第4章 茜の元カレは教育実習生?
第20話 教育実習生と茜の関係
そこは喧騒に満ちた、陽が暮れゆく駅のホームだ。
大勢の人たちがわさわさ足音を立てて行き交い、駅員のアナウンスがスピーカーから鳴り響く。
この慌ただしい空間において、まるで時間が止まったように動かないのは、俺と茜だけ。
正面に向かい合う茜が、真顔で俺の顔をじっと見つめている。
そして徐にこう言った。
「知りたい? 私の初体験の相手」
それは……知りたい。
だって茜が自分から指名した相手だもの。
そこには、なにかしらの感情があったとしか思えない。
いざ、相手を知ってしまったらショックを受けるとか。
うだうだ悩んでいても、どうにもならない。
今ここで、はっきりさせるべきなんだ。
俺は、ごくりと唾を飲み込みながら、こくんと頷く。
その刹那、轟音を立てながら急行がホームを通過していく。
茜の口が動くが、声はその音にかき消されてしまう。
だが、なぜか俺の頭の中には聞こえたんだ。その名前が。
ハヤミショウ。
─────────
──────
「……晴人、晴人!」
母ちゃんの怒鳴り声で、はっと目が覚めた。
あわててベッドから起き上がると、そこには仁王立ちする母ちゃんの姿。
「いつまで寝てるんだい。もう、茜ちゃんが家の前で待ってるよ!」
「ええっ。だって、目覚まし鳴らなかったし……」
枕元のスマホを引っ掴んで見ると、電源が切れている。どうやら充電するのを、うっかり忘れてたみたいだ。
「げっ!」
俺は、大慌てで洗面所に向かった。
ばしゃばしゃと水で顔を洗いながら、ふと考える。
いったい誰だよ、ハヤミショウって。
ま、ただの夢だ。
◇
「では、教育実習生の
その浅川ルミ先生の言葉に、俺は椅子から転げ落ちそうになった。
まさかその名前をすぐ聞くことになるなんて、偶然にもほどがある。
教室に、スーツ姿の若い男性が入ってきた。
背はひょろりと高く、髪型はラフなマッシュで前下がりの髪の毛が目を半分くらい覆っている。
小さな角フレームの眼鏡から覗く目は、いかにもクールな印象を醸し出していた。
その顔は誰が見たって、イケメンだと言うだろう。
「はじめまして、明神大学文学部4年の速水翔です。今日から2週間、よろしくお願いします」
ハスキーかつ鷹揚のない声でそう言うと、にこりともぜず軽く頭を下げる。
教室のあちこちから、きゃー!とか、かっこいい!とか、シたい!とか黄色い声で叫ぶ女子たちの声が上がった。
と同時に、隣ではっと息を飲む音がする。
見ると茜が、開いた口を手で押さえ、唖然とした表情を浮かべていた。
それはどう見ても……偶然の再会に驚いた顔のようにしか見えないのだが。
「茜……もしかして、知り合いか?」
おそるおそる、聞いてみる。
だが茜は俺の声など聞こえてないようで、まるで心ここにあらずといった感じだ。
まさか、今朝の夢って正夢!?
この速水翔って男が、茜の初体験の相手?
いやいや。いくらなんでも、そんなことって。
なんだか胸がざわざわしながら1時間目が終わり、休憩時間となる。
するといきなり、速水がつかつかと茜のもとへと歩み寄ってきた。そして、感情を抑えた口調で茜に話しかける。
「茜ちゃん、久しぶりだね」
茜は唇をぎゅっと噛み締めながら、その顔を見ずに答えた。
「……はい」
「まさか、こんなところで会うとは驚いたよ」
「私もです」
「あのさ。昼休み、ちょっといいかな?」
「……わかりました」
聞き耳を立てる俺の心臓はどきどきしてて、その音はまるで教室中に鳴り響いてるようだ。
どうやら最悪の予感が、現実味を帯び始めている。
少なくとも茜と速水は知り合いで、以前、なにかあったに違いない。
そしてそのなにか、のなかには当然ながら初体験も含まれてたりして……。
速水が立ち去った後も、茜はずっとこわばった顔をしていた。
聞きたいことは山ほどある。
だが、話しかけようにも、言葉が出てこない。
悶々としながら時は過ぎ、気づくと昼休みになっていた。
いつもなら茜と食堂で弁当を食べる時間だ。
だが茜は、ランチボックスを取り出すと、それをふたつ俺の机に置く。
そして押し殺した声でこう言った。
「……ごめんね、今日はちょっと用があるから……お弁当、菊池くんと一緒に食べて」
「よ、用ってなに?」
「ほんと、ごめん」
茜は立ち上がると、教室を出て行った。
見ると、廊下には茜を待つ速水の姿がある。
マジかよ……。
しばし呆然としたあとで、はっとした。
まさか茜は、速水とベッドルームへ!?
いやいやいや。そんなことは……ない。ないはず……。
すぐさまベッドルームに行って、その恐ろしい疑惑が杞憂であることを証明したい衝動に駆られる。
だけど、もし。仮にだ。
ベッドルームからコトを終えたふたりが出てきたら?
俺はその衝撃に耐えられるだろうか。
「おっ。うめえな、これ」
ふと気づくと、隣の席で健太が茜の弁当を食べている。
「健太……」
「な、なんだよ。そんな怖い顔すんなよ。だって茜ちゃんが食っていいって」
「いや、弁当のことじゃないんだ。速水って教育実習生のこと、なにか知ってるか?」
「あの、いけすかないイケメンか? いいや何も知らん。男には興味ねーし」
「どうも、茜と知り合いらしいんだが……」
「ああ。それなら、茜ちゃんの親友の彩夏ちゃんに聞けばわかるかも」
健太がそばにいた彩夏を呼ぶと、彩夏はいつものように大きな胸をゆさゆさ揺らせながら駆け寄ってきた。
「なに? シたいんならベッドルーム行くけど?」
いや、そうじゃないんだ……。
「茜と速水の関係について、何か知ってる?」
「ああ、それね! 私もびっくりしちゃった!」
「と言うと?」
「速水先生は、茜が高校一年の時の家庭教師だよ。まさか、学校で偶然再会するなんてねえ」
彩夏は含みのある表情で、うんうんと頷いている。
1年前の家庭教師だったのか。これでひとつ解明した。
だけど、あのふたりの意味ありげな雰囲気は、いったいなんなんだろう。
「たしか前に付き合ってたんじゃないかな、あのふたり」
彩夏のその言葉を聞いたとたん俺の頭の上に、ずどんと大きな岩の塊が落ちてきたのだった。
◇
茜と速水が付き合っていた。
その衝撃的な事実に、口を開けたまま呆然としているうちに昼休みは終わった。
気づくと、茜が隣の席に戻っている。
俺の顔色が、あまりにも青白かったんだろう。茜が心配そうに話しかけてきた。
「どうしたの?」
「いや……」
茜こそ、昼休みに速水と何をしていたんだなんて、とても聞けない。
いや、想像するのも恐ろしい。
「ごめんね。一緒にお弁当食べれなくて」
「あ、ああ……健太が喜んでたよ。あいつ二つとも食っちまった……」
「えー、晴人は食べなかったの?」
「気づいたら、俺の分も無くなってたんだ……」
どこか上の空な俺の異変を、茜は感じ取ったようだ。
「ねえ晴人。もしかして速水先生とのこと、気にしてる?」
「ま、まあその……速水は茜の家庭教師だったんだってな。彩夏ちゃんから聞いた話だと」
「……うん。まあ、いろいろあって」
そう言って茜は、どこか暗い表情で俯く。
ああ、その反応って。
やっぱり、付き合ってたってこと!?
「今度、ちゃんと話すね。片がついたら」
片をつけるって……まさか、今も続いてるのか?
俺と付き合いながら、速水とも同時進行!?
そんな……茜、そりゃないよ……。俺の一途な想いはなんだったんだ……。
あまりのショックで固まっている俺に、茜が追い打ちをかける。
「今日の放課後も、速水先生と話があるから……ごめんね」
放課後。
茜は速水と、どこかへ消えて行った。
俺はなんだか、ひとりで家に帰る気も起きず、席でぼおっと校庭を見ていた。
野球部の部員たちが泥だらけになって猛練習をしており、鬼監督の激しい怒号が聞こえる。
誰もがみな、へとへとになって辛そうだ。
ああ、さぞや辛いだろう。だがな、俺はもっと辛いんだ。
だから鬼監督よ、彼らをもっとシゴキ給えー。地獄の苦難を与へ給えー。
そんなマイナスの念波を送っていると、ふと背後から健太に声を掛けられた。
「あれ、茜ちゃんは? 今日は部活の練習、ないって聞いたけど?」
「速水と、どっか行っちまった……」
「そっか! まあ、気にするなよ!」
人ごとだから、おまえは気楽でいいよな。
「ところで、もうすぐ中間テストだろ?」
「ああ、忘れてた……」
「俺ってかなり成績やばいけど、晴人もじゃね?」
確かにそっちのほうは、酷いありさまだ。
特にこんな世界に来てからというもの、気を取られることがあまりに多過ぎて、勉強に集中できるはずもない。
「今日、これから俺んちで勉強会やらねえか?」
「勉強できないふたりで勉強会やって、どんな成果が上がるんだよ」
「ふたりだけじゃないぜ。へっへっへっ」
そう言って、健太は悪代官のごとくにやりと笑う。
「彩夏ちゃんと里穂ちゃんを誘ったんだ。クラスで成績トップの里穂ちゃんに勉強を教えてもらおうと思ってさ」
里穂ちゃん……ああ、
いつも席でひとり本を読んでいる、真面目でおとなしいイメージだ。
かわいくて清純そうな雰囲気だが、あまりクラスメートと話しているのを見たことがない。友達いないのかな、とも思う。
「よく里穂ちゃん、OKしたな」
「それがだな。おまえが参加するって言ったら、来るって」
へっ?
俺はこれまで、里穂と全く話したこともないのだが。
まあ、それはさておき。
「俺まだ、行くって言ってないぞ」
「いや、だから頼むって! この通り、お願いだからっ!」
健太は、両手を合わせて懇願する。
「……さては、目的は彩夏ちゃんだな? 彩夏ちゃんを誘いたいから、里穂ちゃんと俺をだしに使ったわけか」
「まあ……それは、ご想像にお任せする」
勉強会か。
確かに勉強しないとまずいし、それに茜と速水のことで気分が滅入っているから、気晴らしになるかもしれん。
「わかった、行くよ」
「おお、友よ!」
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