第6話 新たなる火種
その日の放課後。
俺はひとり、机に片肘ついてぼんやりと窓から夕焼けを眺めていた。
このやり方で、果たして正しかったのだろうか……。
確かに茜の貞操を守るという意味では、他に方法が思い浮かばなかったのでやむを得まい。
だが。
なにか、大事なことを見落としている気がしてならない。
「おい、晴人」
声を掛けられて振り返ると、そこには健太の姿があった。
「おまえ、帰らねえの?」
「ああ、茜の部活が終わるのを待ってるんだ」
そう、俺はこれから毎日、茜の登下校にぴったり付き添うと決めたのだ。
俺の作戦により、しばらくの間、学校では茜が男子から誘われることはないであろう。
だが、行き帰りの道すがらは危険に満ち溢れている。
どこぞの他校生やらサラリーマンやらが、誘ってくるとも限らない。
俺は茜に張り付いて、近づく男どもを排除する
だが、そんなことを健太が知るはずもない。
「なんで茜ちゃんを?……ああ、怪我させたから責任感じて送ってくのか」
「まあ……そんなところだ」
「しかし、驚いたよ」
「なにが?」
「おまえのアレが、そんなにデカいなんて……」
健太がしげしげと俺の股間を見つめてくる。
「今までどうしてたんだよ、スル時」
「いや、それは……」
俺は必死に理由を考える。
「……実は俺、大きくしたり小さくしたりする特殊なスキルを持ってるんだ」
やっと出てきたのは、あまりにバカバカしいデマカセだ。
だが健太は素直に信じたのか、へえーと感心したように頷いた。
まずい。こんなこと言ってると、俺に関してとんでもない噂が飛び交いかねない。
なんとか話題を変えないと。
「ところで健太は、草野彩夏とはシタのか? おまえにとってのセクシーアイドルだろ?」
「いや、それは……」
「なんだ、どうした?」
「だって好きな相手は、そういう対象で見れないし」
ふーん、そういうものか。
茜にシタいって言ったら怒ったのと、同じ理屈なんだな。
なんとなく納得したその時、教室の入口から大声がした。
「あ、ここにいた!」
見ると彩夏だ。
彩夏は全身汗だくで、はあはあと息を荒げながらこっちを睨んでいる。
「もう! 学校中、探してたんだからねっ!」
「え、俺を?」
ちょっと声を弾ませながら自分を指差す健太。
「キミじゃない、青空くんよ!」
「は、俺?」
あっけにとられる俺に、彩夏はつかつかと歩み寄ってきた。
そして腕組みをしながら、強烈な怒りに満ちた目を俺に向ける。
「親友の茜に、酷いことしたでしょ!」
「あ。いや、それは……」
「ホント、許せないっ!」
「……ごめんなさい」
「だから、ちょっと顔かしなさいよ!」
「はっ?」
校舎の裏で、リンチでもしようってのだろうか。
いやいや彩夏は、そんなヤンキー体質じゃなかったはず。
「えっと、どこに?」
「わからないかなあ。ベッドルームによ!」
彩夏はイライラした様子で、とんでもないことを言いだした。
「アンタのアレがどんなもんか、調べさせてもらうからっ!」
「え、調べるって……なんで?」
「ああ、もうっ!!」
地団駄を踏む彩夏の顔は、なぜかぽっと赤らんでいるように見える。
「そんな話聞くと、試しにシテみたくなっちゃうでしょうがっ!」
「ええっ!?」
「誘ってんのよ! そのくらい、察しなさいよ!」
とんでもない事態に遭遇した。
「い、いや。ちょっと待て。俺のアレは危険だってさっき説明したでしょうが!」
黙って様子をうかがっていた健太が、よりによって余計な口を挟む。
「でも、大きくしたり小さくしたりする特殊なスキルがあるんだろ?」
「ちょ、ちょっと健太。それを言うな……」
彩夏は驚いたように、口をあんぐり開けた。
「まあ、そんなスキルも。それを聞いてますます興味が湧いたわ。さあ、立って!」
そう言いながら無理やり俺の腕を引っ張り上げて、席から立たせようとする。
「い、いや。俺、茜を傷つけてしまったことで……そう、今はアレに関してトラウマになってるんだ。スルのは無理だって……」
「そんなトラウマ、私が一発で直してあげる」
「一発でって」
「これは親友を傷つけたアンタに対する……そう、いわば復讐なの! つべこべ言わずに付き合いなさいよ!」
彩夏は力ずくで俺を立たせると、廊下へと腕を引っ張っていく。
今や貞操の危機は、俺のほうだった。
「待って……」
「うるさい、黙って来なさいよ!」
必死に抵抗したが、彩夏の力は思いのほか強く、ずるずると廊下のほうへと引きずられていく。
と、その時。
開いた扉から、茜が教室に入って来た。
吹奏楽部の部活が終わったのか、手にはクラリネットケースを持っている。
茜は俺と彩夏の様子を見て驚いたようだった。
「なに……してるの?」
彩夏は掴んでいた俺の腕を放すと、茜に駆け寄る。
「茜! 具合はどう? 病院、行かなくていいの!?」
「え……うん、その、大丈夫だから」
「茜を傷つけるなんて、全く青空って酷いヤツだよねっ!」
「ああ、そ、そうね」
「これから私が、懲らしめてやるからっ!」
「懲らしめるって、どういうふうに?」
「目には目を。アレにはアレよっ!」
茜は、呆然と立ちすくむ俺に目を向けた。
「彩夏がそう言ってるけど、どうする?」
俺は、ぶんぶんと首を横に振る。
「なんか、彼は嫌がってるみたいだけど?」
「はあ? それって、モラル的におかしいじゃない!」
「とにかく彩夏、落ち着いて」
茜はケースを机に置くと、彩夏の両肩にそっと手を添えた。
「彩夏の気持ちは嬉しいけど……復讐のためにスルっていうのは、間違ってるんじゃないかな?」
「うっ」
「所詮、アレって単なる生理現象でスルもんでしょ?」
「ま、まあ、そうね」
「こんなことしても意味ないじゃない? 私だって嬉しくないよ」
茜に諭されて我に返ったのか、彩夏はしょんぼりしたように俯いた。
「……そうね。私、ちょっとカッとなっちゃって」
「ううん、彩夏の気持ちには感謝してる」
「じゃあ、私。頭冷やして帰るわ」
そのまま、彩夏は肩を落として教室から出ていく。
俺は、ほっと胸を撫で下ろしたんだが……。
彩夏は扉の前で立ち止まり、俺のほうへと振り返った。
「だけど、青空くん」
「え、あ、はい」
「女子のネットワークを甘く見ないことね」
「は?」
「アンタの情報は今や、すでにこの学校に留まらず他校の女子にも知れ渡っている。みんな興味津々よ」
思わず背筋がぞわっとした。
「おそらく刺客が大勢押し寄せることになる……注意することね」
恐ろしい捨て台詞を言い残すと、彩夏はそのまま出ていった。
呆気に取られたまま傍観していた健太は、あたふたしながら彩夏の後を追う。
教室には、俺と茜だけが残された。
「茜……あの、助かったよ……」
茜は俺の顔を見ずに、帰り支度を始めている。
「だって、しょうがないじゃない。晴人がヘンタイだってこと知られちゃまずいし」
「あ、そっちすか」
「シテいいのは愛する人だけなんでしょ、晴人のモットーは」
「う、うん」
「そんなの世間的には絶対許されないけど、そうは言っても晴人はカレシだから」
帰り支度を終えた茜は、顔を上げ改めて俺の顔を見つめた。
その目は、ちょっと険しい。
「でもね。さっきの嘘は、あまりにも酷すぎる」
「茜……ホントごめん」
「許さないから」
「土下座でもなんでもするから、許してくれ」
茜はふうと、ため息をついた。
「……とにかく今日は一人で帰る」
「い、いや、送るよ」
「ちょっと、頭の中を整理したいの。そっとしておいて」
「し、しかし……」
「心配しないでも大丈夫。誰かに誘われたら、なんとか理由つけて断るから。今日のところはね」
そこまで言われると、俺は何も言えない。
「じゃあ、また明日」
「ああ……」
そうして茜は教室を出ていく。
ひとり残された俺は、ふと……。
窓に駆け寄るとそれを思いっきり開け放ち、夕陽に向かって叫んだ。
「俺を元の世界に帰してくれえ───っ!!」
なぜか返事が返ってくる。
「うっせえよ!」
ちょうど下を歩いていた鮫島が、俺を睨んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます