない。押し黙ったままだ。

 仕方なく、俺が話を切り出す。


「ええと茜。今日ずっと速水と一緒だったのは、自殺を止めるためだったのか?」


 茜は顔をこばらせたまま、こくりと頷く。


「……そう。1年ぶりに再会したら、いきなり死ぬとか言い出して……」

「それを止めようと、説得してたってこと?」

「必死に頑張ったんだけど上手くかわされて、気づいたら川に連れて来られてたの」


 危なかった。

 あの時、里穂と川沿いを歩いていなかったら、今頃どうなっていたことやら。

 あまりに酷い方法で勉強会をぶち壊したのは、結果的に正解だったと言えよう。


「それで晴人は、なんで里穂と一緒にいたの?」

「いや……健太の家でみんなで勉強会をしててだな。たまたま帰りが一緒だったんだ」


 それまで黙っていた里穂が、急に口を挟んでくる。


「たまたまじゃないです。青空くんに話があったから、いい機会だと思って勉強会に参加したんです」

「晴人に、どんな話?」

「茜の本性を伝えようと思って。親友を裏切ってカレシを奪う性悪な性格だって」

「だから、裏切ってなんていないって! あれは……」

「私が付き合っているのをわかってて、ベッドで速水先生とキスしてたでしょうが!」

「違う! あれはいきなり速水先生に襲われたの! それに口でなんかしてない! それだけはヤダって必死に抵抗したんだから!」

「そうかしら。茜の服をはだけて、首や胸にねっとりとキスしてる速水先生をこの目でしっかり見たよ! 当然口にもしてるでしょ!」


 さっきまで顔を背けていたふたりが、今やお互いの顔を睨みながら激しく言い合っていた。

 それにしても、内容があまりにも生々しすぎて心が折れそうだ。

 どうしよう……これ以上聞きたくないが、この喧嘩を止めようにも俺にはハードルが高すぎる……。


「速水先生とフツーにスルのは構わないよ。でもキスだけは許せない!」

「だからしてないって! 確かに無理やり服を脱がされたけど、ファーストキスだけは守り抜いたの!」

「嘘つかないで! 本当は茜も速水先生のことが好きだったでしょ! 私、速水先生に聞いたんだから! 茜から初体験の相手に指名されたって!」

「それは……」


 茜は急にトーンダウンし、唇を噛み締めて俯いた。

 えっ、この反応って……。

 やっぱり、茜の初体験の相手って、速水!?


「ほら、やっぱり! 初体験の相手って好意がないと指名しないもんね!」

「ち、違うの……」

「言っときますけどね、どれだけ茜がシようと、速水先生にとって茜は単なる遊び相手なんです! 私とは愛ある濃厚なアレを幾度となくシましたから!」


 ああ、これ以上メンタルが持たない……。

 俺は必死に呼吸を整えると、おそるおそる間に分け入る。


「あの……ちょっといいすか?」

「なんですか!」


 とたんに目を剥く里穂。

 かわいい顔して、無茶苦茶怖い。

 てか、里穂って大人しそうに見えて、こんな激情を内に秘めてたの? 女子って、見た目じゃ良くわからない。


「いやその……あんな死にたがりで情けない速水のどこが、そんなにいいのかなって……」

「今となっては速水先生のことなど、なんの感情もありませんよ! むしろ、あんな人に初体験を献上したことを後悔してます!」

「へっ?」

「どうしても許せないのは、親友を裏切った茜なんです! わかったら部外者は黙っててください!」


 いや、部外者って……。

 次の言葉が出なくなって、困惑していると。

 サラリーマン風のふたりの若い男が近寄ってきた。


「あの、ちょっといいですか? 君たちの話を聞いてたら、ちょっともよおしちゃって……」


 ふたりともさりげなく股間を押さえている。


「近くにベッドルームがあるから……」


 やばい。それ以上は、聞かずともわかる。


「すみませんすみません! 俺が先にふたりとスル約束をしてるので!」


 もちろん嘘だが、逃れる方法はこれしかない。


「えっ? 君がふたりを相手に?」

「はいっ! ふだんは一度に5人くらい相手してます! 絶倫なんです、俺!」


 やけになってそう言い放つと、茜と里穂の腕を引っ掴んで、その店からすたこら逃げ出したのである。


 

 帰り道。

 それまで晴れていた空は一変し、小雨が降り出した。遠くで雷も鳴っている。

 隣を歩く茜は、ずっと押し黙ったままだ。

 俺は上着を脱ぐと、それをそっと茜の頭にかぶせてやる。


「ありがとう……」


 小声でそう言うと、また黙ってしまう。

 なんか話題はないものか。


「知ってる? 小雨の落下速度って、秒速2.2mなんだってさ」


 それは、昨日テレビのバラエティ番組で知ったばかりの薀蓄うんちくだ。


「そう……」


 しまったな。だからなんだというネタなんか、話すんじゃなかった。

 沈黙が、気まずい……。

 そのまま会話なく歩き続けて、茜の家の前に辿り着いた。

 茜は俺の上着を頭から降ろすとそれを俺に差し出し、俯いたまま消え入りそうな声で呟く。


「……ごめんね」


 それはどういう意味なんだろう。

 茜が家に駆け入ったあとも、俺は秒速2.2mで降り注ぐ雨に打たれながら、そこに立ち尽くしていた。


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