第3話 ランチの惨劇

 食堂に入って窓側の席に、茜と向かい合わせで腰掛けた。

 茜はポーチからピンク色の保温式ランチボックスを二つ取り出すと、ひとつを俺の前に置く。


「早起きして頑張って作ったんだから、味わって食べてね」

「お、おう」


 蓋を開けると、ふりかけごはんに色とりどりのおかず。

 みんな大好き唐揚げに、ぷりぷりのウインナー、青のりが入った卵焼き。

 そして中央にでんと構えるのはハンバーグ。俺の大大大好物である。


「す、すごい。これ全部茜がひとりで?」

「まあ、お母さんにちょっとは手伝ってもらったけどねー」

「にしても、感動」

「さ、食べて食べて」


 いただきますと一礼して、早速ハンバーグを口に運ぶ。

 うむ、めちゃくちゃ美味い。噛むと肉汁がじゅわっと溢れ出てきて、弁当のおかずとは思えないほど本格的である。

 思わず食べるのに夢中となり、しばらくしてからはっと気づいて顔を上げると。

 頬杖ついた茜が、俺を優しげな目で見つめていた。


「茜は食べないのか?」

「食べるけど。晴人が食べてるとこ、見てたかったから」


 なんて、健気。

 てか、幸せすぎじゃね? 俺。

 この世界が、ちょっとだけ異なると言う点を除けば。

 そこが最大の問題ではあるのだが。

 ふと我に返って、気が重くなる。


「あれ? どうしたの顔しかめて。まずかった?」

「い、いやいや、そうじゃないよ。美味すぎて感動すると俺、表情筋がおかしくなくなるクセがあって……」

「変なクセだねえ」

「とにかく美味いよ。これまで食ったハンバーグの中で最高だ」

「良かった! じゃあ、私も食べよっと」


 茜は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、自分のランチボックスを開ける。

 俺は彼女と一緒に昼飯(しかも彼女の手弁当)を食べるという夢にまで見たシチュエーションに、胸から熱いものがこみ上げてきたのだが……。

 その時である。


「なあ、星咲」


 茜を呼ぶ声に顔を上げると、そこにはポケットに手を突っ込んで肩をいからす男子が立っていた。

 クラスメートの鮫島猛さめじまたけるだ。

 赤く染めたショートのツンツンヘアーで、シャツはだらしなくオープンにしている。

 キレたら手がつけられなくなる性格で、俺からすればあまり近づきたくないタイプの人種だ。


「ん? なに?」


 茜はいたって普通に返事する。


「おまえ、青空なんかとメシ食ってんの?」

「なんで? 悪い?」

「てか、釣り合わなすぎ。見てて滑稽なんだけど」

「ちょっと、失礼じゃない?」

「しかも、手料理かよ」


 そう言いながら、鮫島は俺のランチボックスに手を伸ばすと唐揚げをつまみ上げ、ぽいと口に入れた。


「おっ、うめえ」


 唐揚げは最後の楽しみに取っておいたものだ。

 しかも、せっかくの茜の手作り弁当に手を出すなんて、さすがに許せない。

 気づくと俺は、とっさに立ち上がって鮫島を睨みつけていた。


「……おい。俺の唐揚げを返せ」

「あ? なんだ青空。俺とやろうってのか?」


 鮫島は挑発するような目で、俺を見つめてくる。

 感情にまかせて勢いよく立ち上がったものの、鮫島とやり合う気なんて毛頭ない。

 さて、どうしたものだろうか。

 

 うん、とりあえず座ろう。

 

「ふん、チキン野郎が」


 唐揚げだけに、チキンかよ。


「まあいいや。ところで星咲」

「なに?」

「ちょいとタマったんで、ベッドルームに付き合え」


 俺は、はっとして茜の顔を見る。

 茜といえば……。

 わずかに顔を曇らせたような気がする。

 だけど、すぐに普通の表情に戻って頷いた。


「いいよ」

「おう、じゃあ行くか」

「でも今、ご飯食べてるから、ちょっと待ってくれる?」

「ああ。そこらへんにいるからよ」


 そう言うと、鮫島はダルそうに首を左右に振りながら、席を離れていった。

 ああ……。

 最も恐れていた事態に直面した、と言えよう。


「茜、鮫島とその、スルのか?」

「うん、それがどうかした?」


 きょとんとした顔の茜。


「あんな嫌なやつでも、スルのかよ?」

「鮫島くんのことはあんまり良く思ってないけど、だって、それとこれは別でしょ」

「いや、そうなのか?」

「どうしたの? 晴人。なんか今日、いつもと違って変だよ?」


 どうする、俺。

 茜が鮫島とこれからスルなんて、耐えられそうにないんだが。

 全身から汗が噴き出していた。

 

 過去における茜の経験歴に関しては、ひとまず置いといて。

 とりあえず、だ。

 今から、茜が鮫島とアレをするのは絶対に嫌だ。ありえない。

 まだ俺は茜とキスだってしてないと言うのに。


「大丈夫? 顔から汗が滝のように出てるけど、どこか体調でも悪いの?」


 茜は箸を止めて、俺を心配そうな目で見つめている。


「いや、そうじゃないんだ、茜。あのさ……」

「なあに?」

「鮫島の誘いは断れないだろうか?」

「はあ?」

「なあ、頼む! このとおりだ!」


 テーブルに手をついて頭を深く下げた俺の必死の懇願に、茜はぽかんとした顔をした。


「なんで?」

「いや、だって、その」

「アレを断るなんて、そんなのモラル違反じゃない」


 モラル違反。

 そうだ、確か朝に出会った会社員の女性も、俺が断ったらそんなこと言ってたな。

 俺からすれば、誰でもアレをするほうがモラル的に異常なんだけど、性の常識がひっくり返ったこの世界では、そっちが正しいのである。


 ああ、どうすればいいんだ。

 もうすぐ、茜が弁当を食べ終わってしまう。

 そしてその様子を、鮫島が近くの席から今か今かとうかがっている。

 

 その時、俺ははっと閃いた。

 それはまさに、天啓とも呼ぶべきジャストアイデアである。

 俺は改まって姿勢を正すと、コホンとひとつ咳払いをした。


「……なあ、茜」

「ん?」

「急で悪いが、ひとつお願いがある」

「晴人のお願いだったら、ふたつでもみっつでも聞くよ」

「あのさ」


 うっ、めちゃくちゃ言葉に出しづらい。


「どうやら俺、も、もよおしちゃったみたいなんだ。それで……」

「ああ、そうなんだ! それなら我慢しないで行って来なよ。誰か呼ぶ? ちょっと待って、ライングループで聞いてみるから」


 スマホを取り出そうとする茜を、必死に押しとどめた。


「いや、待て。そうじゃない」

「ん?」

「俺は茜とシタイんだよ!」


 そう。

 この状況で俺が誘ってしまえば、茜は彼氏である俺を優先するはず。

 そうすることで、茜が鮫島とスルのをひとまず回避できるだろう。

 俺からすれば、付き合いはじめたばかりの茜といきなりスルなんて想像もつかないのだが。

 今はそんなこと考えてる余裕はない。

 後先考えない、捨て身の戦法でもあった。


「晴人……」


 だがいきなり、茜は真顔になる。


「そんなこと言うなんて、サイテー」


 想定外の反応に、固まる俺。


「は?」

「まだ付き合ったばかりなのに……晴人は私のこと、性的対象としか見てなかったわけ?」


 えっえっ。

 どゆこと?


「だって、みんなフツーにシテるし……」

「それとこれは全然違うでしょ! 言っとくけど私、心の貞操的にはバージン守ってるんだから! 本当に好きな人にしかあげないんだからねっ!!」


 目に涙を浮かべる茜を見て、気がついた。

 そうだ、確か健太が「スルことと愛情は別物」って言ってたっけ。

 どうやらこの世界では、貞操観念自体も全く異なるらしい。

 誰とでもスルのは単なる生理現象。

 本当に好きな人と愛情を持ってスル行為は全く違う。


 茜からしたら恋人である俺が、まるで他の男がするように性のはけ口を求めたことになるので、ショックを受けたのであろう。

 ああ、知らなかったとは言え、俺は茜にとんでもないことを言ってしまったことになる。

 茜は黙って食べかけのランチボックスを閉じると、俺の目を見ないで立ち上がった。

 そして、早足で食堂の出口に向かって行く。

 その途中で、鮫島が茜の腕を掴んだ。


「おい、どこに行く?」


 だが茜はその手を振り払う。


「ごめん、今ちょっと気分悪いんだ」

「ちっ。待ってたのによ」

「またあとでも、いいかな?」

「待てねーよ。別のやつ探すから、いいや」


 そうして、茜はひとり食堂を出て行った。




 

 結果的に、茜と鮫島がスルのはひとまず回避できた。

 だが。

 茜の心を傷つけてしまったことに、気分が重くなる。

 はあ、まったくなんて世界だ。

 元のまともな世界に戻りたくて仕方がない。

 だけど今は、とにかく慣れるしかないんだ。

 残された自分用のランチボックスを手にとって席を立つ。


 これ、洗って茜に返さなくちゃな。

 でも、これで茜とは終わりかもな……。

 重い足取りで食堂を出て、廊下を俯きながら歩いていると。

 ベッドルームの前で、いきなり名前を呼ばれた。


「晴人っ」


 顔を上げると、そこにはモジモジしながら顔を赤らめた茜の姿がある。


「茜……」

「シタイんでしょ?」

「えっ」

「いいよ、私がシてあげる」


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