第8話 最強ライバル現る

 翌日の朝。

 学校に行こうと玄関の扉を開けると、そこに立っていたのは制服姿の茜である。


「おはよ、晴人」

「あ、え……!?」


 これまで茜が家の前で待っていたことなどなかったので、狼狽えてしまう。


「今日、朝練は?」

「休みだよ。せっかくだから、晴人と一緒に学校行こうと思ってさ」

「で、ここで待ってたの?」

「ちょっとだけ、ね」


 なんか……嬉しすぎる。

 こんな世界じゃなきゃ、王道のピュアラブ学園生活じゃないか。

 今日は自転車を置いて行くことにした。

 俺は茜と肩を並べながら、駅に向かって歩き始める。


「茜……昨日はその、ごめん」

「うん。昨晩はめっちゃ悩んだよ。晴人とこの先、付き合っていけるかどうかって」

「うっ。それで、結論は出たのか?」

「晴人とは別れることにした」

「えっ!?」


 俺は驚愕のあまり、その場に立ちすくむ。


「ま、マジで……!?」

「うん。だってヘンタイと付き合うのは、私には荷が重すぎるもん」

「いや、待って……ちょっと話し合おう」

「無理。もう決めたんだから」

「茜……(泣)」

「私も新しいカレシ作るから、晴人も頑張ってね」

「そんな……」


 気づくと全身の力が抜けて、地面に両膝を付いていた。

 10年もの間、茜のことを想い続けて、ようやく夢が叶ったばかりだというのに。

 たった一日にして、終わりを告げるとは……。


「なーんて、嘘」

「は?」


 顔を上げると、茜はあかんべえをして、けらけら笑ってる。


「嘘って……?」

「晴人と別れるわけないじゃん! 驚いた?」

「そりゃもう。一瞬、絶望の淵から死さえ感じたよ」

「これが昨日、私に酷いことした仕返しでーす」

「はあ?」

「めっちゃ悩んだんだから! 晴人にも少しは罰を与えなきゃね!」

「それは……本当に申し訳ない」

 


 駅に着いて電車に乗ると、通勤通学時間帯なのもあって、酷く混み合っていた。

 なんとかホームとは反対側のドア付近にスペースを確保し、向かい合うように立ってると。

 後から乗り込んできた乗客に押され、計らずも茜と正面から密着してしまった。

 そのまま電車は動き出す。

 しかし、初めて体感する柔らかい茜の体。

 ドキドキが収まらない。


「こ、混んでるね……」


 茜も顔を赤らめ、恥ずかしげに視線を泳がしている。

 そして、小声で囁いた。


「……ね、晴人」

「な、なに?」

「もしかして、もよおしてる?」

「は? いやいやいや、そんなことは……」

「だって……」


 視線を下に向ける茜。


「ご、ごめんなさいごめんなさい。そればっかりは自分でコントロールできないからっ」

「いいよ別に。慣れてるし」


 な・れ・て・る・し?

 そこでようやく俺は、我に返る。

 そうだ。あまりの幸福感で忘れていたが……ここは違う世界だった。

 高揚していた気分が、一気に萎んでいく。


「ん、どうかした?」

「い、いや……別にいいんだ……」


 電車が次のターミナル駅に到着する。

 怒涛のように降りていく客と乗ってくる客で体をもみくちゃにされた挙句……俺と茜の間には、いつの間にか中年のでっぷり太った巨体のおっさんが挟まっていた。

 しかもおっさんは茜の方を向いて、体を密着させている。

 それだけでも不快だったのだが……。

 やがて、茜に向かって話しかける声が聞こえてきた。


「キミ、高校生?」

「は、はい……」

「じゃあ問題ないか。ちょっと、もよおしたから次の駅で一緒に降りてくれるかい?」


 ま、まずい!!

 恐れていた事態が起きてしまった。

 話に割り込みたいが、おっさんの幅広い背中が邪魔だ。

 しかも、混んでいて身動き取れないときている。

 困惑したような茜の声だけが聞こえてきた。


「え、えっと……それは……」

「いいよね。じゃあ決まりだ」

「……」


 俺は必死におっさんの背中に頭突きする。

 だが、まるで気づいていないようだ。

 やがて電車は次の駅へと到着し、ドアが開く。

 抱きかかえるように茜を電車の外に連れ出すおっさんを追って、俺も必死に人をかき分けホームに降りた。


「ちょ、ちょっと待て!」


 俺の叫びは雑踏にかき消され、おっさんと腕を掴まれた茜は一直線にベッドルームへと向かっていく。

 その後を懸命にに追いかけるが……間に合わない。


 その時だった。

 ふたりがベッドルームに入る直前で、誰かが行く手を遮ぎったのである。


「ちょっと待ちなよ、おじさん」

「なんだキミは!?」


 よく見ると、その顔に見覚えがあった。

 高校3年の、高宮祐介たかみやゆうすけ先輩だ。

 高宮先輩は、テニス部主将で県大会優勝の輝かしい経歴を誇る。

 高身長にして鍛えられあげた細身の肉体、そして甘いマスク。

 おそらく学校で最も女子からの人気が高い、いかにも好青年である。

 高宮先輩は、穏やかな笑みを浮かべて茜を見つめた。


「茜ちゃん、大丈夫?」

「あ、えっと……」

「そうだよね。無理だよね」


 おっさんは、むっとしながら高宮先輩に食ってかかった。


「おいおまえ、邪魔をするな!」

「いえ、そうはいかないんです」

「なんだと?」

「彼女、実は怪我してましてね。スルのは無理なんですよ」

「はあ、怪我だって!? そんなの俺には関係ない。すぐに終わらすから、そこをどけ」

「できない事情があるのに無理やりスルって、それってモラル違反じゃないっすか?」

「うっ……」

「いい大人なんだから、それくらいの分別持ちましょうよ。ね?」


 高宮先輩が白い歯を輝かせてニコッとすると、おっさんはたじろいだように茜から手を離した。


「くそっ、ガキがふざけやがって!」


 捨て台詞を残して、そそくさと人混みの中へと消えていく。

 俺はといえば……そこに割り込む隙さえなかった。

 情けない話だが。

 茜は高宮先輩に、ペコペコと頭を下げている。


「あ、あの……ありがとうございました」

「いいさ。俺も茜ちゃんが心配だったから」

「は、はい」

「それでさ。こんなところで告るのも変だけど……実は茜ちゃんのことは、前々から気になっててね」

「え?」

「もし良かったらその、付き合ってもらえないかな?」


 あの高宮先輩が、いきなり茜に告白……だと?

 思わず体が硬直してしまう、俺だった。


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