第2話 衝撃のカルチャーギャップ

 記憶喪失のふりをして、健太からいろいろ聞き出したところ───。

 この世界では、人間の三大欲求のひとつである「性欲」が単なる生理現象として認識されているらしい。


 つまり、もよおすとトイレに行くのと同じ感覚で、男女問わずシタくなったら、近くにいる誰とでも(ただし16歳以上に限る)声を掛けて処理することが可能なのだ。

 スル場所は指定されていて、外だと公衆ベッドルーム(たいてい、公衆トイレと併設されている)、学校や会社であれば建物内に設置されたベッドルームを使用する。

 頼まれた側は、特段の事情がない限りモラル的に協力するのが当たり前、だそうだ。

 拒否するのはありえないって健太は言うけど、元からそういう世界にいればその感覚が普通なのであろう。

 ただ、スルことと愛情とは、全くの別物らしい。


「て、てか健太! おまえ、毎日誰とでもシテるってこと!?」

「ああ、そうだけど?」

「ということは、ドーテーじゃないのか!?」

「ドーテー? なにそれ」


 つい昨日まで、お互いこのままずっとドーテーでいようなって、しんみり話してたくせに。

 いや、ここは前とは違う世界なんだ。

 見た目はまったく同じだけど、性の概念だけが全く異なる世界。

 よりによって、なんでこんなところに転移してしまったんだ、俺。

 頭を抱えてハッと気がついた。

 茜もまさか、ふつーに誰とでもシテるのか?


「健太、まさかおまえ茜とは……!?」

「茜ちゃん? シタことあるような、ないような?」

「どっちなんだよっ!」

「うーん、いちいち覚えてないけど、茜ちゃんとはまだかな?」


 ほっと息を吐く。

 いやいやいや。安心してる場合ではない。

 健太とはまだでも、他の男は?

 クラスメートや、学校の先生、はたまた通りすがりのおっさんとか。

 普通に暮らしてれば、いろんな男が周りにいるじゃないか。

 この世界で茜が、男どもの性的衝動に協力していないとは言いきれない。


「そんな……」


 がっくり膝をつく俺に、健太はやれやれといったふうに手を上げた。


「どうした晴人、おまえ明らかにおかしいぞ?」

「いや、おかしいのはこの世界で」

「ちょっとそこらで誰かにシテもらって来いよ。頭がスッキリするぜ」

「無理……」

 

 教室につくと、すでに朝のSHRが始まっていた。

 健太と一緒に、そっと扉を開ける。

 スタイルが良くって美人だけど、いつもツンとした表情の担任である浅川あさかわルミ先生が、長い黒髪を手でさっと払いながら俺たちに鋭い目を向けた。


「あら、ふたり揃って遅刻かしら」


 ルミ先生は遅刻にはめっぽう厳しい。

 まあ、基本的にいつも厳しいんだけど。

 これはカミナリが落ちるなと覚悟したが、健太がいたって普通に返事する。


「いや、ちょっとシテきたんで」


 えっと……そうやって公言するのも、この世界じゃ当たり前なのか?


「ああ、そう。じゃあ、しょうがないわね。スッキリした?」

「はい、もう大丈夫です」

「みんなも、もよおした時には遠慮せず言うこと。タメるのは体に悪いから。だけどヒニンだけはしっかりね」


 はい、とクラスメートが一斉に返事する。

 なんなんだ、この会話。

 俺は呆然としながら、窓側の自席に着いた。

 隣の席は、茜だ。

 茜は声を潜めて、だけどとびっきりの笑顔で話しかけてくる。


「おはよう、晴人」

「ああ、おはよう」

「昨日、よく寝れた?」

「いいや、あんまり……」

「私も。なんだか興奮しちゃって寝れなかった」


 ニコッと笑ってそう話す茜は、やっぱりむちゃくちゃ可愛い。


「あのさ、今日晴人の分の弁当も作ってきたんだ」

「ええっ」

「だからお昼、一緒に食べようよ!」

「マジで! 食べる食べる!」

「晴人の大好物、いっぱい作ってきたからね」

「俺の大好物、知ってるの?」

「だって幼馴染だもん。知ってて当然でしょ」


 なんたる幸せ。

 まさに彼女ができるって、こういう感じなんだっていう。

 だが、一時的に高揚した感情も、ふと現実に引き戻されて急低下する。

 この世界の茜はやっぱり……いろんな男とシテるんだろうか……。

 

 そしてお昼休み。

 茜は教科書をパタンと閉じると、俺にキラキラと輝く眼差しを向けた。


「お昼、どこで食べる?」

「ああ、そうだな」

「食堂にしようか、空いてるし」


 そう、うちの高校には食堂がある。

 だが弁当派が多いので、そんなに混んではいない。

 とは言え、人目があることは確かだ。

 美人で目立つ茜が、モブキャラの俺なんかと一緒に弁当を食べているところを、学校の連中が見たらどう思うだろうか。


「食堂か……」

「なに、みんなに見られるのは嫌なの?」


 茜は、ぷっと唇を突き出す。

 そんなねた顔も、可愛いんだが。


「いやいや、そんなことはないよ。食堂へ行こう」


 俺は、ランチボックスが入ったポーチを手に下げた茜と連れ立って、教室を出た。

 廊下の途中にトイレがある。

 その隣に、昨日までなかったベッドルームが併設されていた。

 やはり、学校にも……。


 見ると、何人もの男女がベッドルームに出入りしている。

 俺からしたら衝撃の光景だが、みんなトイレに行くのと同じような感覚で、男女のペアが当たり前のように利用しているのである。

 おそらく彼らはカップルでもなんでもないんだろう。

 だけど、単なる生理現象として、フツーにシテるわけだ。

 茜もこうして毎日、いろんな奴とこのベッドルームを利用してるんだろうか。


「どうしたの? ベッドルームをじっと見たりして」

「あ、いや、その」

「言っときますけど、覗きは犯罪ですからねっ!」

 この世界でも、そこはトイレと同じらしい。


「いやいや、そんなことしないって」

「あ、もしかして今、シたいの?」


 そのさりげない言葉に、心臓が跳ね上がる。

 まさか、いきなり茜とベッドルームに!?


「シたいんなら、ここで待ってるけど。相手は誰にする?」


 じゃあ、茜と。

 なんて言える心の準備や度胸が、今の俺にあるはずもない。


「あ、あそこに彩夏ちゃんいるよ?」


 茜が指差した先に、クラスメートである草野彩夏くさのあやかの姿があった。

 彩夏はくりくりとした猫目の愛らしい童顔の割に超グラマーなボディをしてて、健太が定義するに『学校イチのセクシーアイドル』だそうだ。

 密かに健太が恋い焦がれてることを、俺は知っている。


「彩夏ちゃーん!」


 いきなり声を上げて彩夏を呼ぶ茜。


「なあに、茜」


 彩夏は大きな胸をゆさゆさ揺らしながら、俺たちの方に走ってきた。


「晴人がね、シたいんだって」

「ああそう。いいよ」


 あっさり答える彩夏。

 いやいや、ちょっと待ってくれ。

 いきなりそう言われても、俺は異世界から来たストレンジャーであり、この世界の常識にはまだ慣れていない、ってかこれからも慣れそうにない。


「あ、あの」

「どうしたの、早くシようよ」


 きょとんとした顔の、彩夏。


「……えっと、とりあえず収まったから、あとでいいかな」


 そう答えるのが、やっとだ。


「そう? 我慢しなくていいからね」

「あ、ああ。ありがと」


 彩夏は、ドンマイとばかりに俺の肩をぽんぽんと軽く叩くと、立ち去っていった。

 ほっとすると同時に、なんで茜はスル相手として、そばにいる自分じゃなくて彩夏を呼んだのか、ふと疑問に思う。


「じゃあ、食堂行こっか!」


 茜はこくんと小首を傾げて、にこっと可愛らしい笑みを浮かべる。

 そして、さりげなく俺に体を寄せて歩き出したのだった。

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