第16話 逃れられない初体験

 昼休みのチャイムが鳴り、俺は席を立った。

 隣の席にいる茜の視線を感じるが……どうしても、その顔を見れない。

 ずっとどうするべきか、悩んでいた。いや、昨日から悩み続けて、結局徹夜だ。

 目は真っ赤で、頭がふらふらする。


 それでもまだ、結論は出せていない。

 美結の初体験の相手を断れば、おそらく退学は免れぬであろう。

 退学はさすがに困る。それに高校に来れないとなれば、今後茜を守ることだってできなくなる。

 だが、そうだからと言って美結とスルことができるのかと問われれば……。


 だめだ。


 どうしても、そんな気になれない。

 なのに、なんで俺は新しいパンツなんか履いてきたんだろう……。

 重い足取りで教室を出ようとすると、健太がすかさず寄ってきた。


「よお晴人、決心はついたのかよ?」

「いや……」

「まったくやっかいな性格だな、おまえって」

「しょうがないだろ、いきなりこんな世界に来ちまったんだから」

「いいか、現実を見ろよ。ここじゃ、誰とでもスルことが当たり前なんだぜ? みーんなヤってるし、それで責められたり、引け目を感じることなんてひとつもねえんだ」

「まあ、そうなのかも知れんが……」

「とにかく一度、思い切ってシちゃえ。そうすれば、悩んでた自分がバカらしくなるからよ」


 そう言われれば。

 確かに、健太の言う通りかもしれない。

 俺ってバカ正直すぎるのかも。

 茜に対して操を立てなきゃって必死だったけれども、その茜だって、とっくの昔にどこぞの誰かと初体験を済ませ、俺がこの世界に来るまで普通にシてたんだ。


 ひとりドーテーの俺だけが、惨めで恥ずかしい存在のようにも思える。

 相手の美結もこれが初体験だし、初めて同士でちょうどいい機会なのかもしれん。


 朦朧とする頭でそんなことを考えながら、よろよろと指定された1階のベッドルームに行くと。

 そこには、すでに美結と西園寺の姿があった。


「ほう、本当に現れるとは思わなかったぞ」


 西園寺が驚いたように、俺を見つめる。


「それで、どうやって立ち会うつもりですか? 覗きは犯罪なんでしょ」

「そうだ。だから部屋の扉の前で、行為が完了するまで聞き耳を立て、しかと確認する」


 げっ!

 扉越しとは言え、目と鼻の先で西園寺が見張ってるのかよ。

 そこまでやるか、普通。めちゃくちゃ、気になるじゃないか。


「青空先輩……」


 俯いたままの美結が、か細い声を出した。そして90度の角度で深々と礼をする。


「今日はよろしくお願いします……」

「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします……」


 思わず俺は、120度の角度で頭を下げ返す。


「じゃあ、行きましょうか」

「……うん」


 ここまで来たらどうしようもない。

 俺は美結と連れ立って、ベッドルームへと入る。

 そして空室のドアを開き、美結を招き入れた。

 扉を閉めようとすると……その先に俺をじっと睨む西園寺の姿がある。

 そのまま扉を閉めた後も、そこに西園寺の強烈な視線を感じた。


 ホラーかよ。


 ふたりきりとなった部屋で、美結はもの珍しそうにあたりを見渡している。

 ああ、彼女は初めてだもんな。

 そういう俺は、茜以外の女子とこんなところにいるのが、なんだかとても落ち着かない。


「これは、何ですか?」


 見ると、美結はスクエア型パッケージのブツを手にしている。


「そそそそれは、ゴムだよ。アアアアレにつけるやつ」


 もちろん俺には、装着経験などないが。


「そうですか」


 美結はふうと大きく息を吐くと、徐にメガネを取って髪をかき上げ、俺を見つめた。

 今までわからなかったが、とんでもない美少女だ。

 そしてその表情には、すでに覚悟と決意が漲っている。


「じゃあ私、脱ぎますから」


 そう言うと、大胆に制服を脱ぎ始め、あっという間に上下白の下着姿となる。

 そのからだも意外とグラマーでスタイルが良い。

 思わずぼおっとしていると、美結が小首を傾げた。


「青空先輩は、脱がないんですか?」

「あ、ああ。ごめん……」


 扉の向こうにいる西園寺が気になって仕方がない。

 おそらくこんな会話にも、聞き耳を立てているに違いない。

 俺も急いで制服を脱ぐと、パンツだけの姿となった。

 ああ、この下ろしたてのパンツ。なんで真っ赤にしたんだろう。

 まるでヤル気満々を誇示するような、情熱の赤。恥ずかしすぎる。


「どうか……優しくシてください!」


 いきなり美結は、俺のからだに飛び込んできた。

 初めて触れる女子の裸の感触に、思わず理性が吹っ飛んでしまいそうになる。

 だがその時、頭のなかにぽっと浮かんだのは……茜の顔だった。


 

 昨日の帰り道。

 ふっと見せた、どこか複雑そうな表情。

 それは茜の顔を照らした夕日の眩しさが、そう見せただけなのかも知れない。

 だけど俺は、そこに何かを感じ取ったんだ。

 

 俺は飛びかけた理性を必死に手繰り寄せると、美結の肩に手を置いてそっとからだを引き離した。


「待って。ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」

「なんですか?」

「美結ちゃんは、なんでその……初体験の相手に俺を選んだの?」


 そう問うと、美結ははっとしたように俯き、小さい拳をぎゅっと握りしめる。


「……それは、青空先輩がすごいアレの持ち主だと聞いたからです。なんでも自由に形を変えられるとか……だから、初体験の私にも痛くないよう、ちょうどいい大きさにしてもらえるかなって……!」


 明らかに目が泳いでいる。絶対それは本音じゃない。


「俺って、そんな優しい男に見える?」

「え?」

「だって、アレで茜を怪我させたって聞いてるでしょ? 美結ちゃんだってそうなるかもしれないよ」


 美結は唇を噛み締めると、ぶるぶると震え始めた。


「……それでも……青空先輩じゃなきゃ、ダメなんです」

「美結ちゃん、なんか隠してることない?」

「そんな! なにもないです! 青空先輩とシたいだけなんです!」

「いいかい、よく聞いて」


 俺はひとつ大きく息を吐いて心を落ち着かせ、涙を浮かべた美結の顔をじっと見つめた。


「事情は知らないけど……俺は美結ちゃんとスルことはできない。なぜかというと、俺には茜という彼女がいるからなんだ」


 扉の向こうで、西園寺のほくそ笑む顔が見える気がする。

 だけど、そんなことはどうだっていい。

 これは、この世界で俺が決めたことだ。

 激しい音を立てて扉が開かれる。

 そこに現れたのは西園寺……ではなく、なぜか鮫島の姿であった。


「は?」


 理解が追いつかぬまま、俺はいきなり鮫島に強烈な右ストレートを食らうと、そのまま意識を失ったのだった。

 

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