第22話 死にたがりの教育実習生

 肩を落として健太の家を出ると、玄関の前に里穂が立っていた。


「あれ、菊池くんは? ここで待っててって言われたんですけど」

「いや、それが……ちょっとトラブっちゃって」

「じゃあ、勉強会は?」


 彩夏はハダカで気絶してるし、健太は俺に激怒している。


「ええと。そんな空気じゃないかも」

「そうですか。では、帰るしかないですね」


 なんとなく、里穂と肩を並べ駅に向かって歩き出す。

 住宅地を抜けると、そこは川沿いの真っ直ぐな道だ。

 心地良い薫風が吹き抜けているが、俺のどんよりとした気持ちを解消してはくれない。


「ひとつ聞いてもいいですか?」


 沈黙を破るように、里穂が話しかけてきた。


「なに?」

「青空くんて、茜と付き合ってます?」

「はっ?」

「この前見かけたんです。ショッピングモールで一緒に歩いているところを」


 茜との初デート、見られてたのか。


「ああ、そうか。うん、まあ……」


 そう曖昧に答えると、返ってきたのは意外な言葉。


「茜と付き合うのは、やめておいたほうがいいと思います」

「へっ? なんで?」

「だって、平気で人を裏切る性格だから」

「い、いや……そうかなあ」

「今日だって、恋人の青空くんを放っといて、元カレの速水先生と会ってるじゃないですか」


 俺は思わず立ち止まって、里穂の顔を見つめた。

 里穂はその表情を、まるで変えていない。

 教室の席で静かに本を読んでいる時の、至って感情を消した大人しげな顔である。


「今頃、シてるんじゃないですか。もちろん愛情のあるほうを」

「いったい、君は……」


 どこから聞けばいいのかわからず言葉を詰まらせていると、突然、川べりの方から悲鳴が聞こえてきた。


 目を向けると……あそこにいるのは茜!?

 川に向かって一直線に突進する速水が、抵抗する茜の手を無理やり引っ張っている。

 あれは、いったいどういうシチュエーションなんだ?

 とにかく、何かマズイことが起きているに違いない。

 思わず俺は叫んだ。


「茜!」


 その声に気づいた茜は、驚いたように俺のほうへと顔を向ける。


「は、晴人!?」


 いかにも茜は怯えている。

 俺は全速力で川の土手を駆け下りると、息を切らしながら速水の前に立ちはだかった。


「茜、大丈夫か!」

「う、うん」

「てか速水先生! なにしてるんすか!?」


 速水は眼鏡のふちを右手で持ち上げると、死んだ魚みたいな暗い目つきで俺を見つめる。


「君は誰?」

「茜のクラスメート、いやカレシですよ!」

「ふん。僕たちの邪魔をしないでもらえるかな」

「邪魔って……なにをするつもりですか」

「僕と茜は、これから川に入水自殺するんだ」


 はあっ!?

 なんでまた、入水自殺? しかも茜と?


「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです」

「へっ?」

「敬愛する太宰治の言葉だよ。僕はこんな、愛のない性行為にまみれた薄汚い世界なんかにいたくないんだ。だから死ぬ」

「いや、死ぬのは勝手ですけど、なんで茜を道連れにするんですかっ!」

「茜は僕の唯一の理解者だからだ。それに太宰も愛する女性と自害しただろう」


 茜は、ぶんぶんと首を横に振る。


「私は死にたくなんかありませんっ!」

「今更なにを言うんだ。今日一日、話し合って決めたことじゃないか」

「違います! 力づくでここに連れて来たんじゃないですか!」


 状況から推測すると。

 どうやら速水は、太宰治の信奉者で自殺願望が強いらしい。まさか、そんなタイプだったとは。


「茜と再会したのは、偶然なんかじゃない。神の意志なんだよ。だから今日、僕は愛する茜と死ぬことを決めたんだ!」

「勝手に決めないでください!」

「ええい。いいから一緒に来るんだ!」


 興奮気味に茜の腕をがっしりと掴み、強引に川へと連れて行こうとする速水。


「ま、待て……っ!」


 あわてて速水の体を押さえ込もうとしたその時だった。

 突然現れた里穂が間に割り込むと、いきなり速水のほおを思いっきり引っ叩いた。


 バシッ!!


 鋭い音が、のどかな川べりに響き渡る。

 速水は驚いた顔で、赤く手形がついたほおに手を当てながら里穂を見つめた。


「君は……」

「お忘れですか。過去に付き合っていた私のことは」


 ええっ!?

 里穂も速水と付き合っていたのか!?


「ごめん……あまりに過去の女が多過ぎて覚えていない」


 いや、それはいくらなんでも酷すぎだろ。


「そうですか。でも、茜のことは覚えているんですね」

「茜は僕にとって、特別な存在なんだ」

「許せない……!」


 珍しく里穂は感情を露わにすると、なぜか俺を睨みつけた。

 え、なんで俺すか?


「いいですか青空くん、よく聞いてください!」

「は、はい!」

「茜とは昔、親友でした。でも1年前。茜の家に遊びに行ったら、そこに速水先生が家庭教師で来てて私、一目惚れしちゃったんです!」

「は、はい!」

「茜に紹介されて速水先生と付き合うことになりました。私は速水先生に愛されていると信じてました。でも……親友だった茜に裏切られたのです!」

「は、はい!……えっ?」

「ある日のことでした。こっそり遊びに行って、茜の部屋のドアを開けたら……」


 俺は、ごくりと喉を鳴らす。

 その先は、聞きたいような、聞きたくないような……。


「待って!」


 茜が里穂の話を遮った。


「それは、誤解だって何度も里穂に言ったじゃない!」

「この目で見たのよ! 親友を裏切るなんて信じられない!」

「裏切ってなんかいないよ!」

「よくも、そんなことを平然と言えるわね!」


 今や怒鳴り合う女子を、ふたりの男が呆然と見守るという、さっきまでとは全く異なる構図へと変貌していた。

 とりあえず、俺が認識したのは……どうやら里穂のカレシである速水を茜が寝取ったらしい、ということだ。


 でも、この世界って誰とでもスルのは普通なのでは?

 だったらなぜ、里穂は裏切られたと怒っているのだろう。謎である。

 それにしても、茜と速水がシてたと思うと。

 俺のほうが死にたくなってきた……。


「ああっ!!」


 いきなり速水は大声を上げると、地面にがっくりと膝をつき、両手で顔を覆った。

 そのオーバーアクションに、茜たちもはっとして声を止める。


「……全部僕のせいだ。なんと恥の多い人生を送ってしまったことだろう」


 どこかで聞いたことのあるセリフだな。


「今日のところは、死ぬのをやめておく。だから君たち、僕のために喧嘩をしないでおくれ……」


 泣き崩れる速水を、俺たちは呆然と見守るのであった。

 

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